「親なんだもん、しょうがないよ」
「だって親だもん」
「それが親だよ」
「親だから」
って、子どもを心配するときなんかに使うんだけど、
ちょっと思いついて
「使わないで(思わないで)みようかな。」と。←「思わない、と思う時点で思ってる」とか言わないで下さい。
というか、「親ってそういうものよ、しょうがないよ」と思う割合を
意図的に減らしてみようかと。
で、自分の何かが変わるのか、どうなるのかってのが知りたい。
だってさ、そう思うのが当たり前だと思っていたらいつまでも変わらないかもしれないけど
場合によっては「親だけど違うぞ」とか
または、思いつつもその比重を減らして行ったり
「あ、この場面では前だったら使ってるな」って自分に突っ込んでるうちに
新しい感覚が生まれてきたりして
なんか得する自分になれるような気がするんだよな~
この言葉を必要以上に使わない自分になろうかと思うの。
今までの自分と少し違う自分になるかもしれないから。
(自慢げに使うのはちょっと残してみてもいい)
まあ、自分実験。
行動を変えたら何か気持ちも変化するだろうか?の実験ということ。
遊び、と言ってもいい。
ところが使っているんですよね、この言葉。
私は子育てをしていないから、ハナウタさんのお気持ちになかなか寄り添え切れないのが残念です。
私も「だって」「しょうがない」を使わないようにしてみようと思います。
もしかしたらそんな小さなことで、ポジティブ思考に好転したら丸儲けです!
途中経過もレポートしてね。
軽く衝撃なんですが、私にはこの考えがないんです。口にしたこともないと思う。自分を親だと思ってないね、多分。おそらく先輩くらいの気持ち。
たまらないですね。
どんどん得しちゃって下さい。
ハナウタ家の年末年始の様子もよかったらブログで教えてね。
既に何かと得な性格・・なんでしょうかね。
よし、一緒に好転して丸儲けだね!
それはびっくりの距離感だわ。
そっちの方が面白いよ~!
って聞いてみたら
ないねえ、それは褒めてもいいくらいのすごいことだよ。
表彰する?
って。てい子が。
じゃあまあいいか。
ほんとに親、の自覚がないのかも。
うちはそんな感じです。
親同士、大人同士で話す時に使うのよ。
更に言えば自分に対する言い訳としてよりも、多くの場合仲間を慰める時なんかにね。
akちゃんに親の自覚がない?かどうかは私にはわからないけど、あなたんちは、ほれ、かかわりが自然界の動物的だから、それで説明がつく気もするよ。
生物とか生命とかいう根源的なにおいがするものね。
てい子がこんなに認めてくれてて、すごく幸せないい関係だな~。
てい子もうたこは言いそうにないって言ってた。
私も大人同士なら言うかも。便宜上。でも大人で通じる場合は親って言わないかも。
「親」っていう言葉に警戒心を抱いている。
役目、役割、看板、虎の威。
やっぱりたまたま先に生まれて育つのを手伝う先輩って思ってる。
何でいうのかな?
言う必要あるのかな?
本当にそう思って言ってるのかな、私?
よく考えたら無責任に使ってた。
だって言われた人はそれ以上深く考えることは免罪されるんだもの。
ね、あなたは間違ってない、その悩みと向き合わなくていいよって言ってるみたい。
とはいえ、場面にもよるだろうから、自分を実験、観察してみるの。
で、いろいろわかって深まって、得するの。