こんにちは。
今日もありがとうございます。
仕事の話をするのは大嫌いなのですが、
大切な話なので備忘録として書いておきます。
職場で「責任感がハンパない」とする、私に対する声があったようで、
非常に腹が立ちました。
私の責任感がどうのという話はさておいて、
すくなくとも自分と同じ仕事に関わっている人間に対しては、
自分より相手のほうが責任感があると思う場合、
責任感について褒めたり、言及すべきではないと思います。
自分の感じられない責任を、
自分よりも責任感のある人に押し付けているも同然になってしまうからです。
人の責任感を眺めたり褒めたりしている余裕があったら、
一緒に力を合わせるとか、
自分の責任がどこまで及ぶのかを勉強させてもらう、
あるいは、その責任の取り方はどうすれば果たせるのか教えてもらうのが仕事の鉄則ではないでしょうか。
責任感とは、自分の地位や代価、あるいは行為や不作為ひとつで、
どこの誰までに影響が出てしまうかを考え、感じる力のことを言います。
だからこそ、私は仕事の能力がないから、
どんなに罵られようとキャパを越えた仕事は受けないのです。
よく仕事が出来る人と勘違いされますが、
勘違いはしょせん勘違いなんであって、
期待ハズレなどということになったら大変な迷惑がかかります。
そのかわり、受けたものは自分なりに努力できればと思ってはいます。
私は昔、仕事を間違えて責任感がないないと散々に言われてきました。
その程度の評価をされていた、しかも能力の低い私がやっている仕事なんですから、
給料の代価としての最低限の仕事をやっているだけという自覚しかありません。
そんな程度の仕事に感動する人なんて、世間を見くびっているという意味で危険だと言っておきます。
こんな投稿をしていること自体が地雷を踏んでいるようなものですが、
「責任感」などというコトバは、決して簡単に口にするものではありません。
仕事でも恋愛でも、なんでも同じです。
基本的に自分は無責任だと思って、
全ての責任は自分にある、責任を感じよう、突き止めようと思っていれば、
たいてい間違えはありません。
自分に責任感があると思うかは自由ですが、
実は自分で思っているほどではなかった場合、
その責任感の全てはフイになってしまうことに気付く必要があるのではないでしょうか。
※追記
支離滅裂な文ですいませんでした。
怒りにまかせて書くものではないですね。
今日もありがとうございます。
仕事の話をするのは大嫌いなのですが、
大切な話なので備忘録として書いておきます。
職場で「責任感がハンパない」とする、私に対する声があったようで、
非常に腹が立ちました。
私の責任感がどうのという話はさておいて、
すくなくとも自分と同じ仕事に関わっている人間に対しては、
自分より相手のほうが責任感があると思う場合、
責任感について褒めたり、言及すべきではないと思います。
自分の感じられない責任を、
自分よりも責任感のある人に押し付けているも同然になってしまうからです。
人の責任感を眺めたり褒めたりしている余裕があったら、
一緒に力を合わせるとか、
自分の責任がどこまで及ぶのかを勉強させてもらう、
あるいは、その責任の取り方はどうすれば果たせるのか教えてもらうのが仕事の鉄則ではないでしょうか。
責任感とは、自分の地位や代価、あるいは行為や不作為ひとつで、
どこの誰までに影響が出てしまうかを考え、感じる力のことを言います。
だからこそ、私は仕事の能力がないから、
どんなに罵られようとキャパを越えた仕事は受けないのです。
よく仕事が出来る人と勘違いされますが、
勘違いはしょせん勘違いなんであって、
期待ハズレなどということになったら大変な迷惑がかかります。
そのかわり、受けたものは自分なりに努力できればと思ってはいます。
私は昔、仕事を間違えて責任感がないないと散々に言われてきました。
その程度の評価をされていた、しかも能力の低い私がやっている仕事なんですから、
給料の代価としての最低限の仕事をやっているだけという自覚しかありません。
そんな程度の仕事に感動する人なんて、世間を見くびっているという意味で危険だと言っておきます。
こんな投稿をしていること自体が地雷を踏んでいるようなものですが、
「責任感」などというコトバは、決して簡単に口にするものではありません。
仕事でも恋愛でも、なんでも同じです。
基本的に自分は無責任だと思って、
全ての責任は自分にある、責任を感じよう、突き止めようと思っていれば、
たいてい間違えはありません。
自分に責任感があると思うかは自由ですが、
実は自分で思っているほどではなかった場合、
その責任感の全てはフイになってしまうことに気付く必要があるのではないでしょうか。
※追記
支離滅裂な文ですいませんでした。
怒りにまかせて書くものではないですね。