郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

乙巳の変(いつしのへん)旧「大化の改新」

2021-08-31 | 日記

乙巳の変(いつしのへん)というのは、昔は「大化の改新」と教わったものである。

私の中・高校生の頃はである。

今手元にある高校時代の「日本史辞典」(旺文社発行)には、

「645年(大化1年)に始まる政治大改革」とある。

私の記憶では、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害し、蝦夷、入鹿の蘇我一族を滅ぼした政変と覚えていた。

確かに、646年に改新の詔が発せられ諸政刷新にのりだしたとある。これが「大化の改新」であった。

 

私の息子の「日本史用語集」(山川出版社発行)には、「乙巳の変(いつしのへん)」というのが出ている。

それが、蘇我氏を滅ぼした政変のことであった。

「大化の改新」もでており、「蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革。氏姓制度の弊を打破し、天皇中心の中央集権国家建設を

目標とした」とある。

 

急に私が古代史の話を書き始めたのは、以前から歴史には興味がありいろんな本やブログなどを見ていたからでもあるが、

昨今のコロナ禍で、集中して読書する気が無くなっていたからでもある。

毎日、自粛と3密回避やコロナ感染者の数やワクチンの効果や弊害など、合わせてオリンピック、パラリンピックと

落ち着くところがないからである。さらにコロナを忘れたような政治の動きである。もうたくさんだ!

 

それにしても、日本人は忘れやすいというか、過去の経験を結局活かせないのではないか。

先の戦争の時のような、大本営発表のような報道や戦力の小出しの投入、責任感のないリーダーと精神力の強要、

もう我慢ができない。

さらにこの後には、無駄にかかった費用の回収があるだろう。税金の増大だ。

私にはいままでの方策はすべて選挙へ向かっての、というか政権維持へ向かっての魂胆があったようにしか見えない。

楽観的観測で、そのうちよくなると思っていたから、こんな5回もの緊急事態宣言となったし、子供にまで拡大する

感染症になってしまっていると思う。

 

私にはこれをどうしようともできないし、総裁選にも関与できないのであるから、選挙で望みをつなぐしかないではないか。

早く選挙をやって人心一新、人と政策を変えて、明るい世の中にしてほしい。

さらにゆっくり読書のできる環境を取り戻したい。

 

 

 

 

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近所の道路脇に咲いていた花

2021-08-29 | 日記
以前から鮮やかな白い花が道路脇にあり気になっていました。
グリーンスナップで名前を教えてもらいました。

「ハツユキソウ」という花のようです。
トウダイグサ科トウダイグサ属の一年草です。
白い花がよく目だって、美しい花です。


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槻木駅

2021-08-26 | 日記

今日は猛暑がぶり返した。

まん延防止等重点措置から急に緊急事態宣言地域に追加された宮城県が、

明日から全県が対象地域になることになり、非常に戸惑っている。

確かに感染者数が増加してきたが、また緊急事態になるとは思っていなかったのに

県では要請もしないのに、政府から指名されてしまった。

そしたら昨日は感染者も過去最高301人と、簡単に300人を超えてしまった。

仙台市も197人の過去最多である。最大の感染地は仙台市であり、県内の3分の2である。

 

そこに毎日通勤して仕事しているのだから、緊張感も高まるというものである。

そして暑かった。

仕事も終えて電車で帰路についたはいいが、珍しく本を読んでいる間に乗り越してしまった。

気がついたら、降りる駅を乗り過ごして、隣の槻木駅へ向かっているではないか。

槻木駅で降りて、妻の迎えを待った。(そのあとの下り列車で戻る方法もあったが、

妻が駅前で待っていてすぐに槻木駅に向かってくれるというので待っていた。)

 

それでもしばらくぶりに槻木駅へ来た。

駅前をぶらぶらして待っていた。

いろんな発見があった。

青葉城址に建つ伊達政宗騎馬像の作者は、柴田町出身の小室 達さんという人だった。

その方の作った像「舞」が駅前にあった。

槻木駅は柴田町の中心からは離れているので乗り降りの客も少なく静かだった。

構内には阿武隈急行鉄道の電車も停まっていた。ここが宮城側の出発駅である。

 

駅前に槻木駅周辺のウォーキングコースも紹介されていた。

いいコースのようなので、次回涼しくなったら出かけてみたくなった。

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佐賀城跡

2021-08-24 | 

佐賀城跡(2010年4月撮影)

佐賀藩36万石の居城跡。全国でも屈指の濠をめぐらし、5層の天守閣を持ち栄城、亀甲城、沈み城などと呼ばれる名城でしたが、

明治7年の佐賀の役でほとんどを焼失。

現在は鯱の門と続櫓が佐賀のシンボルとなり残っている。

中に、佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元した「佐賀城本丸歴史館」が建てられている。

 

 

さがレトロ館

明治20年に建てられた洋館(旧警察部庁舎)を活用した佐賀県産食材のレストランや物販コーナーがある。

 

佐賀駅(2010年当時)

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岡山城

2021-08-22 | 

岡山城(2011年11月撮影)

別名     烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)

所在地    岡山市北区丸の内2-3-1

城の種別   平城

築城者    宇喜多秀家(57万4千石)

築城年      慶長2年(1597)

歴代城主   宇喜多氏(57万4千石)・小早川氏(50万石)・池田氏(姫路系28万石)・池田氏(鳥取系31万5千石)

遺構     月見櫓、西丸西手櫓(以上重要文化財)、本丸を中心に櫓・門・旧本丸などの石垣、内濠及び後楽園(特別名勝)

天守閣の構造 鉄筋コンクリート造3層6階(昭和41年再建)、地下1階(再建時に増設)

 

JR岡山駅から、桃太郎大通りを東へ進むと旭川という川にあたり、その先に岡山城が見えてきた。

北側のほうを望むと、川の右側は岡山県立博物館と岡山後楽園である。

近づくにしたがって、立派な城の姿が見えてきた。

城は昭和20年空襲により焼失しましたが、昭和41年に再建されました。

月見橋の向こうに、後楽園の一角らしきところが見えましたが、時間がなく行けませんでした。

 

今日は、午前中は小雨、午後からは曇りになりました。

雨が続いているうちに、庭の樹木に毛虫が付きスカスカに葉が食われてしまいましたので、

午前中に枝を切ってしまいました。伸び放題の雑草やつる草も抜いて少しはきれいになりました。

その代わり汗びっしょりになり、即シャワーを浴びて昼になりました。

午後からは、プールに行って水中ウォーキングと軽く泳いできました。

最初プールの入り口を入ったら、だれもいなくて貸し切り状態でした。びっくりしました。

でも監視員の人はいたので、休業ではありませんでした。そのあと2~3人が来て、少しずつ増えてきました。

安心しました。

宮城県もコロナ感染者が急増していて、このところ200人越えも続いていました。

仙台市がまん防指定となったので、みんな自粛しているのかと心配になりました。

 

早く落ち着いた日々が戻ってほしい、今日この頃です。

 

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