法相宗の大本山「興福寺」五重塔が修復にはいると言うので、戦国時代に造られた人工池の荒池から見た興福寺五重塔を記憶に残したい。滋賀県の信長の居城である安土城も、天守閣復元作業にはいるようだが、双方ともに完成が30年後なので再び拝めるかは微妙だろう。さて本題に戻すが、皆さんの故郷には幼少期から馴染んだお鍋があると思うが、ワシの出身地奈良にも密かに伝わる特別な
郷土料理のお鍋がある。今回ご紹介のお鍋は、独断と偏見で選んだものだが、昭和時代~鎌倉時代~飛鳥時代と三種類のお鍋に注目した。
一番手のお鍋は、新参者の
「かっぱ鍋」で、奈良の郷土鍋の一種だという。牛の前腹の皮と脂身の間にある、赤く薄いスジ肉のことをカッパと呼ぶのは、枝肉を吊り下げてある状態で、赤い部分が雨がっぱを着ているように見えるため俗称として呼ばれだしたようだ。牛のかっぱ肉部位は流通する事はないようだ。
▲▼牛肉・ホルモンの良さが双方はいったかっぱ鍋
かっぱ肉の、コリコリとした食感とジュワッと口に広がる脂の甘みは、牛肉の良いところと牛スジの良いところの双方が揃った部位となる。しろ菜・水菜・お揚げなどを食べやすい大きさに切ったお鍋で、奈良市内の
肉料理かわせみさんなどで食べることができるお鍋で、三種のお鍋の中では昭和の起源なので歴史が超浅い。
二番手のお鍋は、源義経が頼朝の追悼命令から落ちのびる際に、吉野の山中で兜をヒョイと裏返し、野鳥などを焼いて食したのが
「義経鍋」の起源と伝わっている。現在では周囲の鉄板で、鶏肉・牛肉などを焼き、中央部の小鍋で野菜を茹でて食べるような、鉄板焼きとお鍋の良いところを活かしている。兜をひっくり返したような変則的な鉄鍋は、Amazonでお取り寄せも出来るようだが、鎌倉時代にはあくまでも兜で焼いたと言うことで。
▲兜で焼いた野鳥と野菜が起源の義経鍋
三番手のお鍋は、牛乳とお出汁で鶏肉・野菜などを煮込んだ
「飛鳥鍋」で、飛鳥時代から畜産業をしていた生駒郡斑鳩町のお鍋となる。当時の唐から奈良へやってきた使者が、乳製品を伝え孝徳天皇に献上したところから、乳牛の飼育と言うか畜産が始まった。寒さを凌ぐために、野鳥の肉を牛乳で煮込んだのが起源となっていて、日本最古のチーズ「蘇」も発掘され高貴な人が食していたようだ。
▲牛乳とお出汁で煮込む飛鳥鍋
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