しっとう?岩田亜矢那

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《解説編》意味がわかると怖い話966 「監視小屋」

2012年12月29日 23時36分14秒 | 意味がわかると怖いコピペ
最初の電話の通り
「側の窓のカーテンは必ず閉めて寝なさい」
を守っていたら友人の自殺を止める事が出来なかった。
言わば悪霊。

でも、二度目の電話のベルは金縛りを解いてくれたので
こちらは善霊。

両者が電話を利用し合ってたの?

それとも、言う事を聞いて最初からカーテンを開けなければ
友人も取り憑かれる事がなかったの??

それなら普通に「そこに居たらヤバイ」て言って欲しいもんである。

銘柄豚だししゃぶ 『銘柄豚酒場 和 ~なごみ~』 ☆

2012年12月29日 15時57分11秒 | B級グルメ
難波の交差点から直ぐの
「豚しゃぶ」専門店、

しゃぶしゃぶで「牛」の安めノメニューとして「豚しゃぶ」を提供するのではなく
こちらは最初から「豚しゃぶ」を、しかも銘柄豚を食べて頂こうってコンセプト。

だらら初めてのお客さんはこんな感じの「お試し」をまず注文するのがスタンダード・
4種類の銘柄豚の肩ロースとバラ、都合8種類も出てきて、
その中からお気に入ったのを追加オーダーし、堪能するのである。



一応、ポン酢とゴマダレも用意してくれるけど
「特製和風つけダレ」
にたっぷりの白髪ネギ&青ネギを挟んで食べるのが通。
元々豚は牛に比べてあっさりしてる上、この食べ方ならいくらでも食べられてしまう。
ヘルシーだし、特に女性にはオススメ!

生野コリアンタウン 「御幸通り商店街」は韓国コスメが大人気!

2012年12月29日 15時37分17秒 | 近くに行きたい
「御幸通り商店街」
きっどさんは知らない町ではない、
いや事務所からの帰り道に週一くらい、たぁ~ぼくんで通っている。

でも夜なので既にお店は全て閉まっていて、
あー、韓国料理やキムチのお店、後はK-POPや韓流が人気なんやろうなあ、
と想像していた。
鶴橋が自然発生的なコリアンタウンとして、
こちらは観光客目当てに、ふつーの地元商店街をコリアンタウンへと演出したんだと。

確かに「作られたコリアンタウン」である事は間違いなさそうだけど
ここの最大のウリはキムチでも、K-POPでもない
「韓国コスメ」だ!

きっどさんが訪れたのは12月23日の天皇誕生日、
周辺の駐車場はどこも満車状態、空くのを並んで待ってるくらいだ。
それ人々のお目当てが韓国コスメなんですな。
とりあえず安いらしい。

かたつむりのクリームやら、エッセンスマスクやら
男性から見ると「何これ?!」て物にご婦人達が集っていた。

なるほどな~
わからんもんやね~

今でもこれだから、もっと日韓関係が良好で
韓流ドラマ全盛期には「御幸通り商店街」凄かったやろうなあ。

因みに鶴橋・御幸通り商店街に続く大阪第三のコリアンタウン
「今里新地」
はまた全く別の毛色、こちらはどちらかと言うと紳士の皆様向けですな。

事務所大掃除ちゅう~

2012年12月29日 15時05分19秒 | 歳時記
実質的なおしごとは昨日まで、
本日29日は事務所の大掃除ですな。
と言っても明日、明後日もポスティングとか事務処理はするけどね。

年の瀬って事で、昨日に散髪へ行ったら
めためた短くされてしまった。
でも、ノーベル賞を貰った「山中教授みたいになった~」
と喜んでて一夜明けたら
「森口尚史特任研究員」となっていた。。。



意味がわかると怖い話966 「監視小屋」

2012年12月29日 01時11分28秒 | 意味がわかると怖いコピペ
私の通っていた高校は築120年という気合の入りようでした。
改築が繰り返された校舎は、素人目に見ても奇妙としか言いようの無い形に湾曲しています。

今では珍しくなった平屋であるにも関わらず階段があり、廊下のどん詰まりの壁際際から天井に向かって伸びています。
そのほかにも玄関を入ってすぐにある音楽室や、ドアが埋め込まれて立ち入れなくなった教室。
(外から見るとベニヤ板で物々しく目張りされています)
その中でも奇妙極まりないのは「監視小屋」なるものがあるということです。
私は遠方から通っていた為、時々地元の友人の家や先生の社宅に宿泊させてもらうことがあったんですが、
たまたま泊めてもらえるあてがなかったその日、
「監視小屋」に泊まることにしました。監視小屋は一見、ただの民家のようです。 八畳一部屋で古い型の電話、小さな台所があります。
そしてここがなぜ「監視小屋」と呼ばれているのか、私はその晩、身をもって知るに至ったのです。

小屋には私のほかにもう独りの友人が一緒に泊まることになっていて、私たちは修学旅行ののりではしゃぎながら布団を敷いたりしていました。
夕食を取りながら談笑しているとき、突然電話が鳴りました。 何事かとびくつきながらも電話に出ると用務員のおじさんで、
女子生徒二人と言うこともあって心配してくれているようでした。 はしゃぎ過ぎないように色々と注意を促され、電話を切ろうとすると
「あぁ、忘れていたけど・・・西側の窓のカーテンは必ず閉めて寝なさい」とのこと。
そのときは「はぁい」と生返事で電話を切ったのですが、よくよく考えると意味がよくわかりません。学校の裏手にあたる墓地はその方向ではないのに、
おかしいねと話しながら友人は何の気なしにそのカーテンを開けました。
そこには麻縄で禍々しく祭られた、古びた井戸がありました。

丁度コの字型になった校舎と小屋に阻まれていて、今まで目にする機会の無かったものだったのに一瞬ゾクリと悪寒が走りました。
「なんか気持ち悪いね」などと言いながら、私たちは一つの布団にくっつくようにして晩は眠りについたのです。
どれくらい眠ったのか・・・私は肩口の寒さに身体を震わせて目を覚ましました。
ふと見ると友人の姿がありません。小屋にはトイレがなかったので、教員寮の方に借りに行ったのかと思い、
しばらく待ってみましたが戻ってきません。
ドアを開けて外の様子を伺ってみましたが、校舎のほうからも教員寮からも戻ってくる気配はありません。 「何処行ったんだろう・・」
と不安に駆られながら部屋に戻った私は、本当に何気ない気持ちで先の窓のカーテンを開けてみました。
下着姿の友人は、井戸の側にいました。
そして腰の辺りに手をやってゴソゴソしています。 「なぁんだ、裏で用を足すつもりなのか」と呆れながらカーテンを閉めかけた私は、
ふと奇妙な感覚に囚われてもう一度井戸の方に目を向けて声を上げそうになりました。
ゴソゴソしていたと思っていたのは、腰に縄を巻きつけていたのだと気づきました。
そして今はしゃがみこんで縄の先に大きな石を括りつけています。
私は声も出ませんでした。すると今度は井戸からぬるりと白い手が伸びてきたのです。
手は何かを探るように蠢いて、やがて近くの麻縄を掴みました。 友人は深く頭を垂れて項垂れ、最早何の反応も示しません。
縄を掴んだ手はずるりずるりと石を手繰り寄せていきます。私は夢中で叫んだつもりでしたが、声が出ませんでした。

「あぁ・・Aちゃんが連れていかれる・・っ!!」そう思ったとき、闇を劈いてけたたましく電話のベルが鳴りました。私はその音と同時に、敷いてあった布団に尻餅をつきました。
そのとたんに金縛りのようだった身体がふと軽くなるのを感じ、気がつくと裸足で外へ飛び出して井戸の側の友人のところへ駆け寄りました。放心状態の彼女を何とか小屋まで運び込み、
どれくらい呼びかけていたでしょう。 しばらくすると友人は我に返り、泣き出しました。恐怖から解き放たれた私も一緒になって泣き出しながら、とりあえず誰かに助けを求めようと電話を引っ掴みました。
そのとたん私はしがみついていた友人共々、又しても布団に尻餅をついたんです。
受話器ごと掴んだ電話機はガワだけで、電話線が繋がるどころか中の機械部分が空っぽだったのです。

後から聞いた話によると開校当時、なぜかこの井戸に身を投げて自殺を図る生徒が後を絶たなかったため、埋め立てようと試みたのですが関係者が相次いで亡くなるなどの不幸が続き、
結局は埋め立てを断念。
改築を重ねて井戸が人目につかないようにしたそうです。それでも何処からとも無く身投げをする人が現れるので、それを監視する為に人を置く「監視小屋」が設置されたのですが、
小屋に在駐していた監視役の男性も井戸に身投げを図り、小屋と井戸がそのまま放置される結果になったのだということです。

「カーテンを開けるな」と忠告した電話は、いったいどうやってかかってきたのでしょう?そして彼は、果たしてその監視役の男性その人だったのでしょうか。