「終わらざる夏」(浅田次郎著)を読む
浅田次郎氏の著作。
浅田次郎氏は1951年東京都生まれ。
1997年、「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞。
2010年、「終わらざる夏」で毎日出版文化賞を受賞する。
浅田次郎の作品で最初に読んだのは、「一刀斎無録」だったと思う。その流れで、「壬生義士伝」、
「輪違屋糸里」と新選組の物を、読んできた。
そのほか、中国の清朝のものから第二次大戦頃のものまでがあるのを知っていたが、今回読んだ
「終わらざる夏」はその流れにあるものかもしれない。
浅田さんの作品は、歴史小説的なところがあるが、歴史そのものよりも、歴史に題材をとった文学作品
という感じがする。
今回の作品も、時代は終戦間際の日本そして当時の日本領千島列島の最北端、占守島である。
場面はいくつかに別れ、赤紙で招集される主人公のいる東京から、出身地の盛岡、子供の疎開して
いる長野県、満州から移動してきた中隊段列の兵隊たち、戦場となる占守島、終戦後に攻め込んできた
ソ連軍の動きとその中で戦う兵士の視点などなど。
中心的な3人の招集兵とその人たちを囲む家族、友人などの戦争中の思いが綴られてゆく。
終戦時にこのようなことがあったことは初めて知った。そして、この地で戦った日本兵たちは、強力な
兵器と鍛えられた戦闘力があったにもかかわらず、勝つことはできず降伏し、武装解除され、ソ連軍の
捕虜となってシベリヤに抑留されたのである。
先の大戦、太平洋戦争とか第二次世界大戦とかいろいろな呼び方をされているが、それらは後から
つけられた符号のような気もする。本当の中身を表していないかもしれない。
私の父も若くして兵役を志願し、軍隊に入隊して中国大陸で戦ってきたようであるが、1年近くの訓練の
あと中国大陸に渡ったのは、東京空襲の後だったようである。すでに戦争も終盤になった時期である。
この小説を読んでも、戦争中の家族や身内の思いなど、父のことを思い出さずにはいられなかった。
父はこの小説の主人公たちとは違い、1年ほど中国で捕虜となった後、終戦の翌年復員できたので、
私も存在するのであるが、若い時の軍隊の経験はほとんど話すことはなく亡くなってしまった。
今となってはもっと聞いておきたかったと思うが、過去を振り返る年にならないと、なかなか聞けない
ものであるし、わからないのかもしれない。
ただ、戦友会にはよく行っていて、軍隊での訓練のことや、戦友会の資料を残していたので、
これからは父の残した資料を整理しながら読んでみたいと思っている。