(パートⅠ 2022-9-30付参照)
昨年の夏来た時はまれに見る土砂降りの中、
境内を走りながら護王神社のシンボル、イノシシ像を撮りまくったのを思い出します。
もう一度晴れた日にゆっくり来たいと思っていたので今回青空の中、参拝できたことに感謝です。
護王神社は桓武天皇に遷都を進言し、
平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社で、
もとは神護寺の境内にあったが明治19年(1886年)この地に移されました。
鳥居、拝殿の前に狛犬のかわりに猪像があるが、
これは清麻呂を猪が守護したという故事にちなんだものです。
その故事を詳しく紹介してみましょう。
奈良時代・称徳天皇の御代、法皇となって権勢をふるっていたら弓削道鏡は天皇の位をわが物にしようと
「自分を皇位につかせたなら天下は太平になると
宇佐八幡より御神託(神のお告げ)があった」とウソをついた。
天皇から御神託が本当かどうかを確かめてくるよう命を受けた和気清麻呂公は九州の宇佐八幡へ行き、
御神前に「神意を示したまえ」と叫んだ。
すると光の中から宇佐の大神が現れ「天皇の後継者には必ず貴族の者を立てなさい。
無道の者は早く追放してしまいなさい」と御神託を下された。
都に帰った清麻呂公は、このことを天皇に報告し、道鏡の野望を暴いた。
道鏡の怒りを買った清麻呂公は大隅国(鹿児島県)に流されることになり、
その途中、道鏡の放った刺客に襲われ足の筋を切られてしまった。
それでも清麻呂公は貴族の安泰を守られたことを感謝するため、宇佐八幡宮へ立ち寄ることにした。
そして一行が豊前国(福岡県東部)にさしかかった時、どこからともなく300頭ものイノシシが現れ、
清麻呂公を悩ませていた足の痛みも不思議と治っていました。
1年後、称徳天皇の防御により道鏡は失脚すると、清麻呂公は都へ呼び戻され、
晩年まで世のため人のために尽くしました。
ということで境内のいたる所に猪像が祀られている。
この神社は足腰の守護神いのししの護王神社として名を馳せている。
今回は青空の下での和気清麻呂像です。
日本一のさざれ石。
いのししだらけの神社の中でこの絵馬だけは卯年のためうさぎの絵でやけに目立った。
護王神社は大通りに面していて前はよく通りますが、
通りすぎてしまいますよね。
でも平安京を造った和気清麻呂を祀っている神社なので、行く価値はありますね。
護王神社は大通りに面していて前はよく通りますが、
通りすぎてしまいますよね。
でも平安京を造った和気清麻呂を祀っている神社なので、行く価値はありますね。