前編からの続き←※つつくと前編へリンクとなるが、もともとの浅井家は一向一揆集団なので、意見が纏まらないところに弱点がある大名であった。足利将軍の勅命により信長包囲網の一画を担った格好になったが、攻撃力では織田軍団に遠く及ばなかったようだ。しかし、防御力では浅井家居城の
「小谷城」は、外敵を凌ぎやすい山城造りとしていて、その自然の要塞は正攻法で攻め入った外敵に「鶴翼の陣(鶴が羽を広げたように大きく敵を懐に引き込む陣形)」的な攻撃方法も兼備していたと言う。画像は、麓からの
「小谷城址」と、
「黒金門址」で、その名のとおり頑丈な門は「黒金」が打付けてあったと云う。
信長包囲網を図解した解かり易い資料があったので紹介するが、ここへ宗教集団の「石山本願寺」と「叡山」があり、更に東には甲斐の虎こと「武田信玄」が包囲網を担っていた。
逆にそんな強固な山城も、打って出る場合の馬出しが山道のため迅速に遂行できない難点も抱えている。浅井氏滅んだ後の小谷城を信長から任された秀吉だったが、出陣の回数が多いので足かせになる小谷城を見限って
「長浜城」へ移る際、再び誰かが入城出来ないように、木っ端微塵に打ち壊して出て行ったと記述がある。画像を見ても殆んどが残骸であるが、
唯一本丸址の石垣が残ったと見られる角部分は貴重な遺跡だ。画像は順に、大広間址を2枚。
本丸址も、荒れ果てて残骸の石っころが残るのみ。
僅かに見えるのが、現存している本丸址石垣の一画と言うか石垣の隅っこ。
尾根づたいに連なる城郭の真ん中には、本丸と京極丸の間に
「掘り切り」があって、木の橋が架かっていたとされる基礎が発見されている。この橋さえ壊せば一気には攻略出来ないつくりになっているのだが、秀吉に攻められた折には見事に逆手にとられ、京極丸を乗っ取ることで本丸にいた長政と、小丸にいた久政の父子を真っ先に分断したと言う。掘り切りの画像は、少々判り辛いかも知れないが・・・・。
信長でさえも、この小谷城攻めには消極的で、合戦の場を「姉川」にするべく領民の集落に火を放って長政を城からおびき出す作戦を取ったくらいだ。戦いの舞台となった「姉川(あねがわ)」は、「妹川(いもうとがわ)」と共に、民話の中で、別々の道を下っていった姉の龍と、妹の龍が再び出会えたことに由来していると云われているが、その川が血で染まる結果となった激しい合戦であったので、
「血川」と言う地名も現地に残っている。この姉川の向こうに龍ヶ崎がある横山城址が見える。
領地の民家焼き討ちなど
「織田軍」の姉川への誘導挑発に耐えられなかった結果、城を打って出たことが姉川での浅井の負け戦につながった一番の理由のようだが、これは見晴らしの良い「小谷城」から領地を見渡している「浅井」の立地的に優れている部分を逆手に取った攻撃だった。信長の戦略が一歩上をいっていたと言うことだ。
信長への裏切り行為の、朝倉との挟み撃ちの戦
「金ヶ崎の退き口」では、浅井長政の人生最大にして最悪の分岐点にも拘らず、敦賀への信長討伐隊には、浅井側の主力武将達は参戦しておらず、長政が出陣したという記録もない。このことから一説では、織田と浅井の同盟自体も存在しなかったと言う見方もある。また
「姉川の戦い」には、朝倉家の当主「朝倉義景」の出陣が無かったのも、本気度を疑いたくなる衝動に駆られる。関ヶ原の西軍の総大将「毛利」と同じようなスタンスだったのではないか?と考えたくもなる・・・・・。これも本丸址。
戦国大名
「浅井長政」を滅ぼした本当の理由を探ると不可解なことが多すぎる。そこでワシ独自の意見だが、信長の妹「お市」が持つ不運の人生や、彼女達から引き継がれる「お茶々」の持つ最悪の運勢が、各武将(織田・明智・浅井・柴田・豊臣)を滅ぼしたと考えるのは考え過ぎだろうか? 最後の画像に、現彦根城の「西の丸三重櫓」を紹介するが、これこそ長政がお市や茶々と住んでいた元小谷城天守閣で、長浜城を経て彦根城へと移築されたと伝わる・・・・おまけに甲冑。
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今回は「CANON一眼」と「CANON IXY」と「iPad」での撮影です。
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コミック本「信長のシェフ」や「信長協奏曲」は、幼稚な嘘はなく史実に沿って書かれているし、普通では知られていない織田家臣「森可成(もりよしなり)」と、その家系の「長可(ながよし)」・「蘭丸(らんまる)」にスポットをあてているのが特徴で、そのフィクションと史実の組み合わせ方の融合完成度に驚くときがある。
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北近江と言うか長浜は、このあたりの名物である
「のっぺいうどん」。鰹出汁を利かせまくった餡かけうどんで、寒いときには身体がほくほくする効果がある。そして、
「鯖そうめん」は若狭の焼き鯖の煮付けと、その出汁で素麺を煮込んだもの・・・・どちらも美味しい。