三重県いなべ市北勢町田辺
田辺城は北畠氏の一族だった木造具政が織田信雄に仕え築城した城です。
県道606号、鼎田辺線から多奈閇神社の南東、数百メートル行った場所に
ある分岐から北側に伸びる道に入っていくと登城口があります。
田辺配水池の裏に
最初の案内があります。
坂をのぼっていくと城門を模した大手口があります。
近くにあった案内板
大手口に入るとすぐ深い堀が目につきます。外堀です。
二ノ郭跡は「しいたけ園、しめじ園」になっているようです。
二ノ郭跡から奥に進んで土橋から主郭へ
主郭には東屋が建っていました。
主郭には三方、土橋が架かっているようです。
主郭周りの堀も見事です。
主郭の周りを土塁が囲んでいます。
土塁から見る内堀
土塁の上に山名札がありました。
土塁から見た主郭
主郭から北側、道路を挟んだ反対側にも
縄張りが続くようです。
織田信雄が本能寺の変の報せを聞いたのは、松阪市にある松ヶ島城と
言われていますが、司馬遼太郎先生の小説ではここ田辺城として描かれていました。
実際はどこだったのでしょうか。