コロナ難儀から、運動不足解消とコロナ自粛からの解放感・精神的健康維持を目的で、しかも住まいするベランダから毎朝眺められる長命寺三角山、毎日祈る気持ちを捧げているこの「姨綺耶山長命寺」に39回お詣りさせて頂きました。又、45才~55才の間に西国33ヶ寺お札周りを3回りさせて頂いた経験と、ことある毎に808石段を何度か上がった事を振り返ります。そんなことで、今回「穀屋寺」の何なのかを検索が切っ掛けで、以下のブログ内容となったのであります。
↡ 矢印・・長命寺 ↡
長命寺(ちょうめいじ)は、滋賀県近江八幡市北西端にある長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある寺院。山号は姨綺耶山(いきやさん)。西国三十三所第三十一番札所。天台宗系単立。聖徳太子の開基と伝える。「八千年や柳に長き命寺、運ぶ歩みのかざしなるらん」という詠歌のとおり、「寿命長遠」の御利益があるとされています。湖岸のそばから808段といわれる長い石段を登ると、諸堂の屋根の線が美しく重なりあっています。千手観音を本尊とし、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは市の指定文化財になっているという由緒ある寺院です。四季を通じて多くの参詣者が全国から訪れ、湖辺近くの山腹風景も美しいです。
近江八幡市は、西国三十三カ所の1つ、同市長命寺町にある長命寺の塔頭「穀屋寺」から熊野観心十界曼荼羅(くまのかんしんじつかいまんだら)2点と長命寺参詣曼荼羅3点が見つかったと発表した。十界曼荼羅のうち1点は戦国時代末期(16世紀末、安土桃山時代)の作とみられ、全国最古級という。参詣曼荼羅は縦約154~約161cm、横約159~約180cm。長命寺の境内を上から眺めた視点で描いている。3点はそれぞれ戦国時代末期、江戸時代中期、同後期の作と推定した。
長命寺は永正13年(1516)の兵火で焼失。寺の再興のため、16世紀半ば頃から尼僧が全国を歩きながら十界曼荼羅を用いて布教し、浄財を集めた。穀屋寺は、長命寺再建のため全国に寄付を募った僧や尼僧が拠点にした。同市立資料館と栗東歴史民俗博物館が調査し、木箱に入った曼荼羅5点と古文書約千点を確認した。持ち歩くために折りたたんだ本来の状態で伝来しているのはほとんど例がないという。[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞]
「長命寺参詣曼荼羅」はこれまで長命寺と個人所有の二点が知られていたが、今回、同一場所(木箱)から同時に三点が発見されたのは画期的。長命寺参詣曼荼羅」には長命寺の本堂や三仏堂、三重塔の建物や参詣者のにぎわいなどが克明に描かれており、勧進聖などが絵解きをしながら寄付を募った。
聖徳太子ゆかりのお寺で、天台宗のお寺です。長命寺の塔頭には真静院、妙覚院、禅林院、金乗院の4院があるようです。長命寺に上がる参道の麓に立つ寺院でした。長命寺塔頭の一つのようで「聖徳太子 奉安 穀屋寺」と記された寺号が掲げられていました。
同じものを、今一つ・・
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最新の和水仙、昨日畑からの帰路採集・・誰の目にも映らない旧野洲川南流の沼状斜面に独咲き
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結果的に出丸に一直進のつもりがロープウェーの頂上駅に辿り着いた。
道なき道を上へ上へ四つ足になってとにかく上へ枯れ葉で滑り、倒木に
裏切られ、浮いた木の根を夢中で掴み転落をやっとのことで免れ、稜線
に出る事が出来、助かったんです。今までにない変な満足感!!
この濃い葉っぱは?不安定な姿勢でこれは撮りたい!と・・
冷や汗を流して、次に、助かった・・下りられる幸せに・・空っぽの心
日牟禮八幡宮を みたび 奉拝する
通 ⇊ 至 コロナ・オミクロン
神 ⇊ 誠 退散・祈願
・・八幡公園駐車場に戻れた・・
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【歩きメモ】9926歩・7.0km・28g・1753kcal
日記風575 八幡山城の生活の様子の疑問?
「五回目の 八幡山に 道迷い」「石段の 長命寺山 足元まし」
「城上がる 玄関口が 未だ不明」「馬屋駕籠 武将必須 どの様に」
ー1年前のブログ参照ー
守山市・図書館で出会ったサムライ・・ - びわ湖・勝手気ままな日々!
この本に出合って、良かった!溜飲が下がる思いだ・・探し当てた自分の幸運と著者のサムライスピリットをそのまま写し出したい大きな思い。(手抜きと...
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