今年もプランターで稲作にトライ。
この場合は実の付き具合だとか実の質は良いかなどの心配は要らないから気楽に
栽培できる。
過去に何回か報告しているので今年は『やってますよー』のご報告まで。
今年もプランターで稲作にトライ。
この場合は実の付き具合だとか実の質は良いかなどの心配は要らないから気楽に
栽培できる。
過去に何回か報告しているので今年は『やってますよー』のご報告まで。
昨年までは猪によるササユリの被害は殆ど見られなかったが今年は数か所で掘り起こ
され根こそぎ無くなってしまった。人様にとっても高級品でもあるから猪にもご馳走であ
る。小屋裏に纏まってこういた所をやられたから来年は寂しくなるのではないかと予想
される。
恐らく昔からこうしたことを繰り返しながらあちこちで花を咲かせてきたのだろうから絶滅
とはならないであろうが残念なことだ。
自然界の主役は人間ではないからこうしたことがあっても腹を立ててはいけない。
聖人ように角のない心を持ちなさい。
こうありたいと思こと頻り。
ユリ根を食べられた無残なササユリの茎
食害の跡Ⅱ
今年もササユリのシーズンがやってきた。我が工房周辺には小さいササユリの集落が
幾つかある。昨年は6連、7連のササユリが咲いたのだが今年はその苗は絶えてしまっ
た。場所により昨年まで咲いたものとは別のものに代わっているものも見られる。
ササユリに対する何の見識を持たないから代替わりなのか何か別のことなのかさっぱり
意を得ない。ただ分かっていることは適当にきれいにして日当たりを良くしてやることく
らいは分かっている。
種を採取して苗づくりを試みたが成功せず。
1年生の苗を見つけて移植して大きく育てようとしてみたことも失敗した。
以来、ササユリは為すがままがベストと草に負けない程度の管理しかしない。苗が絶え
てもポツポツと別の苗が花をつけるからそれを楽しめばいい。
大半のササユリは真っ白だが時折、薄いピンク色のものがある。
これもどうしたものか知る由はなし。
少しピンク色の花
茶飲み話、ちょいとした時の話として『甲が大分下がってきたな』窯を作った時から作業
がある度に見ているので様子はよく分かっているはずのにそう思えてしまう。しかも、この
話は昨日今日のことではなくずっと前から、誰彼となく口にする。皆がそんなに口を揃え
て言うことが正しければ、とうに甲は落ちているはずなのに下がってきたとする場所には
ひびすらない。
皆が錯覚する理由は甲の手前、焚口の上は焚口を作る度(毎回ではない)に少しずつ泥
が盛られて手前が高くなり、奥が低いように見えるからだと思う。確かに甲を作る時はもう
少し盛り上がっていたが乾燥した時には、今と余り変わりのない姿だ。
同じアングルの写真はないため正確な比較はできないがブログ管理人も時折『甲が段
々、下がってきた』と感じていた。
平成26年7月の暑い日の窯造りからもうすぐ丸5年、この窯も桑炭会会員と共によく頑張
っている。
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る
年末には『一年が早いなー』
昔は正月が来るのは待ち遠しく、月日が早いとは全く感じなかった。いつの間にか時は
『早く過ぎるもの』と定着し、それは歳を重ねるに従ってより早くなっていくようになってき
た。同じ時間経過なのになぜそう感じるのか、こんな疑問に答えてくれたのが
『ボーッと生きてんじゃねーよ』と檄を飛ばすチコちゃん。
それによると物事に対する『ときめき』が薄くなる、なくなってきたからだそうだ。例として、
子供が大好きなハンバーグを出されると『美味しそう』と、ときめき『どうやって作ったの?』
『また作ってね』などなどと思ったり感じたりするのに、枯れた我々は素晴らしい会席膳が
出されてもハンバーグを出された子供の半分も感じるもの、ときめきがない。
こうした差が時の過ぎる速度を感じる差になるとのことで、これは日々あることにも通じる
の。このようなことを説明していた。
この説を信じるや否や。
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