すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

あめつちfield 序

2020-06-28 | あめつちField


私は山に住んでる。
なぜ ここに来たのだろう。
いろんな出来事が絡み合って、ここに来たというストーリーはある。
けれど結局は”縁”が運んでくれたとしか言いようがない。


ここにいると子どもの頃の感覚を思い出す。
ほんとに山が好きで
いつも、一人でも山で遊んでた。

木に登ったり
虫を探したり
けもの道を潜って進んだり
ツルにぶら下がってゆらゆらしたり
野イチゴを食べたり
キノコを突っついて胞子を飛ばしたり
粘菌や苔に見とれたり
・・・・



生き物の生態は、成長段階で水場から山にまたがることもある。
なのにその間を分断する道路やコンクリートの構造物がとっても理不尽だと感じてた。

川原の草むらや泥や石垣・・・
どこにでも、その環境ならではの生き物たちが住んでいた。
けれどある日突然
削り取られて固められ、
昨日までそこに住んでたみんなはどうなったんだろう・・・と立ち尽くした。


生きるために餌を探して動いたり
繁殖のために移動したり
産卵場所に移動したり
巣立ちをして縄張りをつくったり
生き物たちが動く軌跡が、私にはありありと見えているのに、
人間が人間以外の生きもののことを
まるでそんなものはいないかのように振舞うことに強い違和感を感じていた。


毎日、通学路を歩きながら
「カエルとかタヌキも安全に自由に移動できて、それでいて人間の車もスイスイ行ける道路の構造」について思案していた。(笑)
(その時のいちばんいい結論は「ぜんぶ高架式道路」 もしくは「人間は道路を使わず飛ぶもので移動する!」だった 笑)




3年生くらいだったか
冒険して、一人で山道をどんどん歩いて行って
「こんな山奥まで来る人はきっと誰もいない!」(いま思えば全然そこら辺なのだけど)
と自慢したい気分だったけど
帰り道、林の木が規則的に整列していることに気が付いた。
どうして木が直線に並んでるんだろう?
家に帰って母に聞いたら
「植林たいね」と笑われた。
「しょくりんてなに?」


未踏の地に冒険してきた気でいたのに
人が作った山(森)だったのかと知って心底ガッカリした。

原生林という言葉は知らなかったけど
ほんとの山、そのままの山ってどんなのだろうな~とおもった。




いま やっぱり私は山に住んでる。
小さいけれど私には広い
私が手を入れることができる場所がある。

川もある

人は人の都合で土地に線を引くけれど
いのちは水と風の流れに沿って
いのちの地図を描く


人がいのちから学んで
水と風の流れの循環を促す手助けができれば
自然はすぐに応えてくれる。



こどもの頃は人間は「悪」なんじゃないか?って思ってたけど
そうじゃない

できることがある
植物を見て
生き物の振る舞いを見て
教えてもらって
できることがある。

通じ合えたらとってもうれしい。



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