疲れました。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。
自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、新鮮でした。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。
とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。
英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。
その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。
先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。
彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べた思い出があります。
中間地点といっても、それぞれ家が遠くて。お互い15kmくらい歩いて合流しました。何やってんだよって話ですね。とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。
今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。
タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、新宿は人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。
最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。
俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。
くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。
しかしながら。
妻に美味いものを食べさせることを目的として生きてきた私にとっては、妻の不在により、いくぶんか人生の目的を見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。
儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月に奈良に行って、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する特集をしていて。
そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。
1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。
よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どものケアと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親もすぐに亡くなってしまいますし。
この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。
そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。
仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われる、タール砂漠も見てみたいです。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。
自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、新鮮でした。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。
とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。
英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。
その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。
先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。
彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べた思い出があります。
中間地点といっても、それぞれ家が遠くて。お互い15kmくらい歩いて合流しました。何やってんだよって話ですね。とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。
今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。
タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、新宿は人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。
最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。
俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。
くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。
しかしながら。
妻に美味いものを食べさせることを目的として生きてきた私にとっては、妻の不在により、いくぶんか人生の目的を見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。
儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月に奈良に行って、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する特集をしていて。
そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。
1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。
よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どものケアと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親もすぐに亡くなってしまいますし。
この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。
そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。
仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われる、タール砂漠も見てみたいです。