3.ようこそ虎倉城跡 2019.4.15
虎倉城跡(虎倉城)
こぐらじょうせき(こぐらじょう)
戦国時代にはこの城を中心に、松田氏・宇喜多氏・毛利氏などによって激烈な争奪戦が繰り広げられた。
遺構は、山頂の本丸、二の丸、三の丸の主要な郭をはじめ、石垣、堀切等が確認されている。
伊賀氏、長船氏は虎倉城の城主です。
伊賀氏は北条義時の継室伊賀の方の兄、伊賀氏事件の伊賀光宗の子孫で戦国時代は金川城の松田氏に仕えていましたが、伊賀久隆の代に宇喜多直家の妹と婚姻を結び、松田氏を裏切り宇喜多氏と共に松田氏を滅ぼして宇喜多氏の重臣となりました。
その後、宇喜多氏が毛利氏から織田氏に鞍替えすると、毛利氏により居城の虎倉城を攻められますが、見事にこれを撃退しました。
ところがその久隆が急死し(毒殺説もあります)息子の家久が跡を継ぐと毛利氏に寝返ってしまいます。
その後、本能寺の変をへて毛利氏と宇喜多氏(羽柴氏)との領地分により虎倉城は宇喜多領となり黒田官兵衛と蜂須賀小六が接収し、宇喜多氏の長船貞親が入城しました。
長船貞親は宇喜多三家老に数えられる武将で、宇喜多秀家時代には宇喜多家を取り仕切っていました。
ところが天正16年(1588年)、娘婿である石原新太郎により貞親は銃殺され、その騒動で虎倉城も焼け落ち廃城となりました。
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