藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は平安期以前、
神功皇后が軍旗を樹て兵具を納め塚を造り神祭りしたのが始まりと伝わる。
(創立203年神功摂政3年)
場所は伏見区深草にある。
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/
桓武天皇も平安京遷都に際し、弓兵政所とした。
5月5日の藤森祭は朝からみこし3基が氏子(区域)内を巡行し、武者行列を練る。
端午の節句に武者人形を飾る風習はこの行事に由来する。
今日では勝運と馬の神様として競馬関係者(馬主、騎手等)や競馬ファンの参拝者でにぎわっているそうだ。
南門の鳥居から本殿までは長い参道になっていてあまり人の手が入っていない感じで
自然がそのまま生かされているようなとても神社らしい神社だった。
当神社は紫陽花で有名だがさらに藤棚のトンネルを作り令和8年には誕生させるようだ。
この運動は藤森神社の藤に由来しているのかもしれない(?)
参道の途中には参集殿という宝物殿があった。
入場無料ということで入ってみた。
重文の紫絲威大鎧(むらさきいとおどしおおよろい)や様々な武具と馬のミニチュア博物館も併設されていた。
また太刀「鶴丸」の写し刀や太刀「一期一振」の写し太刀も見どころの1つ。
絵馬舎と神馬像。
いかにも当社が馬の神様を祈り勝運の神社といわれるのにふさわしい建物と像だ。
こちらの拝殿は割拝殿といって平安末期頃に現れた拝殿形式で横長の平面の中央を
土間(馬道・めのどう)をとって通路にしたのもで他にはあまり見ないものだ。
本殿は正徳2年(1712年)中御門天皇より賜ったのもで、宮中内待所(賢所)であった。
現存の賢所としては最も古く、その原型をよくとどめていて重要文化財だ。
本殿と拝殿の間にある巨木のクスノキは伏見区民の誇りの木だそうだ。
たぶん御神木にちがいない。
境内内にある藤森稲荷社。
藤森稲荷社の隣りにはかわいらしい藤森七福神の石像が。
なんとも愛くるしく並んでいた。
この御神水「不二の水」は2つとないおいしい水という意味で
武運長久、学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されている。
(水六訓)
1、水は尊し
2、水は美し
3、水は清し
4、水は強し
5、水は恐し
6、水は深し
5月5日に斎行される藤森祭は菖蒲節句発祥の祭として知られる
節句に飾る武者人形には藤森の神が宿ると云われており、
その特徴として建立されたのがこの神鎧像だ。
この御旗塚は神功皇后が「いくさ旗」を立てた場所。
当社発祥の地。
側方のいちいの木(切り株)は「いちいのきさん」と呼ばれ、参拝すると腰痛が治るとされ、
幕末に近藤勇が参拝したと伝わっている。
今流行っている御朱印めぐり。
ここは京都刀剣ゆかりの四社めぐりとして粟田神社、建勲神社、豊国神社と当藤森神社となっている。
スミダマンは御朱印帳にはほとんど関心が無いが、
これでこの四社すべてをめぐったことになり、ちょっとした感慨に浸ってしまった。