砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

夏目漱石『三四郎』

2024-12-25 16:20:01 | 日本の小説

クリスマスなのでブログを書きます。

11月下旬、山手線1周RTA後に引いた風邪がまだ完治しておりません。
よくなってきたタイミングで酒を飲んだり、エアコンつけて寝落ちしたりした結果、ぶり返しています。
人間、調子に乗るとよくないですね。油断せず生きていかないと。

まあまあ真面目に働いていたら12月があっという間に過ぎていって。
気づけば月末、というか、もうすっかり年末ですね。
年末らしいことをまったくしていません。
油断せずサボっていかないと。



漱石の『三四郎』を読み返しました。
ものすごく面白かったです。昔読んだ時よりも、作品の奥深さが感じられるようになって。
というわけで今日は『三四郎』について。

はじめて読んだときは、ヒロインである美禰子にばかり目が行っていました。
この美禰子(みねこ)という人物は、主人公の同郷の先輩である野々宮さんの妹、よし子の友人です。
わりあい明瞭な性格であるよし子と対比されるかたちで、本性がわからない、冗談なのか真面目なのか曖昧な態度を取る、非常にミステリアスな女性として描かれます。
漱石のほかの作品でいうならば、『草枕』の那美、『行人』の直に重なる部分があるように思います。


簡単に言ってしまえば青春群像劇のような小説です。
帝国大学(現在の東京大学)に進学するため、熊本から上京してきた小川三四郎。
彼は様々な人物と出会いますが、なかでも美禰子に強く惹かれていきます。
友人たちと菊人形を見に行った際に、主人公と抜け出して谷中付近を散歩したり、また別の日に一緒に絵画の展覧会に行ったり。

物語の冒頭で会った女性から「あなたは余っ程の度胸の無い方ですね」と言われ、母親からも手紙で「お前は子供の時から度胸がなくっていけない」と言われた三四郎。
しかし美禰子には、あるとき意を決して「あなたに会いに行ったんです」と伝えます。これで自分の思いが十分伝わると踏んでの発言です。
その後美禰子は、初めて三四郎と会った日のことをほのめかします。
そして…というストーリーなのですが、まだ読んだことがない人はぜひ読んでみてください。
青空文庫にもあります。

登場人物も個性豊かで。
恐らくADHD的で騒動を巻き起こしていく与次郎や、知識は豊富だけど何を研究しているのかさっぱりわからない野々宮さん、ぱっとしない知識人の広田先生をめぐるエピソードも面白いです。
特に広田先生の言動には、漱石自身の気持ちや思考がかなり投影されているのではないか。自我を主張する近代人、偽善と露悪をめぐる話も漱石らしくて。『私の個人主義』で述べられている内容と、重なるように思います。


また、広田先生が何故結婚をしないのか、それとなく主人公に伝えるエピソードも興味深くて。
物語の終盤になって「たとえば」と先生は話を始めます。

たとえばここに一人の男がいる。父が早くに死に、母と生活をしていた。しかし母も病気になり、いよいよ死ぬ間際になった時に「私が死んだらこの男を頼れ」と言う。会ったこともない、知りもしない人だ、妙だと思って問い詰めたら、実は自分が不義理をした末に生まれた子である、その人がお前の本当の父親だと告げられる。
そうすると、その男は結婚に対して強い幻滅を抱くことになる。


広田先生はそう語ります。
三四郎は「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」と、あくまで寓話の1つとして受け取りますが、先生はハハハハ、と笑った後に「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」と答えます。

この対話の描写がすごいなと思います。
三四郎の問いかけに対して直接返答するわけではないし、明確に肯定も否定もしない。
しかし自分の母親がすでに亡くなっていることは伝えている。
三四郎が美禰子に対して、「あなたに会いに行ったんです」と言えば十分伝わると踏んだように、広田先生も自分の母親の死に言及することで、自分の言いたいことが三四郎に十分伝わると考えたのかもしれません。


「自分の親は本当の親ではなかった」というエピソードは、漱石自身の体験でもあります。
以前『坊っちゃん』について書いた時にも触れましたが、彼は幼少期に里親に出された経緯があります。
その体験は漱石の人生に大きく影を落としていて。
『彼岸過迄』でも、主人公の友人が似たような生い立ちを持つことが明らかになります。

漱石のそういった体験が、どのように作品に影響しているか。
マクロな視点で言えば、「安定した環境のなかでの適度な愛情供給が不足すると、他者に対する強い不信感に結びつく」ということになるのかもしれません。

この『三四郎』で主人公は、美禰子の件でも与次郎の件でも、いろんな形で裏切られることになります。先輩の野々宮さんも、裏切られることになります。このへんの「人から裏切られる」ことによる苦しさ、たまんないですね。漱石を読むことでこそ、得られる栄養です。
彼の代表作『こころ』では、先生は親戚から裏切られるし、親友を裏切ります。『三四郎』の次の作品『それから』では、自然の心に従った結果、主人公は友人や家族を裏切ります。比較的シンプルな作品である『坊ちゃん』でも、赴任先の松山の人間に対して著しい不信感を抱いていました。

こういう猜疑心や不信感を、漱石自身も抱いていたのかもしれません。
そう思うと、さぞ苦しかっただろうなと勝手に気の毒に思います。


みなさんはどうでしょう。
ちゃんと信頼できる人はいますか。
人を裏切って傷つけた経験はありますか、裏切られたことはありますか。
私は裏切ったことも、裏切られたこともあります(今も職場を裏切ってブログを書いてます)。
だからこそ、漱石の作品が染み入るのかもしれません。
年を重ねても、また読み返したいです。


へっぴり腰マンの惑乱

2024-12-03 18:33:12 | 日記
疲れたなー。


風邪を引いています。
11月末に行った山手線RTAのせいか、体調を崩してしまいまして。
先週から今週にかけて、ずっと咳が出ていて。
治そうと思って早めに寝るのですが、咳で夜中や明け方に目が覚めます。

熱が出たら絶対休もうと思っていたのに、肝心の熱が出ない。
夜中に「あっ!これ絶対熱ある!!明日朝イチで測ろう、ヤッピー!!」と思うんですよ。
翌朝、体温計を使うと36.6℃。なぜなのか。
働きたくないょ。

例年この時期になると風邪を引いています。
エアコンによる乾燥のせいでしょう。
以前談春の落語を聞きにいった際も、咳を我慢するのにえらい難儀しました。
また酒を飲んで寝ると、体調を崩すことが多いです。
酒を控えねばな。寂しいことではあるが。
酒を注がずに、衰えゆく自分の身体にまなざしを注がなくてはな。


仕事が忙しく、仕事の夢を見ます。
夢のなかでも仕事をしていて、そのぶんの残業代ほしいょ。

仕事をしながら、人間と人間のあいだをうろうろしながら、ふと考えること。
つい、上手く立ち回って傷つかないようにしたくなります。
しかしながら、ちゃんとぶつかり合わないといけないこともあるなあ、と。
怒ったりぶつかったりするのはエネルギーを使うし、気持ちが揺り動かさたり、落ち込んだりするから嫌なんですが。それも仕事っちゃ仕事なのかな。簡単に割り切れないけどね。


思えば。
人との衝突を避けてきた人生でした。
昔付き合っていた女性とも、ちゃんとぶつかって、喧嘩をしてぐちゃぐちゃになって別れたことがほとんどないかもしれません。
私の方から連絡を取らなくなって、終わり。デタッチな別れ方をしていました。
いま振り返ると、ほんとうに申し訳ないことをしたなと思います。


数年前、大学時代の指導教官や先輩たちと症例検討したことがあって、私が発表をしました。
その時に言われたことが、今でも記憶に残っています。
「○○さんの治療態度、変に上品というか、はっきり言ってへっぴり腰だよね」と。
別の後輩からは「この人にちゃんと向き合っていないように思います」と。
そのあと、落ち込みながら同期と筑波山に登りました。
「私がやっていたのは、やってるふうに過ぎなかったんだな、全部自己満足だったのかもしれない」とか「クライアントに申し訳ないことをした」と呵責の念に苛まれました。

先日亡くなられた谷川俊太郎さんの言葉に「やさしさは愛じゃない」というものがあります。
そうなんですよね、優しくすることが愛ではないんです。ときに厳しいことも、直面化も必要なのです。

でもつい優しくしちゃう。
自分が不快な思いをしたとしても「この人にはこの人なりの理由があるのかも」と思う。
それはね、本当にそう考えてるわけじゃないんです。
他者とぶつからないための「理由探し」をしているだけなんです。
ただのへっぴり腰なんです。

同時に自分のことも大事にしてないんです。
仮にその人なりの理由があったとしても、自分の理由だって等しく存在するはずなんです。
他人の言い分を大事にすることと、自分の言い分を主張することは背反する事象ではないんですよね。
ぶつかりながら、折り合いをつけていくものであって。


超自我的な存在が苦手です。
おそらく、私の両親がかなり超自我的な職業を生業にしていたのもあるのでしょう。
ただ、そうした両親の影響からはとっくに抜け出してもいいはずの年齢です。
この先ちゃんと人とぶつかれるかなあ。
ぶつかりたくないょ。

「そうやって生きていて、楽しいんですか?」と、昔とあるおじさんに言われたのが未だに残っています。
何だって言うんだよ、ちくしょう。

くりかえされる諸行無常、よみがえる山手線一周RTA

2024-11-27 18:02:33 | 日記
疲れました。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。


自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、思ったよりも新鮮で。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。

とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。


英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。

その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで配信が隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。


先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。

彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。
中間地点といっても、お互いの家が離れていて。2人とも15kmくらい歩いて合流しました。
深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べました。何やってんだよって話ですね。
とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。

今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。

タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、池袋と、新大久保から新宿にかけては人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。

最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。

俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。


くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。

しかしながら。
「妻に美味いものを食べさせる」ことを目的として生きてきた私にとって、妻の不在により、人生の目的をいくぶん見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、何かを頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。

儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月、奈良の県立美術館に行きました。そのとき、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する展示や特集があって。

そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。

1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」の概念はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。

よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どもと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親も、ショックが深くしばらくして亡くなってしまいます。

この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。


そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。

仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われるタール砂漠も見てみたいです。
あっ、でも砂漠は寒暖差が大きいから、私の憎しみが深く燃え上がってしまうかもしれません。
おのれ寒暖差!!!

くりかえされる諸行無常、よみがえるビワコ一周

2024-11-22 16:37:44 | 音楽

またしても、琵琶湖を自転車で1周してきました。
しかも1人で。
来週は友人と山手線RTAをします。
どんだけ回るのが好きやねん、あたしゃハムスターかい。



琵琶湖1周を2回やった印象。
走っていて楽しいエリア、危ないエリア、つまんないエリアがあると感じました。

拙い字で申し訳ないですが、ざっくりこんな感じです。

楽しいエリアは、まずスタートしてすぐの米原~長浜にかけて。
左手に湖を眺めながら走れるので気持ちがよいですね。それから賤ケ岳を上ってから降りていくあたりと、古いトンネルをたくさん通るあたりが楽しいです。
あとは海津(かいづ)のあたりも、古い町並みが残っていて趣があります。


賤ケ岳のトンネル。ここまで登るのは大変ですが、トンネルを抜けた先の展望が素晴らしい。


海津。古い民家が立ち並んでおりよい雰囲気。


危ないのは志賀~大津にかけてのエリア。
自転車用のルートが確保されておらず、交通量の多い車道を走らなくてはなりません。
あとは近江舞子の手前で国道を渡るのですが、横断歩道はあっても信号機がない箇所があり。
昨年、夜間にここを渡ろうとした際に妻が轢かれそうになりました。日中に通ることをお勧めします。


恐らくビワイチで最も危険な横断歩道。

しんどいエリアは主に2ヶ所、近江高島~近江舞子にかけてと、草津~近江八幡にかけてです。
片側はほぼ田んぼ、もう片側は藪になっていて湖も見えず。
ただ走るだけの道で、面白味に欠けます。しかも結構距離があるんだな、これが。


この辺が本当につらく、「ッカ~、つまんね~道!」と独り言をたくさん呟きながら走行していました。

そんなわけで琵琶湖を1周してきました。
昨年は妻と一緒に回ったのですが、先月から彼女が海外におりまして。
彼女との記憶に思いを馳せつつも、ひいひい自転車を漕ぎました。
しかも1日目も2日目も途中で雨に降られるし。
2日目と3日目は、風は強いし急に気温が下がるし、さんざんでした。
そのぶん、終わった後の達成感はとても大きかったです。

今回は宿の位置が微妙でした。
前回は近江舞子の付近に宿泊したため、1日目が本当に大変で。
到着が遅くなり、近江高島を過ぎた頃から真っ暗になってしまって。
暗いなか自転車を漕いだことを反省し、今回はマキノの付近に宿を取りました。

端的に言って、かなり日和ってしまいまして。
1日目の宿をわりあい手前のほうで予約しました。
10時に出発して、のんびり漕いでいたのに15時50分頃には着きました。
走行距離は60㎞、「こんな初日で大丈夫か…?」と不安におののきつつ。
付近には店もないので、風呂に入ってビールを飲みながら『進撃の巨人』を読みました。
『進撃の巨人』面白かったなあ、ようやく最後まで読みました。いい作品でした。

さて2日目は5時半に起き、朝6時半にスタート。
途中で三井寺を観光しましたが、大津で近江ちゃんぽんを食べた以外ほぼ寄り道せず。
それでも宿に着いたのは17時頃でした。走行距離は120㎞、昨日の倍走りました。
バランスおかしいよね。誰がこんなプラン組んだのよ。すみません、私が始めた物語です。

それでも。
宿の雰囲気が良かったです。場所は近江八幡の先の、伊庭(いば)という集落にありました。
ゲストハウスで、店の人に送ってスーパーに買い物に行き、肉うどんを作って食べました。
滋賀県の日本酒も飲みました、美味かったな。

最終日はのんびり9時頃に出発しました。
時間に余裕があったので、長命寺の温泉に入ろうかなとも思ったんですが、「昨日必死に走った道を戻りたくない」という思いが強く、断念しました。
信長の城があった安土に行こうかとも考えたものの「→安土 9.8km」と書かれていて、往復20㎞弱か…と思いながら直進しました。諦めることも大事。

途中で彦根に寄って城に入ったり、お濠で屋形船に乗ったり、ゆったり過ごしました。
そのあと米原に帰ってきて、お土産とビールを買って帰りました。


最終日、道端に落ちていた松ぼっくり、日を浴びてまぶしそうでした。



さらば、米原。


完走した感想です。
今回のビワイチでは、妻の「不在」を、彼女が「いまここにいないこと」を強く感じました。
雨に降られ、心が折れそうになりながら走った道。一緒にパンを食べた公園。空を見上げた天守閣。
そこかしこに、前回のビワイチの思い出が残っていて。
また彼女と一緒に回りたいような、もう走らなくてもいいような、そんな気持ちになりました。

思えば「寂しい」という気持ちを痛感する1年でした。
夏には祖父が亡くなって、心の芯から悲しみを味わいました。
秋には妻が海外に行って、しばらくはなんてことがなかったのです。
それが、今回の旅では本当に寂しく感じられて。
こんなにも自分が寂しがり屋なのだな、と痛感しました。

思えば幼少期のころから、参観日に母親が来なかったことを恨んだり、ピアノの先生が病気になってレッスンが終わるときに泣いたり。
『あさきゆめみし』を読んで、紫の上が亡くなる場面で号泣したりと、その片鱗があったと思うのです。
でも長く中二病を患っていた私は「寂しさ?そんな感情忘れちまったなァ…」と嘯いていたのです。

しかしながら。
やっぱりそんなの嘘だドンドコド-ンでした。
寂しくて泣くなんて3ヶ月の赤子でもすることなのです、人間に深く根差した感情なのです、簡単に消えるはずないのです。
本当は寂しい気持ちを感じると苦しくて、それを認めたくなくて、目を背けていただけだったのですね。
今回のでそれがよくわかったよ。いい巡礼の旅でした。


とはいえ。
おいおい妻のもとを訪問する予定です。再会したら、ポプテピピックごっこでもしようかな。
“A dingo!!”
”Don’t care.”
みたいにね。ハハハハハ。

レイジアゲインストザ事務作業

2024-10-09 16:55:34 | 日記

やったね!(本当にやった)


上半期のまとめみたいな事務作業で忙殺されている。
「忙殺」と言っても、休日出勤やハイパー残業があるわけではない(まあ週6日働いているけど)。
ごはんも食べているし、夜もちゃんと寝ている(まあ週6日以下略)。
なので、読んでいる方は「その程度で大げさな」と思うかもしれない(まあry)。

しかしながら。
私は事務作業が、こまごました作業が心底苦手なのである。
忌み嫌っていると言っても過言ではない。


大学の履修登録で必修を登録し忘れ、呼び出しを食らったこともあれば
旅行の日付を勘違いしていて、思っていたよりも一日早くベルリンに着いたり
財布を人生で6回くらい落としたり、ウィーンでパスポートも落としたり
落とした財布を受け取りに行った警察署でカードを落としたり
無くしたと思って一生懸命探した書類が、ひょっこり鞄から出てきたり…。

このように、うっかりエピソードを挙げれば枚挙に暇がないのである。
これで許してくれている家族には、申し訳なさと感謝でいっぱいである。
失敗を繰り返しているので反省してないように見えるかもしれないが、迷惑をかけている自覚はめちゃくちゃある。
私だってミスをしたくないのだ、本当だ。
冷や汗をかきながら鞄の中身をあさったり、冷や汗をかきながら大使館に連絡したりしたくないのだ。


そんな私が事務作業をするとどうなるか?
とうぜんミスが頻発することになる。
そのためミスが起きないか、常に気を張らなくてはならない。
しかしながら。

悲しいかな、私という人間はどれだけ気を張ってもミスをしてしまう。
そのつど自己嫌悪に陥る。「俺はなんてダメなんだ」という気持ちに頭を占領されてしまう。
そうなると、体力的には全然しんどくないのだが精神ががりがりと削られていく。


どんなことでメンタルが削られるかは人それぞれで。
プレゼンが嫌な人もいれば、電話業務が嫌な人もいるだろう。
残業がしんどい人もいれば、「これ意味あんの?」みたいな業務をつらく感じる人もいるだろう。

私で言うなら、事務作業に加えて、人間のあいだをうろうろして調整するのも精神がすり減る。
相手の要望も通してあげたいけど、必ずしもそうではない場合もあるし。
部署同士の板挟みに遭うと爆発しそうな気分になる。それに書類仕事が重なると最悪だ。
そういう時はもう、ドヴォルザークの弦セレやチャイコの6番を聴きながら、少し歩いて遠回りして帰らないと脳がリセットされない。「おのれ人間ども!!」という心境である。


メンタルが削られたときが恐ろしいのは、どこからともなく「負の循環」を生んでしまうことだと思う。
自分の嫌な業務ばかりをしていると、「誰も助けてくれない」「自分だけが被害を被っている」という気持ちがむくむく湧き上がってくる。そういう気持ちで仕事をしていると、いい成果が生まれるはずもない。
そういうときこそ「ちょっとしんどいです」「手伝ってほしくて」と、ちゃんと人に頼らなくてはならない。

以前、ある本を読んでいたら「怒っている人は困っている人」と書かれていた。
そうなのだ、かっとなって怒鳴ったり切れたりしている人は、本当は困っているのだと思う。
私自身も忙しくなるとイライラがつのったり、余裕がなくなったりする。
表面に出てくるのはイライラや切迫感だけど、心の奥底では困っているのだ。
誰かに助けてもらいたいし、優しくしてほしいのだ。


自分の気持ちの余裕がどのくらい残っているのか、ちゃんと振り返りながら働いていけるとよいのだろう。
というわけでこのブログを書いている。
ちなみに余裕はぜんぜんない。
全然ないことを認識できてよかった。誰か助けてください。