この京都市役所本庁舎は昭和2年(1927年)竣工で政令指定都市の市役所では一番古くからあるものだ。
本庁舎の設計は武田五一、中野進一。
以前見た時は大規模改修が行われていた。
(2020-12-2付ブログ参照)
本庁舎前の広場では度々イベントが開催される。
麩屋町通りに面してその風情を誇っている京都を代表する、
いや日本を代表する日本旅館3軒がある。
1軒目は御池通に一番近いところにある「柊家(ひいらぎや)」。
創業は文政元年(1818年)。
この旧館は木造2階建の純和風で2006年3月、
伝統に新しい意匠を加えた鉄筋3階建の新館が完成した。
客室内風呂のいずれも高野檜の浴槽と京都の井戸水を使用している。
だいぶ昔に一度泊まったことがあったっけ。
柊家のほぼ向かい側にあるのが日本一のおもてなし、
憧れの高級旅館と定評の「俵屋」。
宝永年間創業、約300年の歴史と伝統を今に継承している。
ここはVIPの定宿で公式HPがない知る人ぞ知る超有名旅館。
オリジナルの石鹸が有名。
是非一回は泊まってゆっくり旅館内で過ごしてみたいと切に思っている。
柊家、俵屋から少し下ったところにある「炭屋」。
京都の町中とは思えない静けさをたたえる数寄屋造りの名旅館で、創業は大正の初め。
ここは毎月2日間、茶室で釜を懸けおもてなしをする
茶の湯の心を感じられる老舗の宿だ。
寺町通を歩いていくと偶然、通称矢田地蔵と呼ばれている矢田寺のところに出た。
平安時代初期、大和国の矢田寺の別院として創建され、以後、寺地を転々とし、
天生7年(1579年)に現在地に移されたといわれている。
当寺の梵鐘は送り鐘と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として信仰されている。
また、本尊は地蔵菩薩(矢田地蔵)で俗に代受苦地蔵と呼ばれ、
地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。
実は当寺で写真を6枚撮ったが、そのうち3枚がボケて撮れてしまった。
何か霊が邪魔をしていると変に考えてしまった。
早朝散歩でタクシー運転手から聞いた本当の本能寺跡に行ってきました。
ここで織田信長が明智光秀に暗殺されたところ(油小路通)。
今はご覧のように老人ホームになっている。
改めて京都のタクシー運転手は色々な情報を知っているのでビックリだ。
やはり早朝散歩をしていたら今年約200年ぶりに祇園祭に復活した鷹山の粽を発見してしまった。
早朝は目も頭も冴えているのがこれを見てもわかる。
いくつもある京都らしい風景のひとつ「犬矢来」。
軒下にある棚のことで犬の放尿よけということで犬矢来という。
大通りに面したビルのところにもこのように
ステンレスでできた犬矢来を設けるとは、いかにも京都だ。
御池通と釜座通のところに小さくポツンと立っていた石碑を発見。
「肥前鹿島鍋島藩屋敷跡」。
京都には江戸大名屋敷と同じように武家屋敷が多くあった。
都の情報を取る各藩の出先機関だ。
昭和24年に全国に普及した「郵便差出箱一号丸型」という名称の郵便ポスト。
昭和60年には約15万個設置されていた。
これは京都で最初に設置されたもので記念して永く文化的に保存されている。(新町通沿い)
八竹庵(旧川崎家住宅)は祇園祭でも多くの山鉾が並ぶ新町通沿いの京町家。
大正時代の建築で設計には近代京都の代表的建築家・武田五一も設計に参加している。
京都市指定有形文化財だ。
新町通に立てられていた羽柴秀吉旅宿跡の石碑。
まだ真新しい石碑(よく見ると今年6月に建立したようだ)で、NPO法人が立てたらしい。
このような歴史上の人物が泊まった宿まで広げていくと
京都は石碑だらけになってしまうのではないか。
以前にも当ブログにアップした祇園石段下の京寿司「いづ重」さんが現在建築中となっていた。
NHKのノーナレで放映された「祇園の神さん」の主人公・いづ重の北村大将の思いが通じて
今年3年ぶりで祇園祭、御輿渡御が実現した。
この新店舗が完成したら是非お祝儀を持ってまた行ってみたいものだ。
妙法院横に延びるゆったりした坂道の先には豊臣秀吉公の墓所である豊国廟参道がある。
そしてその途中には京都の名門私立・京都女子学園(幼稚園から大学院まで)がある。
ここも一度ゆっくり歩いてみたいものだ。
妙法院のブログでも紹介したが、
妙法院の境内を歩いていくとフォーシーズンズホテルの裏側に出る。
表門は幾度も来たが裏門のアプローチ玄関の庇も正門のデザインと同じで傘のようだ。