郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

「昭和が明るかった頃」(関川夏央著)

2020-04-29 | 読書
今日は「昭和の日」であった。

先週ころから、この本をよんでいた。

別に「昭和の日」に合わせたわけではなかったが、読んでいるうちにこの日になっただけである。

最近ジャン・ギャバンや高倉健など、映画人の本を読んでいたが、この本も「吉永小百合」さんや「石原裕次郎」さんを中心とした、

日活映画をもとに、昭和の時代を語ったものであった。

著者が、文庫本版のための「あとがき」で書いているが、『私はこの本で。ある時代の娯楽映画がはらんだ「思想の解読」を行ったが、

映画の本を書いたつもりはない』と言っている。「ある時代の思潮と時代そのものの持つ手ざわりを、日活という映画会社の盛衰と

その作品制作にかかわった人々の考えと行動をとおしてえがく試みであった」と言っている。

1950年代後半から1960年代前半の「高度成長前期」の時代を、映画をとおして描かれていた。

前回の昭和の東京オリンピックが始まるころまでのことであった。



自分としても小学校に入った頃の話であるから、聞いたり見たりしたことがあったかもしれないが、この本で初めて知ったことも

たくさんあり、自分の生きた時代を知る手助けとなった。

とにかく、自分たちは21世紀の時代まで生きてきたが、高度成長前のこどもの頃は、まだ貧しさもあり、でも明るくもあり、

この先どんどん進歩していくのだなーという、明るい希望があったように思う。

地震や台風の災害もあったのだろうが、毎日テレビで放映されるようなこともなく、身近になければ楽しい毎日であったように思う。



この本は、先にも書いたように「吉永小百合」さんの映画での活動を中心に、昭和の時代をえがき、考えている。

「吉永小百合」さんは、1945年に生まれて、15歳ころから映画などの仕事をしていたという。

「キューポラのある街」や「愛と死を見つめて」などの映画で有名になったが、15歳から20歳ころまでに、そのような映画に

出演されていたと知った。そのころから働いていたのは、家庭の稼ぎ手の一役をかっていたからだという。

もちろん、その後大学に進学したり、結婚したりして、現在でもたまにJR東日本の宣伝に出たりして活躍されているのは、

非常にうれしいことである。そして「サユリスト」というファンも多い方でもある。


今回この本を読んで、戦後の昭和の前半期、1970年前半ころまではいろんな問題もあったが、未来へ向かって突き進んでいた感があった。

そのような時代を生きれて、自分たちは今一線を退き子供や孫たちに、次の時代を引き継いでいこうとしている。

昔語りが子供たちの参考になるかはわからないが、将来はますます多難ではあるから、何か役立つように、手助けになるように

何かを残していきたい。









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ロカ岬(ポルトガル)

2020-04-18 | 思い出の1枚(海外旅行)
先日高倉健さんのエッセイについて投稿した。

その際「宛名のない絵葉書」に触れたが、それは15年ほど前にポルトガルに旅行し、ポルトガルの西海岸、

ヨーロッパ大陸の最西端、ロカ岬に行ってきたからであった。

サンタクルスはそこからまた北のほうにあるようだ。

灯台の先に見えるのは大西洋である。その先にはアメリカ大陸までずっと海が続くことになる。

十字架の塔には有名なカモンイスの「ここに陸尽き、海始まる」が刻まれている。



もちろん、「最西端の地到達証明書」もいただいてきた。



同行の旅行者の皆さまです。

この塔の最上部に十字架があるのですが、写していませんでした。

コメント (2)
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あなたに褒められたくて(高倉 健著)

2020-04-16 | 読書
昨日からけさまで、検査入院で病院にいた。

1年前に手術した後の経過観察である。経過は良好ということで退院してきた。

行く前は、新型コロナウイルス感染者が増えてきていたので、先に延ばしたい気持ちがあったが、

病院から支障はない旨いわれたので、予定通り入院して検査してきた。

大きな病院なので、対策もしっかりしており問題はなかった。そこは感染症の方が入る病院ではないので、

内部は混乱していることもなく、普通に検査、診療が行われていた。

1泊であったが検査が終わるとすることがないので、ベットで本を読んできた。


以前にブログに書いた高倉健さんが書いたエッセイを買っていたので持って行った。

高倉健さんが映画の仕事をしているときにあったいろんな体験を23本のエッセイに書いていた。

初エッセイであったとのこと。本自体は1991年に発売されていたようである。

高倉健さんは映画内での人物像とは違って、やさしい気持と細やかな感性を持った人だったような気がする。

でも思いを決めたらやらなければならない一途なところもあるようだ。


表題にある「あなたに褒められたくて」はエッセイの最後にある、母の思い出についてである。

高倉さんの母親は、魚が嫌いな高倉に、何日も魚を出してだべさせようとしたそうだ。

でも高倉は食べませんでした。

小学校に入って肺の病気になり1年間休学して、安静にしていた時、本ばかり読んでいて、

国語と歴史は得意になったという。

『八甲田山』をやっていたとき、母が映画を見に行って「もっといい役やらしてもらいなさい」

「雪の中はい回っているのは、せつなくて見ていられない」といった。

高倉が離婚してからは、毎年お見合い写真みたいなものを送ってきたそうだ。

「一人になってかわいそうだ、あなたが不憫だ」と毎回書いてきたそうだ。

頑固で、優しくて、ありがたい母だったといいます。

自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒めてもらいたい一心だったといいます。

母が亡くなったとき、告別式に行けなかった。

後で母のお墓に対面した時、子供のころのことがグルグル駆け巡って、思い出されたといいます。

母に褒められたくて、背中に刺青入れて、返り血浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の

夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、三十数年駆け続けてこれました。


子を思う母の心、母を思う子の心、だれでも同じでしょう。

でも亡くなってはじめて、より深く感じられると思います。



他にもいいエッセイがたくさんありましたが、私の気に入ったのは「宛名のない絵葉書」と「善光寺詣り」でした。

「宛名のない絵葉書」は、作家の檀一雄がポルトガルの寂しい漁村サンタクルスに2年間も暮らしたことを知っていて、ポルトガルに

ロケに行った時その土地を訪ねたこと、そして2回目に撮影に行った時もその場所に行き、コルクでできた絵葉書に手紙を書いたが

宛名のない絵葉書をずっと持っていたこと、そしてそれは誰に出すはずであったか、後で思うとあこがれの女性あてに

書いていたようだという。

ロカ岬で檀一雄が詠んだ詩を口ずさむ。「落日を拾いに行かむ海の果て」

檀さんが土地の女性にあてた色紙、「時の間に過行くものぞ  我ら哀れ同学」

高倉の言葉「去りゆく夏の後ろ姿に、乾杯。」


「善光寺詣り」は、高倉の本名、小田にまつわる話。

高倉の祖先に小田宅子(いえこ)という方がいて、江戸時代に『東路日記』という紀行文を残しているという。

天保12年、筑前国から東国への旅に出て、伊勢神宮、善光寺、日光、江戸、善光寺に回って、故郷へ帰ってきたという。

さらに鎌倉にお墓を買った話から、小田家の祖先が、鎌倉時代の北条家の一族であり、鎌倉幕府滅亡の時にそこにいたことが

わかってきたことであった。当主は自害したが、その一族は西へ、西へ逃れ、山口県の大内氏に仕え、さらに九州に渡り

北九州で小松屋として繁盛したという。その後黒田家から名字帯刀を許され小田姓を名乗ることになったという。















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「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」(鈴木 明著)を読む

2020-04-12 | 読書
「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」を読んだ。

昔のフランスの俳優の話である。

私が最も印象に残っている映画は、テレビで見たのだが、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」である。

中学生の頃のことだと思う。

このジャン・ギャバンは、アラン・ドロンよりも古い戦前からの俳優であるからよく知らなかったが、

フランス映画のポスターにアラン・ドロンなどと共演していていたものを見たことがあった。

その後というか、ここ数年前に仙台市内にワインバーがあって、たまに行っていた。前にブログに載せた誕生会をやったところである。

そこで、お店のママさんにフランス映画のDVDを借りた。なぜ借りるようになったかはよくわからないが、そこのママさんはシャンソンの歌い手であった。

シャンソンを歌うくらいであるからフランス映画のファンだったのだと思う。

そこで借りたのは「望郷」(ペペ・ル・モコ)と「パリの空の下セーヌは流れる」であった。

その「望郷」(ペペ・ル・モコ)の主演がジャン・ギャバンであった。

そして、ジャン・ギャバンの有名な作品に「大いなる幻影」というのがあることも知った。

1937年の作品であり、第一次世界大戦を扱ったものであった。

アラン・ドロンのように美男子ではないが、いかにもフランスのおじさんという感じで、好感が持てた。



この本は、ジャン・ギャバンファンの作者が、ギャバンの生誕から亡くなるまでと、その後のことを詳しく調べて教えてくれた。

さらにフランス映画の様々な関係者や歴史、フランスの各地の地名や20世紀前半のフランスの歴史も教えてくれた。

小学生の頃から何となく興味があったが、フランス語や読み方が慣れずにそれきりになっていたが、本を読んでみてまた興味が出てきた。

この本の内容は、以下になっている。

プロローグ  ジャン・ギャバンのふるさと「モンマルトル」
第1章    プチ・エレーヌが7番目の子を生んだ
第2章    最初の女房ギャビー・バッセ
第3章    「ラ・ミス」との劇的な出会い
第4章    「不安な時代」のフランスの顔
第5章    『地の果てを行く』から『我等の仲間』まで
第6章    『望郷』の彼方にいた日本人
第7章    『大いなる幻影』が未来を予見した
第8章    夜霧の中に出現したミッシェル・モルガン
第9章    そして第二次世界大戦がはじまった
第10章   ハリウッドなんて、くそくらえ!
第11章   戦争が終わって、舞台と結婚が待っていた
第12章   「新しいギャバン」の時代がはじまった
第13章   「モンコルジェ農園」の決闘
第14章   1976年11月15日ジャン・ギャバンは復活した
エピローグ  「ジャン・ギャバンの息子」との対話










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「ちかてつさんぽ」創刊10周年

2020-04-11 | 雑誌
仙台市地下鉄の情報誌「ちかてつさんぽ」が創刊10周年を迎えたとのことです。

ほぼJR利用の私ですが、たまに地下鉄にも乗ります。

先日地下鉄駅で見かけました。



仙台市地下鉄が開業したのは1987年7月のことで、この時は南北線として開業しました。

思い返してみれば、ちょうど私がはじめて仙台に転勤してきた時でした。

この情報誌ができたのは2010年でしょうから、開業からは大分たっていたということです。

さて、紙面を見て創刊後の「地下鉄10大ニュース」は

2010.2月   南北線全駅で可動式ホーム柵供用開始
2010.4月   「学都仙台 市バス・地下鉄フリーパス」本格実施
2011.3月   東日本大震災発生
2013.10月  南北線車両大改修完了
2014.12月  南北線でICカード乗車券icscaサービス開始
2015.4月   地下鉄駅務員・運転士の制服デザインリニューアル
2015.7月   南北線構内売店リニューアル
2015.12月  東西線開業(八木山動物公園~荒井間)
2016.3月   交通系ICカードとicscaの仙台圏相互利用開始
2017.7月   仙台市地下鉄30周年・・・1987年7月に全国10番目の地下鉄として開業しました。

この冊子には沿線のイベント情報やカフェ、食事処などの情報が載っているので、街の散策に活用しています。

今はコロナウイルスで散策もできませんが、落ち着いたらまたいろんな場所を歩いて見ようと思っています。

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