しばらく読んでいなかったが、再度読みはじめた。
(1)上京と牧会
1894年、島貫は東北学院を卒業すると、救貧事業に着手しようとした。
しかし、日本基督教大会の準備や夏期学校の準備、北海道の巡回伝道などで多忙を極めていた。
とうとう札幌で倒れ死も覚悟したが、宮城に帰り養生すると体力も回復してきた。
健康が回復すると、さっそく仙台における貧民窟伝道に着手することにした。
しかし、彼は中央に出て救貧事業とともに直接伝道をしたいと思い、11月東京に向かった。
彼は貧民窟伝道に専念したかったのである。それは宣教師たちの理解を越えるものであり、
教壇派宣教師団との考え方の違いであった。
11月下宿を引き払い、徒歩で12日間の旅行を決行した。目指すは下谷区万年町である。
当時、四谷の鮫ケ橋、芝の新網、下谷万年町と山伏町が3大貧窟と言われていた。
島貫はこのような貧民街について、「キリステアンたるもの正に実際にこれらの救済に着手すべきなり。
吾人は唯聖書を弄して実際は其聖書と遠ざかり居るものを悪むや甚だし。」と書いている。
東京には着いたが、東も西もわからず靖国神社の境内に行くと、そこで東北学院長の押川正義先生に出会った。
押川は自分のところに来て、大日本海外教育会の仕事を手伝わないかと言われ、承諾して、そこで仕事をすることになった。
この仕事は朝鮮人教育を目的としたものであった。東洋救済は彼の宿願であり、朝鮮問題に深い関心を持っていた島貫は例のバイタリティで、
名士の賛同を求めて東京市中を駆け巡ることになる。
(2)結婚と苦学生救済事業の準備
明治28年(1895年)、島貫は日本橋元大工町教会の牧師に就任している。
この教会は合衆国リフォームド・ミッションの日本における最初の教会として、
明治17年5月に創立された由緒ある教会で、当時木曾五郎が牧会にあたっていた。
木曾が老齢で病弱であったので、同派宣教師団が島貫のこの教会への牧師就任を要望したのである。
老人の多いこの教会を青年の多い教会にしようと、島貫は月給12円をすべて雑誌の発行にあてる
ことにした。
そして創刊したのが、「救世」である。明治28年(1895年)3月3日創刊。
冒頭に発行の目的を「伝道のために発行する。伝道事業の進歩発達をはからんがために発行する。
余輩は唯伝道を論ずるをもって任となす。」と記している。
そして、海外教育会の問題、東洋伝道開始の一策、伝道者の勉強、東洋神学会の設立、朝鮮伝道、
教会の自給問題、日本キリスト教徒の大学校設立、安息日学校の緊急問題、教会音楽問題等々、
これらを縦横に論述した。
圧巻は第5号の「救世軍を論ず」である。
「中庸を得たる救世軍の組織を以て、貧民問題を正解し得るものと信ぜざるを得ない」
「空論に走らない実践的一大事業である」「救世軍こそ日本に必要な軍隊である」と述べ、
わが国に救世軍を必要としている証拠として、東京市内の貧民窟に関する統計を挙げている。
そして、「わが国の将来を思うとき、一日も早く救世軍の来日を熱望せざるを得ない」と結んでいる。
兵太夫は明治29年(1896年)7月25日にシカ(志賀子)と結婚している。
兵太夫30歳、志賀子20歳の時である。
志賀子は、兵太夫が宿痾で他界するまでの17年間、良き伴侶として夫の牧会と力行会の事業に献身することとなる。
明治29年は島貫にとって多忙な年となった。教会が元大工町から神田美土代町に新築移転することになった。
苦学生を放棄しておいてはならない。苦学生の霊肉を救済していかなければならない。
まず第一に、当面の急務たる救貧事業の一部である苦学生の霊肉救済から始めるのが自分の使命であると彼は自覚した。
そのために、神田教会を中心に、まず苦学生の救助に尽力しようと決意したのであった。
【年表を見ながら、読書者のコメント】
島貫の生きた時代は、明治の初めから現時点は日清戦争までのあたりである。
島貫は慶応2年(1866)に生まれているので、明治になる直前でした。
その間、10歳までの間に明治新政府の成立の時期がありました。
1868年 五箇条の誓文・・・この時はキリスト教を禁止していた
1869年 版籍奉還
1871年 廃藩置県
1872年 学制公布
1873年 徴兵令公布
1876年 秩禄処分
同時に殖産興業政策の展開がありました。
1871年 郵便制度の開始
1872年 鉄道開通、富岡製糸場開業、国立銀行条例制定
1873年 内務省設置
1874年 屯田兵制度制定
1877年 第1回内国勧業博覧会開催
そして、同時期に自由民権運動も展開されています。
1874年 民選議院設立建白書の提出
1881年
~1882年 政党の結成(自由党、立憲改進党結成)
1882年
~1886年 福島事件、加波山事件、秩父事件等
1889年 大日本帝国憲法発布
こうしてみると、明治の初めの10年間によくこの国の仕組みを作り変えたと思います。
もちろんその間には、士族の反乱や西南戦争もありました。
これらの出来事は国の中枢での出来事ですが、この間に一般の庶民は混乱の中でもしっかり生きていたのだと思います。
この本を読んでいくとともに、明治期の歴史も見ていきたいと思いました。