砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

くりかえされる諸行無常、よみがえる山手線一周RTA

2024-11-27 18:02:33 | 日記
疲れました。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。


自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、新鮮でした。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。

とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。


英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。

その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。


先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。

彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べた思い出があります。
中間地点といっても、それぞれ家が遠くて。お互い15kmくらい歩いて合流しました。何やってんだよって話ですね。とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。

今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。

タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、新宿は人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。

最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。

俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。


くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。

しかしながら。
妻に美味いものを食べさせることを目的として生きてきた私にとっては、妻の不在により、いくぶんか人生の目的を見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。

儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月に奈良に行って、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する特集をしていて。

そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。

1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。

よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どものケアと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親もすぐに亡くなってしまいますし。

この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。


そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。

仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われる、タール砂漠も見てみたいです。

くりかえされる諸行無常、よみがえるビワコ一周

2024-11-22 16:37:44 | 音楽

またしても、琵琶湖を自転車で1周してきました。
しかも1人で。
来週は友人と山手線RTAをします。
どんだけ回るのが好きやねん、あたしゃハムスターかい。



琵琶湖1周を2回やった印象。
走っていて楽しいエリア、危ないエリア、つまんないエリアがあると感じました。

拙い字で申し訳ないですが、ざっくりこんな感じです。

楽しいエリアは、まずスタートしてすぐの米原~長浜にかけて。
左手に湖を眺めながら走れるので気持ちがよいですね。それから賤ケ岳を上ってから降りていくあたりと、古いトンネルをたくさん通るあたりが楽しいです。
あとは海津(かいづ)のあたりも、古い町並みが残っていて趣があります。


賤ケ岳のトンネル。ここまで登るのは大変ですが、トンネルを抜けた先の展望が素晴らしい。


海津。古い民家が立ち並んでおりよい雰囲気。


危ないのは志賀~大津にかけてのエリア。
自転車用のルートが確保されておらず、交通量の多い車道を走らなくてはなりません。
あとは近江舞子の手前で国道を渡るのですが、横断歩道はあっても信号機がない箇所があり。
昨年、夜間にここを渡ろうとした際に妻が轢かれそうになりました。日中に通ることをお勧めします。


恐らくビワイチで最も危険な横断歩道。

しんどいエリアは主に2ヶ所、近江高島~近江舞子にかけてと、草津~近江八幡にかけてです。
片側はほぼ田んぼ、もう片側は藪になっていて湖も見えず。
ただ走るだけの道で、面白味に欠けます。しかも結構距離があるんだな、これが。


この辺が本当につらく、「ッカ~、つまんね~道!」と独り言をたくさん呟きながら走行していました。

そんなわけで琵琶湖を1周してきました。
昨年は妻と一緒に回ったのですが、先月から彼女が海外におりまして。
彼女との記憶に思いを馳せつつも、ひいひい自転車を漕ぎました。
しかも1日目も2日目も途中で雨に降られるし。
2日目と3日目は、風は強いし急に気温が下がるし、さんざんでした。
そのぶん、終わった後の達成感はとても大きかったです。

今回は宿の位置が微妙でした。
前回は近江舞子の付近に宿泊したため、1日目が本当に大変で。
到着が遅くなり、近江高島を過ぎた頃から真っ暗になってしまって。
暗いなか自転車を漕いだことを反省し、今回はマキノの付近に宿を取りました。

端的に言って、かなり日和ってしまいまして。
1日目の宿をわりあい手前のほうで予約しました。
10時に出発して、のんびり漕いでいたのに15時50分頃には着きました。
走行距離は60㎞、「こんな初日で大丈夫か…?」と不安におののきつつ。
付近には店もないので、風呂に入ってビールを飲みながら『進撃の巨人』を読みました。
『進撃の巨人』面白かったなあ、ようやく最後まで読みました。いい作品でした。

さて2日目は5時半に起き、朝6時半にスタート。
途中で三井寺を観光しましたが、大津で近江ちゃんぽんを食べた以外ほぼ寄り道せず。
それでも宿に着いたのは17時頃でした。走行距離は120㎞、昨日の倍走りました。
バランスおかしいよね。誰がこんなプラン組んだのよ。すみません、私が始めた物語です。

それでも。
宿の雰囲気が良かったです。場所は近江八幡の先の、伊庭(いば)という集落にありました。
ゲストハウスで、店の人に送ってスーパーに買い物に行き、肉うどんを作って食べました。
滋賀県の日本酒も飲みました、美味かったな。

最終日はのんびり9時頃に出発しました。
時間に余裕があったので、長命寺の温泉に入ろうかなとも思ったんですが、「昨日必死に走った道を戻りたくない」という思いが強く、断念しました。
信長の城があった安土に行こうかとも考えたものの「→安土 9.8km」と書かれていて、往復20㎞弱か…と思いながら直進しました。諦めることも大事。

途中で彦根に寄って城に入ったり、お濠で屋形船に乗ったり、ゆったり過ごしました。
そのあと米原に帰ってきて、お土産とビールを買って帰りました。


最終日、道端に落ちていた松ぼっくり、日を浴びてまぶしそうでした。



さらば、米原。


完走した感想です。
今回のビワイチでは、妻の「不在」を、彼女が「いまここにいないこと」を強く感じました。
雨に降られ、心が折れそうになりながら走った道。一緒にパンを食べた公園。空を見上げた天守閣。
そこかしこに、前回のビワイチの思い出が残っていて。
また彼女と一緒に回りたいような、もう走らなくてもいいような、そんな気持ちになりました。

思えば「寂しい」という気持ちを痛感する1年でした。
夏には祖父が亡くなって、心の芯から悲しみを味わいました。
秋には妻が海外に行って、しばらくはなんてことがなかったのです。
それが、今回の旅では本当に寂しく感じられて。
こんなにも自分が寂しがり屋なのだな、と痛感しました。

思えば幼少期のころから、参観日に母親が来なかったことを恨んだり、ピアノの先生が病気になってレッスンが終わるときに泣いたり。
『あさきゆめみし』を読んで、紫の上が亡くなる場面で号泣したりと、その片鱗があったと思うのです。
でも長く中二病を患っていた私は「寂しさ?そんな感情忘れちまったなァ…」と嘯いていたのです。

しかしながら。
やっぱりそんなの嘘だドンドコド-ンでした。
寂しくて泣くなんて3ヶ月の赤子でもすることなのです、人間に深く根差した感情なのです、簡単に消えるはずないのです。
本当は寂しい気持ちを感じると苦しくて、それを認めたくなくて、目を背けていただけだったのですね。
今回のでそれがよくわかったよ。いい巡礼の旅でした。


とはいえ。
おいおい妻のもとを訪問する予定です。再会したら、ポプテピピックごっこでもしようかな。
“A dingo!!”
”Don’t care.”
みたいにね。ハハハハハ。

レイジアゲインストザ事務作業

2024-10-09 16:55:34 | 日記

やったね!(本当にやった)


上半期のまとめみたいな事務作業で忙殺されている。
「忙殺」と言っても、休日出勤やハイパー残業があるわけではない(まあ週6日働いているけど)。
ごはんも食べているし、夜もちゃんと寝ている(まあ週6日以下略)。
なので、読んでいる方は「その程度で大げさな」と思うかもしれない(まあry)。

しかしながら。
私は事務作業が、こまごました作業が心底苦手なのである。
忌み嫌っていると言っても過言ではない。


大学の履修登録で必修を登録し忘れ、呼び出しを食らったこともあれば
旅行の日付を勘違いしていて、思っていたよりも一日早くベルリンに着いたり
財布を人生で6回くらい落としたり、ウィーンでパスポートも落としたり
落とした財布を受け取りに行った警察署でカードを落としたり
無くしたと思って一生懸命探した書類が、ひょっこり鞄から出てきたり…。

このように、うっかりエピソードを挙げれば枚挙に暇がないのである。
これで許してくれている家族には、申し訳なさと感謝でいっぱいである。
失敗を繰り返しているので反省してないように見えるかもしれないが、迷惑をかけている自覚はめちゃくちゃある。
私だってミスをしたくないのだ、本当だ。
冷や汗をかきながら鞄の中身をあさったり、冷や汗をかきながら大使館に連絡したりしたくないのだ。


そんな私が事務作業をするとどうなるか?
とうぜんミスが頻発することになる。
そのためミスが起きないか、常に気を張らなくてはならない。
しかしながら。

悲しいかな、私という人間はどれだけ気を張ってもミスをしてしまう。
そのつど自己嫌悪に陥る。「俺はなんてダメなんだ」という気持ちに頭を占領されてしまう。
そうなると、体力的には全然しんどくないのだが精神ががりがりと削られていく。


どんなことでメンタルが削られるかは人それぞれで。
プレゼンが嫌な人もいれば、電話業務が嫌な人もいるだろう。
残業がしんどい人もいれば、「これ意味あんの?」みたいな業務をつらく感じる人もいるだろう。

私で言うなら、事務作業に加えて、人間のあいだをうろうろして調整するのも精神がすり減る。
相手の要望も通してあげたいけど、必ずしもそうではない場合もあるし。
部署同士の板挟みに遭うと爆発しそうな気分になる。それに書類仕事が重なると最悪だ。
そういう時はもう、ドヴォルザークの弦セレやチャイコの6番を聴きながら、少し歩いて遠回りして帰らないと脳がリセットされない。「おのれ人間ども!!」という心境である。


メンタルが削られたときが恐ろしいのは、どこからともなく「負の循環」を生んでしまうことだと思う。
自分の嫌な業務ばかりをしていると、「誰も助けてくれない」「自分だけが被害を被っている」という気持ちがむくむく湧き上がってくる。そういう気持ちで仕事をしていると、いい成果が生まれるはずもない。
そういうときこそ「ちょっとしんどいです」「手伝ってほしくて」と、ちゃんと人に頼らなくてはならない。

以前、ある本を読んでいたら「怒っている人は困っている人」と書かれていた。
そうなのだ、かっとなって怒鳴ったり切れたりしている人は、本当は困っているのだと思う。
私自身も忙しくなるとイライラがつのったり、余裕がなくなったりする。
表面に出てくるのはイライラや切迫感だけど、心の奥底では困っているのだ。
誰かに助けてもらいたいし、優しくしてほしいのだ。


自分の気持ちの余裕がどのくらい残っているのか、ちゃんと振り返りながら働いていけるとよいのだろう。
というわけでこのブログを書いている。
ちなみに余裕はぜんぜんない。
全然ないことを認識できてよかった。誰か助けてください。

8月が終わる

2024-09-03 19:00:00 | 日記

祖父が亡くなりました。
翌日に職場の飲み会があったので、「身内が亡くなったので明日の飲み会を欠席したい」という、ありがちな連絡をしました。このような連絡をする日が来るなんてなあ…。

それにしても。
人が死ぬってこんなに悲しいものなのか。
びっくりするほど泣きました。今でも、不意に涙が出ます。


ある程度は覚悟していたのです。
昨年にがんが見つかり、母から闘病の様子を聞いていました。
それに、盆に会ったときには人が変わったように痩せていました。

8月半ばに帰省して祖父宅に行きました。
話には聞いていたけれど、かなりやつれた祖父の姿を目の当たりにして。
祖父には申し訳ないのですが「人が死ぬということ」を意識してしまって。
涙をこらえようとしたものの、溢れてしまいました。
少し話したあとに、祖父から「握手しよう」と提案があり、握手しながら一声かけられました。
こらえるのに必死だったので、何を言われたかはっきり覚えていません。

確か「あんたはまだまだこれからじゃ、がんばっての」とかだったと思います。
はっきりと覚えているのは「あんたたちのおかげでだいしょ楽しかったわ」と言われたこと。
だいしょ、というのは山口の方言で「ぼちぼち」「多少」という意味です。
その言葉を聞いて、やはり涙があふれてしまいました。
それから肩を組んで写真を撮りました。
祖父は自分の最期が近いことを、どこかでわかっていたのかもしれません。


上京する新幹線では、祖父のことを考えると涙が出るので映画を観ました。
しかしAmazon Primeで観た映画「丘の上の本屋さん」は、少年と古本屋のおじいさんの交流を描く物語で、ありがちなストーリー展開でしたがめちゃくちゃ泣いてしまいました。
隣の座席の人から、あまりにも脆い涙腺を心配されたのではないか。

その次に見えた映画が「星の旅人たち」でした。
こちらは息子の死を悼む父が巡礼の旅に出る話で、またしても泣いてしまいました。
映画のチョイスを完全に間違っていた気がします。
「プラトーン」とか「フルメタルジャケット」にすればよかった。

祖父と会い、「長くはないのかもしれない…」という予感がありました。
だからこそ思ったのです。もっと帰省しよう、祖父に会いに来よう、と。
でも、次に祖父に会えたのは亡くなったあとでした。


聡明な祖父でした。
読書が好き、将棋が好き、何よりみんなで集まってお酒を飲むのが大好きでした。
酔うと軍歌を歌っていました、寝るときは「グッナ~イ」と陽気に挨拶していました。
そんな祖父の本棚から、これまでも何冊か本を貰っていて。

私が中学~高校のとき、シドニィ・シェルダンにはまったため、『時間の砂』をもらいました。
あとは数年前に川端康成の『古都』をもらいました、こちらもいい作品でした。
今回、葬儀が終わった後に祖父宅に寄って、本棚からウンベルト・エーコの『薔薇の名前』をもらいました。
ずっとほしいと思っていた本を貰えたのは嬉しいけど、祖父が生きているうちに譲り受けたかった。
以前は挫折した『薔薇の名前』、今度こそ読み通したいと思います。


亡くなった報せを受けたのが出勤中だったので、泣きながらもいったん出勤して。
むせび泣きつつ先輩に報告して「大丈夫?上には報告しておくからすぐに帰っていいよ」と言われ、そのやさしさでまた泣いてしまいました。上司にも報告して「とりあえず早く帰りな」と言われました、そのやさしさでまた泣きました。泣いてばっかりじゃねえか!

帰宅して心を落ち着かせるために、ちょっといいスーパーで買ったうなぎを妻と食べました。
悲しみでいっぱいだったけど、あのうなぎ美味しかったな…。
それから新幹線に乗り、地元へと向かったのです。
祖父の遺体と対面すると、当然ながらまた涙が溢れました。

葬儀では久しぶりに会ういとこもいて、祖父の話で盛り上がりながら泣きました。
集まれる親族がたくさんいるのが幸せなものです。
それもきっと、祖父が人好きであり、人からも好かれる人物だったからだと思います。


さようなら、かつてこのブログを印刷して読んでくれていたおじいちゃん。
今までありがとう。できたらそっちでも引き続きブログを読んでください。

スッポンとの対話

2024-08-09 17:20:51 | 日記


体調を崩しておりました。
最初はエアコンのせいかな、夏風邪かなと思っていて。
身体がだるいし、微熱があるし…でも大事な会議があるから出勤しなきゃ…!と思って出勤したら、他の参加者も体調不良で早退していたし、私も念のため検査したらバリバリ陽性でした。
酷暑のなか早退するのも、それはそれでしんどかったです。



件の感染症にかかったのは1年ぶり2回目です。去年の夏になって、めちゃくちゃきつくて。
今回も最初の2日は高熱とだるさがあり、ずっと寝ていました。でも途中から元気になり、少し手の込んだ料理を作ったり念入りに掃除をしたり、Steamのセールで買っておいたバイオハザードRE2をやったりしました。

職場から「5日間は来ないでね」と言われたので、図らずも長めの連休を獲得してしまいまして。
3日目あたりから元気になったので、「この機会を逃す手はない」と思い、他の人にうつさないように気を付けつつめちゃくちゃ出かけました。


まず上野へ。
都美術館でキリコ展に行きました。それから不忍池のあたりをぐるっと回りました。キリコ展も良かったですが、同じ会場でやっていた「大地に耳をすます 気配と手触り」という展示がとても素敵でした。
なかでも、ふるさかはるかさんの作品がよかったです。木を伐って、幹を彫って版画をされている方で。

写真OKだったので会場を撮りました。
版画も素敵だったし、色使いが美しかった。10月9日までやっているようなので、興味のある方はぜひ。


あとは相模原へ。
水族館に行きました。嫁は普通に仕事だったので、2人では行かないような場所を探して。「相模原ふれあい科学館 アクアリウムさがみはら」という、淡水魚ばかり展示しているニッチな水族館に行きました。こちらも楽しかったです。



相模原まで遠いし、駅周辺には夜のお店ばかりで他に何もないし、駅からバスで30分という絶望的な立地でしたが、水族館は開放的で明るく、とてもよい雰囲気でした。
体験型ワークショップとして、小さいアクアリウムを作ろう!というイベントがあったので、小さい子どもたちに交じって瓶にカラフルな砂を入れたり、黄色のリボンを結んだりしました。あとはスッポンとしばらく対話をしました。
スッポンもスッポンで大変とのこと。そうだよな、私だけ大変なわけないよな。


あとは伊香保に旅行に行きました。石段がしんどかったですが、宿がたいそう趣深く、とてもよい体験でした。
2日目には榛名湖まで行って、ロープウェーに乗ろうとしたら「運転中止」と書かれていました、悔しさのあまり地面に突っ伏しました。



あとは榛名湖にあった日帰り温泉の施設がよかったです。520円なのにこんな広いし露天もあるのかよ、と感動しました。
その施設で練習をしている吹奏楽部の学生たちもいました、合宿なのでしょうか。青春しとんねえ。


このようにして連休は過ぎていきました。
連休が過ぎ去ったあと、私の胸に去来したのは「働きたくない」という確固たる気持ちでした。
たぶん感染症の後遺症だと思います。

それにしても。
なぜ、こんなに働きたくないのでしょう。
低賃金で長時間拘束されているからでしょうか。
やりたくない業務に向き合わなければならないからでしょうか。
人間関係のあいだを揺蕩うことが疲れるからでしょうか。
自分がやっている業務に対して、「これが一体何になるんだろう」「本当に誰かの役に立っているのだろうか」という疑念が湧き上がってくるからでしょうか。
あるいは、身も心も資本主義に取り込まれてしまい、マルクスが言うように、世間から、労働から疎外(Entfremdung)されているからなのでしょうか。


美しい作品に触れているとき、夕方の不忍池を歩いているとき、スッポンと対話しているとき。
私は、私が世界との接触が失われていたように感じられました。
自分の人生とはまるで無関係に作品や景色、スッポンは存在していて。
自分がせっせと働いているなかでもそれらはたしかに存在し続けていて。
そういったことを、自分がすっかり忘れていたことに気づいたのです。
同時に「私はいったい、何をしていたんだろう」という気持ちにもなって。
せこせこ働くあまり、いろいろなことを取り落としていたのです。

とはいえ。
働きたくない思いは強いのですが、それでも働かなくてはならないわけで。
スッポンも働いているくらいですからね。

もちろん、「仕事を楽しもう!」「やりたいことを仕事に!」「好きなことで、生きていく」など宣うつもりはないです。そんなことを言っても、やっぱり仕事がしんどいときがあります。
100%ハッピーで楽しかったら、私のような仕事は生まれてこないわけですから。

それはそれとして。
私自身、世界との接触の仕方を、もう少し考えていかなきゃな、と思うわけです。
何かを美しく感じたり、丁寧に掃除をしたりするだけでなく、ちゃんと仕事に対して憎しみの炎を燃やすことも、しっかりと責任を持ってぼんやりすることも、立派な接触です。

気を抜くとすぐに世界と分離していってしまうので、ちゃんと休まなくてはならないですね。
ウオーあと100日くらい休みたい。


そう、だからこうしてブログを書いているんです。
いいですか、この文章は私が世界との接触について考えるためであって、決してサボりたくて書いているわけじゃないんですよ。