ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

3回読んで➂

2016年06月30日 | ❷ 本とか映画とか

読み手の“今の自分”が反映される本だなぁと思います。

気になるポイントが変わったり、前回気づかなかったことに気づいたり、

セリフひとつをどう解釈するかも もしかしたら日替わりでかわるかも。

だって理解が進むと気持ちも変わっていくんだもの。

「これはどういう意味なんだ?」

「私はどうなんだ?」

どんなところに反応して共感して嫌悪するのか

自分自身も観察対象にしながら読んでいました。

 

キャラの中には、

自分があり過ぎる人

自分が無さすぎる人

薄っぺらい人

自己愛の強い人

必要とされたい人

対話のない人・・・と色々いて、

またそれぞれに良い所も悪い所も好きな所も嫌な所もありました。

自分はどの人のどの部分が苦手か、それは何故かなど考えていると

今の自分の価値観も見えてきます。

 

人はひとりひとり違うし、一人の人間にも色んな側面があるし

成長して変化して行くしで、つくづく面白いものだと思います。

最初はイヤだと思った子を、2回3回と読んで知っていくうちに受容する自分がいたり

大人がラクしてるのが見えてきたり

思春期の潔癖さが痛かったり 

「気がつく」というのはとても満足度が高いことだと思います。

 


3回読んで②

2016年06月29日 | ❷ 本とか映画とか

コミュニケーションは言語1割、非言語9割と言われている。

情報の伝達は言葉が全てと思いがちだけど、

言葉なんてたったの1割らしい。

とは言え 言葉がなければ会話のテーマを共有することは出来ないし

言葉はそれがなければ始まらないコミュニケーションの大事な手段です。

 

 

考えてみれば朝「おはよう」の挨拶をかわす時、

この活字でいうところの「おはよう」だけでは互いの様子までは伝わらない。

元気なのか眠そうなのか不機嫌なのか慌ててるのか、、、そういった情報を

人は言葉以外の非言語の部分、声のトーンや返事の仕方や表情や視線や仕草などから

感じ取りながら接し合っている

 

このように私たちは自分が思う以上に言葉以外の部分に頼って生活している訳だけれど

それにもかかわらずその非言語をどう解釈するかもまた人それぞれ違うのです。

考え方感じ方のクセのようなものが人によって違うからでしょう。

相手の伝えたいことと自分の受け取ったものは違うかもしれないのです。

でも私たちはあまりそのことに気づかない。

 

日頃 非言語に頼っている私たちは言葉で伝えあうということを

実はすごく疎かにしている、ということがこの作品を読むとわかります。

耳の聞こえない少女に対してだけじゃなくて、

友人同士でも、親子でも。先生も。

聞こえる聞こえないに関係なく、どこの関係を切り取ってもです。

ほとんど伝えていないし聴こうとしていないし分かろうとしていないのです。

 

自分の言いたいことがその言い方では相手に届いていないかもしれないことや

相手の言いたいことに自分が気づけていないかもしれないということに

気づいていません。

「どういう風に言ったら相手に気持ちが伝わるか」に努力しなさすぎだし

相手の言いたいことは何なのかを「知ろうとする気持ち」が足りなすぎだし

というかそもそも登場人物全員がほぼ大事な場面で

「言葉で自分の気持ちを伝えあう」ことをしていない。

思っているだけで伝えない。

見ているだけで教えない。

自分の中では色々考えているのにそこを伝え合わないから

関係に自信が持てず

読んでいてもどかしくなるのです。


言葉で伝えず、頼りの非言語を自己流に解釈して読み違えていたら

わかりあえないよなあ、と思うのです。

 


 

 

 


3回読んで①

2016年06月25日 | ❷ 本とか映画とか

『聲の形(こえのかたち)』3回読みました。

ストーリーや登場人物について思ったことを書いていくと

どうしてもネタバレしてしまうんです。

ネタバレしないように書くことに困っています。

 

ひとまず話はこうです。

耳の聞こえない女の子が普通の小学校に転入してきます。6年生です。

母親の方針でずっと普通の公立の学校に通っていますが

前の学校でいじめにあって転校してきました。

母親は娘には自分で自分を守れる強い人間になって欲しいということに

とても執着した人です。

『強さ』がキーワードのこの母親は、物語の中で一貫して無表情です。

(でも離婚のエピソードの中では喜怒哀楽の激しい表情が描かれています

 

結局新しい学校でもいじめにあい、少女は転校していくのですが

物語はこの学校でおきたいじめを描き、

主犯格の少年とこの耳の聞こえない少女と

それぞれの家族と

それを取り巻く友人たちのその後を描きます。

メインとなるのはいじめ転校から6年後の、主人公たちが高校3年生になった年の話です。

主犯格の少年が加害者としての自分とどう向き合っていくのかを軸に進みます。

 

何日か前のブログで

「人はこんなにも似て見えて」「こんなにも違うのか」と言ったのは

単純に2回読んで登場人物のキャラの個性がより私に伝わったということです。

展開が気になって気持ちが先走り

階段を1段抜かしで駆け上がるような勢いで読んだ1回目では気づかなかったことに2回目気づく。

十把ひとからげに見えていたものにも差異がある。

自分次第で気づくものがあることがわかって面白くなりました。

 

1回目は感情的に読み終わりました。

人物の好き嫌い、話の好き嫌いに意識がいって、気持ちが収集しきれない。

キャラがとるそれぞれの言動の腑に落ちないところにもどうしてもひっかかってしまって

それを解決するために2回目を読みました。

2回目では「なんで?なんで?なんでそうするの?そう思うの?」と問いかけながら読みました。

物語の結末と自分の解釈の帳尻を合わせたくて、

「きっとこういうことだ」「私とは違うけど、こう考える人もいるんだ」と思おうとしたけれど

やっぱり腑に落ちない。

で、3回目。

3回目は更に人間観察に興味が湧いてきて、理解したくて、考え考え読みました。

なので疲れました~。

でも考えながら読んだことで分かっことがたくさんありました。

すごく勉強になったのです。

 

 

 

 


人間はこんなにも似ていてこんなにも違うのか

2016年06月15日 | ❷ 本とか映画とか

今「聲の形(こえのかたち)」という漫画を借りて読んでいる。

友人のてんちゃんがWさんに貸して、Wさんの後に私が借りた

 

Wさんは

「面白い!4回読んだけど、手元に置いておいたらまた読むと思う」

と言いながら貸してくれた。

てんちゃんは

「私は1回でいい」って言ってた。

 

私はというと、今2回目。

でも面白いから読んでるんじゃない。

ちょっと腑に落ちなくて、その理由を知りたくての2回目。

1回でいいっていうてんちゃんの気持ちもわかりつつ、

「この気持ちにはっきりカタをつけて貰おうじゃないの!」ってな勢いでの2回目です。

 

それで驚いた。

1回目と2回目が「別の作品かって!」くらい印象が違う。

1回目は昨日、2回目は今日読んだくらいのタイムラグなのに。

 

なので3回読んだら感想を書こうと思います。

 

 


その女、凶暴につき

2016年06月11日 | ❷ 本とか映画とか

「ミスマープル」素敵。

でも・・・なかなか熱が入らない。

「野蛮なやつら」は数ページ読んでみて図書館に返却してしまった。

 

少し前に読んだこの2冊。

大好きな作家なのにいつもと違う。

細かいところを味わうという醍醐味が、今の私は鈍っているのだ。

 

わかってる、

もう、全部「ミレニアム」のせいだってこと

早く「ミレニアム」の4巻が読みたい

でもまだ図書館の順番待ち、168位なのです、あ~あ。

読みたい、読みたい、読みたい。

みんな早く読めーーーーー!