砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

KIRINJI「愛をあるだけ、すべて」

2018-06-16 23:54:55 | 日本の音楽

時間がないのでブログを書きます。

梅雨入りしてしばらく経ちました。関東は雨が降ったり止んだりを繰り返しております。この頃忙しくてものをじっくり考える時間がありません。まったくないと言えば嘘になりますが、酒を飲んだり音楽を聴いたり、些末なことですぐに空白が埋められていく。
休日に昼寝したらとうに夕暮れの闇に包まれていたような、「今日も何も為さなかった」と身を焼かれる喪失感。それはとても恐ろしいことです、少なくとも私にとっては。そんな話はまあいいか。



久しぶりに何か書きたくなりました。
というわけで今回はKIRINJIの最新作、『愛をあるだけ、すべて』。梅雨入りした直後の、6月13日にリリースされたばかり。早速聴きこみましたので、その感想を少しばかり。

率直に言ってすごくいいアルバムですよね。耳触りがとても良い。ダンス、ヒップホップの要素が色濃く表れつつも、ポップなメロディやクオリティの高い演奏。曲単位でも、アルバム全体でもまとまりが良い。途中で入る弓木さんヴォーカルの曲も胸がキュンとするし、千ヶ崎さん作曲の「悪夢を見るチーズ」(M6)もコミカルというかシュールで、うまい具合に変化球を入れている。
今までの彼らにないジャンルの要素を貪欲に取り入れて、なおかつ今までのポップセンスをうまく融合させている。まだまだ野心を感じさせるような一枚ではないかと思います。M2「AIの逃避行」やM8「ペーパープレーン」の、相変わらずのカッティングギターも好きです。


本作の特徴。
今までの作品に比べて、KIRINJIのほぼ全ての作詞作曲を担っている堀込高樹氏の気持ちが見え隠れしているのではないかな。例えばM4「時間がない」は、タイトルはもちろんそうだけど、曲中にいくつか気になるフレーズが出てきます。

あと何回、君と会えるか
あと何曲、曲作れるか
あと何回、食事できるか


さりげなく挟まれていますが「あと何曲、曲作れるか」という歌詞は、紛れもなく高樹氏の本音ではないでしょうか。普通の人はそんなこと思わないもの。それから

サヨナラなんて「なんとなくだね」
遠い花火も色褪せる
大切なものを見失ってしまいそうさ
僕が見てきたすべてを話して聞かせたい


というサビの歌詞、とても好きなフレーズ。ここにも年齢を重ねた「焦り」がほのかに感じられます。サヨナラなんて「なんとなくだね」というのは、もしかしたら弟の泰行氏が離反したこと、あるいは昨年12月にメンバーのコトリンゴ氏が脱退したことも影響しているのかもしれません。

KIRINJI「時間がない」Teaser

一応曲を貼っておきます。短いものしかないけど。ちゃんと買ってね。

今作で一番好きなのはM3「非ゼロ和ゲーム」。
4つ打ちですごくポップな曲ですが、「非ゼロ和ゲーム」というゲーム理論の用語(確か)をずっと説明しています。「誰かの利益は必ずしも他の誰かの不利益に結びつくのではなく、誰かの利益にもなりえる」という意味のようです(たぶん)。
今までも妙な言葉を使うことにある種の執着を見せていた高樹氏ですが(「過払い金が戻ったから(雲呑ガール)」「それ個別的自衛権で対応できるでしょ(絶対に晴れてほしい日)」とか)、ここまで全面的に押し出してきたのは初めて。曲中でずっと意味を解説しているし、「ぐぐれよ」とか「わかんない」と歌っている。笑っていいのかしら。

とはいえ、どこか博愛主義に聞こえなくもない曲。「一枚のピザ、みんなでシェアすれば誰も泣かない、それがいいに決まってる」とか、「利他的に」という歌詞が出てくる。かつてないほどに優しい高樹氏がいるのです。

それから、彼はこうも歌っています。

欲張りなやつは寂しがり いつだって何かに怯えてるよ


たんに欲深い金持ちのことを歌っているように受け取れますが、高樹氏にもこういった面があるのでは、と思います。
今までにない「いいもの」を作りたい。そう思うのはアーティストの性(さが)です。でもきっと高樹氏は、そういう思いが人一倍強い気がします。だからこそ、上述したように新しい音楽の要素を貪欲に取り入れているし、すごく計算して作曲している。この歌詞は、高樹氏自身をよく表しているのではないでしょうか。
今作ではリズムマシーンを使ったり、バスドラをサンプリングしたりして、ドラムの楠さんはスネアやタムだけ叩く曲もあったようです。弓木さんの歌声が入るタイミングも、きっと計算されているのでしょう。いい作品を作るために―言い方は悪いけれど―メンバーをパーツのように利用している。見方によってはそう考えることも出来るかと。

少年漫画によく出てくる「目的のためなら手段を問わないキャラ」っていますよね。
私は高樹氏がそういう人なんじゃないか、と思う。そうやって、弟やコトリンゴ氏のように離れていった人もいる。それがまったく寂しくないと言えば、嘘になるでしょう。歳を取ってそういった後悔もあるのかな、なんて思ったりします。だからなのかな。明るい曲、思わず体が動き出すようなポップな曲が多いけれど、アルバム全体を通して聴くと何故か「悲しい」気持ちに捉われてしまいます。

高樹氏は来年で50歳になります。
漱石が胃潰瘍で亡くなったのも50歳でした。若い頃の漱石は「とにかくやめたきは教師、やりたきは創作」と友人の高浜虚子に書いていました。そういった焦りみたいなものを、高樹氏も感じているのではないか。だからこそ、このアルバムを通して聴くとなんだかさみしいというか、悲しい気持ちにもなるのかな。でもすごくいいアルバムだった、悲しいけどいいアルバムだった。もちろん、私の考えすぎなのかもしれませんが。


あと何曲、彼らの曲を聴けるんだろう。
ブログを書いていたらそんなことを考えてますます悲しくなってしまった。でも私は彼らの音楽が、高樹氏の目指す音楽が本当に好きなんだな、と思う一枚でした。興味を持った方はぜひ手に取ってみてください。