悲しいのでブログを書きます。追悼の思いも込めて。
好きなアーティストが亡くなるのは決して珍しいことではありません。特にミュージシャンは、フジファブリックの志村やミッシェルのアベフトシのように、若くして亡くなる人も多いですよね。当然、年をとれば亡くなる人も増えていくものです。
そういえば百人一首にこんな歌があります。
誰をかもしる人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
現代語訳すると「いったい誰を知る人(友人)にしようか、(長寿で有名な)高砂の松も、昔からの友人ではないのに」という歌になります。これをさらに補足して解釈すると「年をとって知り合いと呼べる人はずいぶん亡くなってしまった。今の私はいったい誰を友人としたらいいんだろう。長寿の高砂の松、お前くらいしかいないのだろうか。お前もきっと孤独なことだろう。ああ、独りになっていくのは本当に悲しくて寂しいことだなぁ…」といった具合でしょうか、古典は苦手なのであてになりませんが…(苦笑)
たとえ一方的にでも知っている人が亡くなるのは、どんなに相手との距離があっても心にちくりとくるものです。長生きするとそのぶん好きな人たちがどんどん死んでしまうのだよな、いやだなあ。
そんな前置きはいいとして。今日紹介するのはSteely Dan(スティーリー・ダン)というアメリカのジャズ、ロックバンド。最初は複数のメンバーがいたのですが、途中からはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人組となります。そして昨日、ギターのウォルター・ベッカーが亡くなりました、67歳でした。悲しい…。
彼らは一言でいうと「職人」です。そんじょそこらの職人ではありません。「いかん!!」「ちがう!!」とか言いながら、納得いくものができるまで何度も壺を壊すような職人です。人間国宝です、世界遺産です、国連事務総長です、最後のは違います。
この『Aja』を出したあたりから、曲の完成度に対するこだわりが特に強い気がします。前作の『Royal Scam』もギターにラリー・カールトンを筆頭に多くのプロ・ミュージシャンが参加し、非常に良い作品でした。しかしこの『Aja』は段違いです。曲の展開はすごいし、音のひとつひとつが綺麗だし、アルバム全体のバランスも完璧と言っていいくらいでしょう。
きっと、時間も精神力も費やしてストイックに作りこんでいたのだと思います。そうなると強いストレスがかかり、酒やドラッグにおぼれていくもの。ということで彼らはこのあと『Gaucho』という、これまたすごい名盤を作り上げたのち長い休止期間に入りました。ウォルター・ベッカーは薬物におぼれていましたが、それを克服するためにハワイに移住し、以後はプロデューサーとして活動していくことになります。
本作について。個人的に一番好きで聴きこんだのは『Gaucho』なんですが、思い入れの深さで言うと『Aja』の方が強いです。自分が彼らを好きになったアルバムなので。というわけで恒例の好きな曲紹介。
2曲目「Aja」
Steely Dan - Aja
タイトルトラック。魅力的だけど力強いというか、静と動のバランスのとれた不思議な曲。途中の展開の部分では、ドラムもすごいですけど曲の進行もすごいです。何回転調してるんだろ。キリンジの「奴のシャツ」のアウトロは、きっとこの曲を意識しているはず。
3曲目「Deacon Blues」
Steely Dan - Deacon Blues
世界でもっともコード進行が美しい曲のひとつ。曲の美しさとは対照的に、歌詞の内容はややハードボイルド感があります。サックスの手ほどきを受け、自分が感じるままに演奏し、スコッチウイスキーを一晩中飲み…そんな世界観を描いているようです。歌詞の詳しい内容についてはこちらのサイトが詳しいかと。
4曲目「Peg」
Steely Dan - Peg - HQ Audio
ベースラインが格好いいノリの曲。Gauchoにも「Time out of mind」という似た感じの曲が入っています。「Peg」の方がギターの主張が強いかな。最後すごくいいギターのフレーズを弾きつつフェイドアウトしていきます、もったいない気もする。
このアルバムに唯一欠点があるとすれば「短い」ということです。38分があっという間に過ぎてしまう。もっともっと聴いていたいのに、という感じですね。これはあれか、そうやって物足りなさを感じさせることで次のアルバムも買わせる作戦なのかな、おのれスティーリー・ダン。
曲の端々から溢れ出る「マジでニューヨークっすわー」「超ブルックリンですわー」みたいな雰囲気(文章から溢れ出る筆者の深刻な語彙力不足)。日本で言うと麻布とか六本木のようなお洒落感が満載なのです。麻布も六本木も人生で2回くらいしか行ったことないけれど。ああいうお洒落なところに行くと身体が灰になる病気なので。
上述したように、初期~中期のキリンジもきっと彼らの影響を強く受けていますね。複雑なコード進行にしかり、曲の展開にしかり。スティーリー・ダン通である冨田恵一氏がプロデューサーだった影響もあるのでしょう。それから小沢健二も「天使たちのシーン」の中で「真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン 遠い街の物語 話してる」と歌っています。数々のアーティストに影響を与えた人たちであることは間違いないでしょう。そういった点では偉大な人たちだと思います。作品の数はそこまで多くないし、何年も活動を停止していたけれど、一生通して繰り返し聴けるくらい濃密な作品を作っています。音楽界の冨樫みたいな人たちなのです、違うか。
他のミュージシャンが亡くなったとき、ここまで悲しく思うことはありませんでした。ここ数年で活動を再開していたから、というのもあるのでしょう。長い沈黙のあとにリリースされた『Two Against Nature』を聴いたとき、またいい作品を世に生み出してくれるんだなと、本当に喜ばしく、そして頼もしく思ったものです。でも2003年のアルバム『Everything Must Go』(閉店売り尽くし、の意味)が文字通り最後のアルバムになってしまったのですね。一度でもいいから、ライブで観たかったなあ。
あまりにも悲しかったせいか、昨日「ちゃんこ鍋屋の店長のおばあさんが亡くなって、店の葬式に参列して泣く」という夢を見ました。ウォルターの訃報のせいかしら。それにしても「ちゃんこ鍋屋」という絶妙な(あるいは微妙な)チョイス。お洒落なバーでも夜景の見えるレストランでもないあたりが自分の限界を感じました。いくらお洒落な音楽を聴いたところで聴いている人がお洒落になるわけではないんですね、どうもありがとうございました。