時代の流れと共に失われていく、古い民家や数々の生活用具を展示している
「飛騨の里(1971年開村)」をご紹介する。飛騨の豪雪に耐えた、入母屋造り・合掌造りの民家を飛騨の各地から移築した施設となっている。生活の糧となる稲作作業に必要だった農器具や、雪深い山村で藁細工・刺し子細工・組み紐などの民芸品に勤しむことで、山岳部の生活を支えたようだ。
内部の囲炉裏まわりを見ていると、飛騨高山の極寒の冬季に囲炉裏端で煮炊きもの・焼きものなどをしながら、
暖をとる家族の姿が浮かんでくるようだ。土間を挟んで馬小屋が見え、顔を出す馬と目が合うような作りとなっていて、一家の働き手として馬・牛は家族同様の扱いを心掛けたようだ。同じ角度の上部には神棚があり、逃れられない苦しさは心理的に神仏にすがったようだ。
昔の山間部では、なんといっても
稲作作りは最重要で、束ねた稲の乾燥は山岳部に多い5段稲架
(はさ)で、天日
(太陽光線)と風によって乾燥させる稲掛
(いねかけ)作業を採用されていた。さらに農器具は重要なもので、軒先を利用して保管していたようで、大八車の車輪もスペアを確保する慎重なところを垣間見た思いだ。
旧若山家だった
「入母屋造り(荘川造り)」は、白川郷に見る合掌造りに移行するうえで、そのルーツとしても貴重なプロセスが、建築様式に盛り込まれている。この建築を見ると、朧気ながら合掌造りが浮かんでくるかのようなイメージだ。この施設は地元の方・学校の生徒・身体の不自由な方・農作業を実際に行う人たちの協力で成り立っている。
玩具のけん玉で、欧米からの旅行者が失敗ばかり繰り返していた。ここでひと言‥‥‥手や腕は使わず膝の屈伸で真上にあげた玉を、膝の屈伸で受け入れるようにキャッチすると成功は近いと再現アドバイス。たったそれだけで、お見事に成功させた欧米人も凄いが、ワシのアドバイスも少しは功を奏したようだ。ここでも郷土料理の保存食でもある
朴葉寿司をご紹介するが、奈良の柿の葉寿司の飛騨版とも言えるイメージだ。
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