ぎょっと思わず目を引く記事。機密費のブラックボックスぶりは極めている。平均、年11億円というから驚きだ。
記事でも伝えられているが、学術会議を攻撃する前に、自らの襟を正すことが先ではないか。国民の税金である。
正常な感覚とは思えない。
そんなことを考えていると、目に入ったのが、神戸新聞の記事。1面から2面にかけて掲載されている針路21というシリーズで、きょうは平田オリザさんでした。平田氏は日本学術会議の任命における人事介入問題についてこう触れている。「歴史上、強健を振りかざそうとるものは、過激派だけを分かりやすく弾圧するのではない。中間層、どちらかといえば穏健な人々をランダムに検挙していく。そうやって、人々の猜疑心をもたせることが、社会を抑圧するための費用対効果がもっとも高くなるからだ」と。
その上で、学術や芸術の役割のひとつが「軍事や経済ばかりを優先して経済ばかりを優先して社会が加熱しすぎたときに”ちょっと待てよ”と後ろから方を叩くような役割、だとしている。表現者としてのことば、ひじょうに分かりやすい。
機密費を使って強権を振りかざし、異論は強権で排除する、そういう構図が私には感じられてしかたがない。
暴走する前に、国民の審判を。