絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

12月31日の夜

2011-12-31 | 日記
年越しそばを食べながら、紅白を見ていました。
いま、二階に上がって、これを書いています。

いつもの大晦日の夜です。
毎年、この時間に年賀状を書いていました。
今年は、もう書き終えて出してしまったので、
すこし、ゆっくりした気持ちです。

海辺のカフカをなんとか読み終えました。

何が言いたかったんだろ?
特に言いたいことはないのでしょうか?

冒険小説というのもありますが、家出少年が旅で出会った人々とのいろいろなこと。
その少年を捨てた母との再会、姉との再会。
オイディプスのような、父を殺し母と交わるという話、父を殺したのは自分ではないのに、
自分がその殺人に何らかの形で関わっているような感じでしたが、最後までそれはうやむや。

その内、ナカダさんがこのカフカ少年と出会うのかなと思いましたが、会いませんでした。
そして、母と思われる佐伯さんもナカダさんも死んでしまいました。

プラトンの「饗宴」が出て来て、男男、男女、女女の話があったので、
影の薄いナカダさんが、その半分を求めて移動しているのかなと
思いましたが、そうでもない。
家出少年のカフカくんが、森の奥に入って行って、二人の兵隊に案内されて行った場所は、死後の世界なのか?
そこにいた15歳の佐伯さんがまるでカフカ君の半身のように思わせるような感じもありましたが、
はっきりしませんでした。
初めの不思議な出来事がなぜ必要だったのか?頭が悪くなってしまったナカダさんを登場させるためにあれだけの話が必要だったのか?
カラスといわれる少年は、カフカ君のもう一人の私のようでしたが、最後の方でなぜ生と死の境目にいる殺されたはずの父親らしき人をつつきまわすのか?その辺もわかりませんでした。

最後は、この少年が東京に戻って、中学に通うという元の状態に戻ることを決意しますが、
一体なんだったのだろうと思いながら、終わってしまいました。

ーーーーーーーーー
ただ、私はちょっと自分の絵と重ねて考えました。

この小説に限ったことではありませんが、
小説の中で、空想的なことが出て来ます。現実なのか架空のことなのか、
過ぎてしまうと、夢か現実かわからなくなることもあります。

小説は、夢と現実、現在と過去と未来、いろいろ飛んだり交錯したりします。
このことと、絵の具象と抽象、平面と奥行きの問題が重なるように思いました。

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模写

2011-12-31 | 通信指導
栃木のTさんが、模写をしてくれました。

これは、レオナルド・ダ・ヴィンチの岩窟の聖母の大天使ガブリエルです。
世界一美しい顔と言われます。



非常に丁寧に模写してくれました。
こういう模写をたくさんしていれば、顔の描き方を覚えるでしょう。

人物画を描いている人を見ると、顔が描けないなあと思うことがほとんどです。
顔さえしっかり描ければ、良い絵になるのになあと思う事が多いです。

まず、顔が描けるようにする。
そして、全身をクロッキーで捕まえること。
手と足がかけるようにすること。

それだけで、かなり良いデッサンになるでしょう。

絵にするには、ポーズの研究、服装の研究、周りの物の配置の研究という構図の問題がありますが、
まずは、人物が描けないと人物画はいくら構成が良くてもダメですから、まず、デッサン力ですね。



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