三重と珈琲とヲタク

ゆるっとゆったりまったりと

伊勢本街道の伏拝坂

2025-02-16 20:24:01 | 中勢
三重県多気郡多気町土羽

現在の伏拝坂はゆるやかな坂ですが、江戸時代はどうだったのでしょう。

伊勢詣に使われたこの道でその昔、旅人が伊勢神宮までの距離を訪ねたところ
「三里山道五里畷 」と教えられたそうです。

三里山道五里畷が遠いのかどうかは分かりませんが、ナビで調べたところ
ここから神宮までは今の道で20㎞弱位でした。
歩いて5~8時間くらいでしょうか?ここで諦めるのはもったいない気がします。

峠道の切通し

案内板がある方の切通しの上に石灯籠の一部が残っています。

石灯籠そばから街道を見下ろす。


石灯籠裏側


石灯籠表側

両宮遥拝所、内宮と外宮、両方ということですね。


田丸藩砲術練習場跡にふらり

2025-02-16 19:47:10 | 中勢
三重県多気郡多気町土羽

幕末、幕府は黒船来航後、諸藩に海防の強化を命じた異国船打払令を出しました。
田丸城八代城主、久野純固は海防の重要性を認識し、土羽に砲術練習場を造り洋式砲の練習をさせたそうです。

広域農道ビーフロードで多気町から明和町へ向かう途中、JR参宮線の踏切を
越えて少し行くと左手に石灯籠が見える森があります。




森の中には石の祠があり庚申さまが祀られています。

庚申さまからビーフロードを東へ進み

最初の右折を曲がります。そうすると見えてくる森に


沿って歩く道があるので

進んで行くと分岐があり左の竹林へ

少し行くと右手に石碑が見えてきます。

田丸藩砲術練習場跡と刻まれています。

この盛り土が砲座跡になります。

さらに道を進み、今度は左手に純固の碑があります。

田丸城主、久野純固が説いた海防に砲術の習練が火急である旨が記されています。


椋本の空也堂と東日寺

2025-02-12 17:25:13 | 中勢
三重県津市芸濃町椋本

多くの人が一度は見たことがあるのではないでしょうか、
口の中からほとけ様を出している空也上人立像 を。

空也上人は全国を修行しながら遍歴し、橋梁や道路等の整備や行倒れた人を
弔うなど社会事業を行っており椋本の地にも訪れたとのことです。

県道28号、亀山白山線を津市から亀山市へ向かう途中、
ゴルフ場の入口から300m程手前で右へ向かう小道に入ります。

小道を進んですこし行った先を今度は左手に

かつては大きな木がお堂の側にそびえていたのでしょうか。

空也堂です。

お堂の外にあった解説文

お堂の中にも

同じ文言の解説文がありました。

折角なので、かつては祠の向かい合わせにあったという薬師山本堂。
その本堂が移設した場所という東日寺へ向かいます。

県道669号線沿いにあるバス停「椋本」

近くには伊勢別街道の道標がありました。



バス停から北西に数分歩くと看板がありました。

山門

そして本堂、こちらが薬師山本堂だったのでしょうか。

地蔵堂

伏見稲荷さんが祀られているお堂

宝篋印塔

手水鉢

石仏群

きららの森と小金3号墳と高塚1号墳

2025-02-04 19:59:59 | 中勢
三重県多気郡明和町池村

本日は斎宮きららの森からスタートします。

綺麗に管理された芝生広場と

木製遊具があります。

斎宮きららの森からの眺望

かすかに海が望めます。

斎宮きららの森の内に小金3号墳があります。

小金3号墳は円墳です。



墓道

の跡でしょうか、この窪みは


斎宮きららの森の近くに高塚1号墳もあります。

斎宮きららの森から高塚1号墳のある場所が見えます。

近づくと案内もあります。


光の加減で看板が見えづらかったです。

帆立貝式古墳です。

後円部

墳丘の傾斜

後円部上

造出し部


前方部


前方と後円部の繋目

後円墳丘

高塚1号墳はとても形を把握しやすい良い古墳です。
お礼申し上げます。