興臨院は大徳寺勅使門に向かって左側にあって、東向きに表門を構えている。
今回の時期は新型コロナ感染の規制もだいぶ緩和され、
国際観光都市京都にはまた多くの外国人観光客が戻ってきた。
大徳寺の塔頭は基本的に一般公開はされていない。
大徳寺の体質が保守的なためである故。
その中で、ここ興臨院は3月11日(土)~6月18日(日)まで春の特別公開を行っていた。
このお知らせ看板の下の方には外国人向けの英語案内が貼られているのが印象的だ。
この表門(重文)は平唐門。
桧皮葺の優美な姿をしている。
構造は一間一戸で二本の門柱の頭が高く出て、蟇股を左右から挟んでいる。
この表門は大徳寺山内でも有数の古い門である。
当院は足利時代後柏原天皇の太永年中(1520年代)能登の守護畠山左衛門佐義総によって建立され、
以後畠山家の菩提寺となっている。
畠山氏は足利幕府管領の畠山基国を中興とする後裔で、
義総の法号興臨院殿伝翁徳胤大居土から寺名が付けられた。
その後畠山家が没落。
天正9年(1581年)前田利家公により本堂屋根の修復が行われ、
以後、前田家の菩提寺となった。
本堂(重文)は方丈形式、一重入母屋造。
建築様式は室町時代の特長をよく表している。
また、内部も簡素で素朴なさほど寺院の建築らしくなく、
現在の日本の民家住宅へ移る過渡期のものといえる。
方丈前庭は方丈の解体修理完成に際して資料を基に昭和の小堀遠州と称えられた
中根金作によって復元されたもの。
この庭は昔中国の寒山・捨得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模し、
大石松をあしらって理想的な蓬莱の世界を表現している。
名を涵虚亭と号し、蘇東坡の詩から名付けられた茶室。
古田織部好みの四帖台目に隅板を加えたもの。
前述したように当院は加賀前田家の菩提寺となっている。
この掛軸も加賀百万石前田家の祖、前田利家の肖像画だ。