郷が杜備忘録

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「島貫兵太夫伝」を読む(その1)

2020-06-04 | 読書・「島貫兵太夫伝」

私の住んでいる街に1つの記念碑が建っていた。

「島貫兵太夫記念碑」とあり、下には、島貫氏の言葉が書かれている。

その脇には略歴が書かれた石があり、1866年に生まれ、日本力行会を設立した、

明治の先覚者と書かれてあった。

しかし、明治時代のことでもあり詳しいことはわからずそのままになっていた。

ところが、先日仙台駅前のビルで開催していた古本市で、表題の本を発見して、即購入してきた。

 

この本は、兵太夫の長男、嶋貫信男氏が父兵太夫の伝記を書く目的で、回収していた資料を基に

郷土の歴史家、相沢源七氏が「仙台郷土研究」に連載したものをまとめたという。

「仙台郷土研究」に載ったのが昭和54年から59年、この本が発行されたのは、昭和61年であった。


 
この記念碑の設立を報じた新聞記事によれば、

島貫兵太夫は、慶応2年(1866年)に岩沼に生まれ、明治19年、仙台神学舎(現東北学院の前進)に

入学。仲間とともに「霊魂と貧民の救済」を目指して、東北救世軍を組織して伝道活動に入った。

明治27年上京し、牧師のかたわら「東京労働会」を設立、翌年「日本力行会」を発足、会長となった。

「日本力行会」は、設立当時の明治時代中頃は、移民のための海外渡航が盛んになったばかりで、

島貫は、苦学生ばかりではなく、一般の海外移住者への精神的教育の必要性を感じ、渡米部を設け

教育にあたった。その後学校も設け、1年間に300人の青年たちを、ハワイや北米、南米、東南アジア

などに渡航させた。しかし、大正2年(1913年)47歳の若さで病死した。

海外移住者の「父」と言われたが、地元ではあまり知られていなかったという。

 

上記のような概略であるが、明治時代にそのような人物が地元から輩出していたことも知らなかったので、

次回以降、もう少し内容を詳しく読んでいきたい。・・・つづく

 

 

 

 

 

 

 


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