京都駅からザ・サウザント京都に向かう道にさりげなく造られた枯山水庭園風の空地利用を発見。
これを見て京都はここまで京都らしさを表現するのかと早朝から感動。
以前にもアップしたと思うが今回又「鍾馗様」シリーズをどうしても気に成ってアップしてしまいました。
鍾馗さんは2~30CMくらいの高さの瓦でつくられた人形だ。
いかつい表情で太刀を持ち、たいていは藍袍(くるちょう)を着て、
カットと両目を剥いて正面をにらんだ姿で表現されている。
これは家に侵入しようとする邪鬼を退散させると信じられている。
疫病や邪鬼を払う以外に火災除けも担っているとのこと。
ところでなぜ京都の鍾馗さんは屋根の上に立っているのか?
文化文政期の文献によると次のエピソードが残っている。
三条の薬屋が屋根に大きな鬼瓦を取り付けたところ、向いの家の女房がそれを見て寝込んでしまった。
取り外してくれと頼んだが断られ、対抗策として鬼に勝つ
鍾馗さんを瓦屋に作らせて屋根に乗せた所、女房の病気が全快した。
これが庶民の間で広まっていったそうだ。
それ以外の説として、京の街にはお寺が多い。
お寺はその霊力や魔除けの鬼瓦で邪鬼などを跳ね返してしまうので、
はね返された鬼が一般の家に入って来てしまう。
そこでコワモテの鍾馗さんを屋根に乗せ、鬼から守っていただこうと
京の街では家の屋根に乗せるのが流行っていったという。
小さくても大きな霊力を持つ鍾馗さま。
昔から伝わる京都の鍾馗文化を探して散策するのもまた楽し。
興正寺と西本願寺の塀越しに見えた、国宝西本願寺の「飛雲閣」
金閣・銀閣にならび京都三大銘閣の一つで豊臣秀吉が京都に構えた邸宅
「聚楽第(じゅらくだい)」の遺構だと伝わっている。
3年間の修復工事が終わったが通常は非公開。
だが、たまに公開されることがある。
いつか訪れたい所の1つだ。
(2017-10-6付ブログ参照)
西本願寺の境内を左奥手に進むと国宝唐門がある。
約40年ぶりに修復を終え桃山時代を象徴する華麗な姿がよみがえった。
この唐門は寺が1591年に現在の場所に移転した後に造られたとされる。
日が暮れたことも忘れてしまうということから日暮門とも呼ばれている。
(2017-10-6付ブログ参照)
この龍谷大学は寛永16年(1639)西本願寺境内に開設した教育施設「学寮」に源を発し
現在、京都、滋賀に3つのキャンパスがある。
なかでもここ大宮学舎は龍谷大学発祥の地で、中央にある本館はじめ正門、
守衛所、北黌、南黌が国の重要文化財に指定されている。
創建当初、明治12年(1879)の建物が、ほぼ完全な形で、
しかも群として遺り全体景観を形成していることは明治建築物では珍しい事例だ。
最後の写真の東黌は5年前建築中であったが完工し、その意匠は重要文化財とほぼ同じで
全体の雰囲気にしっかり溶け込んでいた。
(2017-10-14付ブログ参照)
前回の御金神社(みかねじんじゃ)のアップは早朝散歩の時だった為、
全く人気がない神社風景であったが、今回は参拝者が長蛇の列。
新ためてそのご利益を求める切実な思いが他の神社と違ってストレートに伝わって来た。
(2022-9-14付ブログ参照)
フレンチグリルで昼食をいただいた後、腹ごなしの散歩で神泉苑に来た。
その時「そうだこの先にあの有名な喫茶チロルがある」とひらめき、足を伸ばしてみた。
あいにくこの日は定休日で入ることができなかったが場所がわかったのでいつか訪ねてみたい。
京都の喫茶文化を代表する有名店だ。
令和5年3月27日日本の政治機関の1つ「文化庁」が東京から京都に移転して来ます。
このことは京都の都人にとっては歴史的な大事件で明治に成って都が
京都から東京になんとなく移ってから約150年。
都の一部が京都に戻って来たという感覚なのです。
1997年、原広司設計の元で完成した4代目の京都駅舎。
その外観の一部を切り取ってアップしてみました。