きっどさんが2013年4月1日に当ブログにアップした記事
『
八尾市、「竹渕地区」を大阪市に返還へ!橋下徹将軍さまの要請を受け90年振りに』
http://blog.goo.ne.jp/stardustkid0627/e/784704ba92e035cf0ebe95d2dfcff1f2/?st=1
が大阪維新の会所属大阪市会議員・井戸まさとし氏のツイッター(
@idomasa)
『平野区の中に八尾市の竹渕地区が入り込んでいる理由が書いています、道路も寸断されており不便な場所です。
八尾市、「竹渕地区」を大阪市に返還へ!橋下徹将軍さまの要請を受け90年振りに http://blog.goo.ne.jp/stardustkid0627/e/784704ba92e035cf0ebe95d2dfcff1f2 … @stardustkid0627さんから』
と引用頂いている。
困ったな~、困ったな~。
日付は「4月1日」
かなりおちょくった内容や、「橋下徹将軍さま」と書いている事からも、
これは明らかな
エープリールフールネタ
なんですけど。。。
2010年4月1日には
『八尾空港ー高知龍馬空港・奄美空港定期便 本日より就航開始!羽田便・新千歳便も年内就航予定』
てな記事も書いている。
もっと前、ジオログ時代には
「第二通天閣を建てる」やらなんやらって記事も書いたような。
四月馬鹿ネタでございますので、全てが
「ウソ」
でございます。
大阪維新の会所属大阪市会議員・井戸まさとし氏始め、現在リツイートされておられます維新関係の方々、
本当に申し訳ございません。
ここに深くお詫びし、訂正させて頂きます。
だいたい「橋下徹将軍さま」って書いてる時点である程度意図が判るかと思うんだけど。
「竹渕」
の地名の由来は
神武天皇の東征の時、長髄彦の軍勢に囲まれた磐余彦がこの辺りの竹薮に身を隠したから。
で「渕(沼)に消えた?!」と長髄彦が勝手に誤解してビビったので竹渕と。
古来、この八尾周辺は竹薮が多かったと言われている。
そもそも「八尾」って地名自体が「矢竹」が多く生えていたからと言われ(諸説アリ)
だからこそ、物部氏、大和朝廷はここに弓矢と言う当時の軍需産業地にした訳で、
事実、現在でも矢作神社・弓削神社が残っている。
この辺りの古代史の話はきっどさんが一番好きでライフワークとして研究しているのだが
話すと長くなるのでこの辺りで。
平安時代の辞書「和名類聚抄」には「多加不知(たかふち)」とあるので
それが訛って「たこち」になったんでしょうな。
東大阪の大蓮も、父親世代は「おばつじ」って読んでたし。
平野区に入り組んでる理由は、後から中央環状線が通ったので
「平野区に入り組んでる」
と思えるだけじゃないかな~
勿論、この辺りが戊辰戦争の激戦地になったなんて話は聞いた事が無い。
入り組んでるって話なら、八尾市の南側に目を向けると今度は藤井寺市が入り込んでたり、
反対に八尾市が藤井寺市側に侵食したりと、綺麗に大和川で分断されていない。
大和川の付け替えは300年以上前で八尾市政よりずっと前だけど、
実はこんな入り組みは日本全国にいっぱいある、原因はそれぞれ、
「県境の謎」系の本に詳しく書いてある。
大阪維新の会所属大阪市会議員・井戸まさとしさん、
ネットの情報を鵜呑みにして拡散しちゃダメです!
橋下徹将軍さまもそんな事、言ったはりませんでしたっけ??