2010年12月、津軽鉄道ストーブ列車に乗って、太宰治記念館の「斜陽館」に行ってきた。
五所川原市の「立佞武多の館」では、勇壮なたちねぶたの山車も見た。
撮る位置が近すぎて、山車の迫力がそがれて、うまく写せなかった。残念
実物はもっと大きくて迫力満点でした。
2010年12月、津軽鉄道ストーブ列車に乗って、太宰治記念館の「斜陽館」に行ってきた。
五所川原市の「立佞武多の館」では、勇壮なたちねぶたの山車も見た。
撮る位置が近すぎて、山車の迫力がそがれて、うまく写せなかった。残念
実物はもっと大きくて迫力満点でした。
2012年7月、山口県長門市仙崎の金子みすゞ記念館に行った。
山陽新幹線新下関駅から山陰観光列車「みすゞ潮彩」に乗り、車窓から日本海の景色を見ながらの
旅だった。
仙崎駅から記念館までのみすゞ通りには、みすゞさんのモザイク画もあった。
金子みすゞは大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と
まで称賛されながら、26歳の若さでこの世を去りました。
有名な作品に、「こだまでしょうか」、「私と鳥と鈴と」、「大漁」などがあります。
記念館は本屋を営んでいたみすゞの実家、金子文英堂の跡地に建てられたもので、本館と
金子文英堂の二つの建物からなっています。
宇和島城(2014年7月撮影)
所在地 愛媛県宇和島市丸之内
城の種別 平山城
築城者 藤堂高虎
築城年 慶長年間(1596~1601)
歴代城主 藤堂氏(7万石)・富田氏、伊達氏(10万石)
遺構 天守(重要文化財)、城跡(史跡)
天守閣の構造 木造3層3階の独立天守で本瓦葺
登城口の門
現存天守は高虎時代の天守にかわり、伊達宗利が明暦2年(1656)にあげた。
平和な時代を象徴して天守には大きな玄関、唐破風の屋根まで付属する姿となった。
高虎時代はおクロの天守だったが、伊達氏が入城してからおシロの天守となった。
徳川政権に忠誠を表すため、江戸城と同じく「おシロ」の壁となったという。
天守平側の初重と二重の屋根は、千鳥破風が三つ、三角形にあしらわれる。
天守閣からの眺め
写真を見ての通り、曇り空であったので、薄暗い印象になってしまった。
2014年、四国に行った時、高知から宇和島によって、松山に行き、松山空港から帰ってきた。
特急「しまんと」に乗り、窪川まで。
予土線3兄弟の一つ、「鉄道ホビートレイン」に乗り、宇和島まで行った。
まだ留置線に留まっていた。
ホームに入ってきた。こちらは後部側だったと思う。
こちらを先頭に宇和島へ。
車内には、鉄道模型が飾ってある。
二人掛けの席はこの4つだけ、あとはロングシートであった。
途中、四万十川を右に左に見ながら、宇和島駅へ着いた。
駅で降りて、宇和島城へも行ったが、それは別の機会に投稿する。
宇和島からはこの列車で、松山へ向かった。
2012年7月、呉市の大和ミュージアムを見てきた。
ミュージアムの入り口前の広場には、ネプチューンの像や戦艦陸奥の主砲身やスクリューなどが
展示されており、その大きさにびっくりです。
ここからが、管内展示です。
実物の1/10サイズだという戦艦大和がありました。
後方から
艦橋部分を真ん中から
後方のカタパルト
こちらは、ゼロ戦です。
2階から全景が見れます。
ミュージアムの外には、港は広がっています。
気持ちよさそうですが、時間がなくて行けなかった。
館内には呉軍港の歴史や造船や製鋼にかかわった工場などの資料展示もありました。
そして、当時の日本の最高水準の技術を支えた人たちの歴史もありました。
このような技術の発現には素晴らしい才能を発揮する日本人も、平和や地球環境の改善には
いまいち貢献できていないのはどうしてなのでしょうか。
政策を実現していく方々のリーダーシップをますます期待します。