7.万葉の岬 山部赤人 2015.01.10
山部赤人が四国辺へ下るときの詠か。旅中望郷の歌。歌中の淡路から播磨にかけての地名がこの「万葉の岬」から一望のもとにある。
山部赤人辛荷島万葉歌碑
妻に別れて、その手枕もせず、桜皮を巻いて作った舟に、左右の櫂をとりつけ漕いできて、淡路の野島も過ぎ、印南つまや唐荷の島の、
島の間から故郷の方をふりかえると、
青山のどのあたりともわからず、白雲も幾重にも重なってきた。漕ぎめぐる島々、行きかくれる島の崎々、
どこへ行ってもわが家を思い続けて来ることだ、旅の日数も長いので。
美しい藻を刈る唐荷の島で、魚をとる鵜ででもあったら、家を思わないでいられることであろうか-。
島かげづたいに漕いでくると、うらやましいことよ、大和へ上る熊野の船が見える。
風が吹くので浪が立とうかと、凪を待って都太の細江(姫路市飾磨区)で浦にかくれていることだ。
生没年・伝記は不詳です。下級官吏として朝廷に仕え、神亀-天平8年(724~736)の間に、宮廷歌人として作品を残しています。
この間、山部赤人は、紀伊に神亀元(724)年、吉野に神亀2(724)年と天平8(736)年、摂津に神亀2(724)年と天平6(734)年、
播磨に神亀3(725)年、それぞれ天皇の行幸に従っています。また、下総・駿河・摂津・播磨などにも旅をしています。
鳴 島 なきしま
万葉岬の椿園
家島諸島
室津港
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