青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

感情表現の善し悪し。

2011年05月05日 23時33分51秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 対人関係で軽い恐怖心を持っている人の参考になれば、と思ってお話しします。


 ☆ ☆ ☆

 「いつもニコニコしていましょう」と言うと、
 「笑顔ならなんでもOK」と勘違いしてしまう人がいます。
 たとえば、自分に明らかな落ち度があるのに笑顔でいるような人がいたら、
 どう考えたって、よい印象は出てきませんよね。
 「罪悪感を持たないどころか照れ笑いや苦笑いでごまかそうとする、とんでもない奴」だとして、
 もうそんな人には近寄りたくないと思うのは、ごく当然のことです。


 さて。

 世の中なんでも加減というものが大切ですが、
 照れ笑いをして失敗したような人の中には「こんどはもう表情なんか作らないようにしよう」と、たまに極論に走る人がいたりします。
 人前での感情表現の失敗を重ねた場合、心を閉ざしたように振る舞ってしまうのです。
 しかし、表情に正解はないのです。
 「どんな時にどんな表情をすれば」と考えたところで、
 同じような状況で同じことしても、会う人会う人全員の気持ちなんか読むのは不可能だからです。

 私が思うに、「どんな表情をすれば…」という問題は、
 誰しもブチ当たっているのではないかと考えているのです。
 こと小さい頃は善悪の基準なんか付きませんから、
 しかるべき場面でしかるべき態度を取れなかった場合、誰がしかがしつけるか、間違いだったとして反省することで、
 みんながみんな、学習してきているハズなのです。
 先の例ではありませんが、
 遊んでいて「元気でいい子だ」と言われたと思ったら、同じように遊んでいても、注意されてしまうことがある。
 よくよく考えてみたら、電車の中で言われることが多いようだ。
 だから、乗り物の中では騒がないほうが良さそうだなあ…という具合に、
 何度も何度も、失敗することでどんな感情表現が喜ばれるかという、
 大まかな指針が出来てくるわけです。

 感情表現に壁を感じている人も、本質的にはなんら変わらないのです。
 大人になったって、間違えた感情表現をして失敗してしまうこと位、いくらでもあるわけです。
 繰り返しますが、人の心が読めない以上、どんなものが間違いになるか予測するのには限界があるからです。
 人間、いくつになっても勉強が必要なのは誰しも同じなのです。
 たまたま間違えた表情を作ってしまったからといって、
 それを恥じることはない。
 次に活かせばそれでいいんです。


 参考までに、私の感情表現のポリシーをひとつ。

 ・人前で出すのは、よい感情を基本にする
 ・ただし、気の置けない人の前では素直にしておく
 ・「笑顔がマズい時」を押さえる

 もちろん、これは一つの原則で、誰にでも当てはまるわけではありません。
 しかし、「どんな表情をすれば困らないか」を大雑把に押さえ、自分なりの原則を一度でも作れば、
 あとは細かい点を修正するだけで済みます。


 感情表現は、勉強するからどんどん進化していき、
 より人に喜んでもらえるようにもなるのです。

ドクペ好きにはたまらない!

2011年05月05日 19時37分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 実は私、ドクターペッパーが好きなんです。
 世の中のドクターペッパー好き10人に1人と言われますが、
 どうやらそれにに選ばれたようです。


 …と、昨日も歩いていたらこんな自販機がありまして(笑)
 まったくもう、誘惑に負けちゃいました。

幸せの白いつつじ

2011年05月05日 12時46分41秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日、歩道で溢れんばかりに咲いている白いつつじを見ました。
 あまりにも白くて、まるで雪でも積もっているかのような気持ちになりました。

 私は白いつつじを見たり、その写真をケータイの壁紙にしていると、
 なぜかよいことが起こったりするんですよ。

 皆さんにも雪崩のように、幸せが訪れますように。

亀戸天神社・藤まつり(夜の部)

2011年05月05日 07時09分57秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、参拝も兼ねて亀戸天神社の藤まつりに行ってきました。
 そこで「おや、夜中もライトアップをしてるんじゃ…!?」と気付いて、昨日また参拝してみると…
 

 やってました、やってましたよ。
 美しく藤がライトアップされていたんです!
 

 夜の藤でも、藤は藤。
 葉っぱの黄緑色と相まって、昔からよく見られる日本伝統の色合いでした。
 藤の花期は短く、一部は旬を過ぎていましたが、
 まさに見頃な部分もあり、十分楽しめました。
 
 

 観覧している方々からは「去年よりかなりライトアップが寂しい」との声も聞かれましたが、
 私はこの環境下でも、規模を縮小してライトアップをして下さった神社の皆さんに感謝しています。
 

 藤ってこんなに素敵な花だったんだなあと、
 シャッターを止めるタイミングがなかなか見つかりませんでした。
 まだ咲いている場所があったら、撮ってみたいと思います。
 

いざ、しょうぶだ!

2011年05月04日 23時00分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日は絶好の写真日和でした。
 5ヶ所も回れて、非常に充実した一日、本当にありがたい気持ちで一杯です。

 その中である場所を去る際、なんと菖蒲(しょうぶ)の花が道の片隅に!
 気付いた時、うれしくてニコニコしてしまいました。
 実は去年、撮ろうとしてもなかなか日取りが合わず、近所でもなかなか咲いていなかったので、
 1年越しの悲願達成と相成りました。
 いかにも「和」なこの造形が美しくて、一度写真に収めてみたかったんです。


 ホントによい気分です。
 うわあいヾ(*^▽^*)o

下心。

2011年05月04日 18時40分50秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 小噺(こばなし)をひとつ。

 「愛と恋の違いってなんですか?」
 「漢字をよく見てください、愛は真ん中に心があって、恋は下に心がある。
 だから、下心がない人には愛があるんだよ」
 「なるほど、いい話ですね。でもそれじゃあ、「徳」っていう字の立場はどうなるんですか?
 下に心がある上に、「恋」より心が小さいってことですけど、下心があって、しかも心のあまり籠っていない人は「徳のある人」なんていいませんよね?」
 「あっ、あのー、それに関しては下心が小さくて、その分…(押し黙る)」
 「ああ、下心があるってお認めになったんですね」
 「すっ、すいません…」

 …とまあ、これはよくある話に私のアレンジを加えた笑い話なんですが、
 要は「心を籠める」ということについて、いろいろと洞察を巡らせていただければなあ、と思ったんですね。



 これを踏まえて。


 一口に「いいことをする人」と言っても、私は三段階に分けられると思っているんです。
 まず、見返りを一切求めない、純粋に人の幸せを願う人。
 次に、気持ちはあまり伴っていないが、偽善でもいいことだからとりあえずやってみようという、
 「どちらかと言えば」型の人。
 表向きはいい人に違いはないが、善意でやったことに後から貸し借りを絡めて、駆け引きの材料に使う人。

 「あれっ!?」と思った方は、素晴らしい感性の持ち主です。
 最後の一つだけ、毛色の違う仲間外れのものですよね。
 つまりは「下心」があるのはこれだけだからです。

 この「下心」というやつ、誰だって嫌がるものです。
 「どうせ良いことなんだから、心がこもっていなくてもよい」という考えはたしかに一理あって、
 心がそこまで伴っていなくても人が助かるなら、
 それに越したことはないのです。
 しかし、「後になって弱みを突ける」とか、「貸しは作れるだけ作っておけば楽だ」とか、
 ともすれば誰かに付け込むためだけに、もっと言えば1の貸しを10にも100にもして返させるために表向きの善意を働く、
 こんなことをする人とは距離を置きたいと思うのは、ごく自然な話だと思いませんか。
 人間関係は貸し借りをしながら幸せを築いていくものですが、
 相手の幸せだけ築いて自分の幸せはいつまで経っても手に入らない、
 こんなのはもはや人間関係ではありません。
 人を物扱いしているだけで、相手の世界だけで完結しているようなものは、
 もはや「人間関係」と呼ぶものではないと、私は思うんですね。


 話が少し脱線してしまいました。

 世の中、綺麗事ばかりではありませんから、
 ある程度は相手を気持ちに「不純物」が混ざっていても、それを恥じることはありません。
 しかし、自分が嫌がるのと同じように、あからさまな下心は人を遠ざけ、
 結局は自分を滅ぼすことになるのです。
 「下心」は、純度が高いほど、持っている方からも差し出される方からも、幸せを奪うのです。

 どうせよいことをするのなら、ほんの少しでもよいので「下心なり打算なりをやめよう」と思いたいもの。
 そうすれば、差し出される方だけではなく差し出す方も幸せになります。


 やれ幸せだなんだって言いますが、簡単な話なんです。
 「あからさまな下心」をなくすだけで、多くの幸せが生まれるのです。

サングラスは必須ですね

2011年05月04日 12時08分03秒 | 青裸々日記。
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 この時期、お出かけ日和にはサングラスが必要ですよね。
 陽射しだけでなく、最近は黄砂もすごいじゃないですか。
 私はこの前、細かいゴミが目に入って、コンタクトができない位に眼が傷ついたんですよ。

 サングラス焼けとかも嫌なものですが、お出かけの際はなるべく持っていたほうが良さそうです。
 1,000円もあれば、そこそこよいデザインのものも買えますから、
 お金を出してでも、ぜひ持っておいて下さいね。

レッドタイガーアイ

2011年05月03日 23時10分07秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 どうもここ半年くらい、お守りとして天然石のブレスレットを左手にしています。
 お供にしていると、「一緒にがんばってくれてるんだ」と言えばいいのかな、
 なんだか孤独感がなくなって、力がわいてくる気がするんです。


 さて、私は必ずと言ってよいほどタイガーアイを付けています。
 特にこの「レッドタイガーアイ」は、悪いものを避けて、愛情や情熱をサポートしてくれるんだとか。
 写真じゃわかりずらいですが、とても光沢が綺麗なんです。

 まあ、効果に関しては頼り切るような考えだと霊感商法まがいになるので「あったらよいな」程度に思っていますが、
 身につけることで元気になれるのは事実。
 大切に使っていきたいと思っています。

東京大神宮

2011年05月03日 16時20分42秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 5月3日。
 私はこの日を、とても大切にしています。

 2年前のこの日、たくさんの人間関係で迷走し、多くの大切な人を傷つけ、
 自分で自分の制御が利かなくなっていました。
 そこで、「人とのご縁を」との思いで、「せめてどこかにお参りすることで好転すれば」との思いで、
 這いつくばるようにして来たのがこの東京大神宮でした。


 結局は自分のことです。
 勝手に迷走し、悪気がなかろうと結果的に人をさんざん傷つけたのは、100%私の責任。
 どんなに言い訳したって、傷つけた事実は覆りません。
 だからこそ、1から自分を磨き直し、絶えず勉強を続けていく必要を痛感したのです。
 あきれる位、自分の未熟さに嫌気がさしつつも、自分のことからは逃れられません。
 自分でなんとかする以外、どうしようもありません。
 こういうわけで、「自分を立ち直らせられるのは自分、ご縁があった人を幸せにできるように」と、
 私は強い思いを持っています。


 しかし、自分一人だけでは、どうしようもないのが事実です。
 やはり挫折しそうなこともあるし、心細いことだってある。
 あるいは、とんでもない状態から勉強を重ねることが出来たと、嬉しくなることもある。
 そんな時、そっとお参りしてみると、
 自分の思いを新たにできたり、救われたり励まされたような気にもなるのです。


 ここを見て下さっている皆さんにも、雪崩のように幸せなご縁が舞い込みますように。
 人と人とが傷つけ合うことが、1つでも減りますように。

 心を籠めて、お祈りしています。
 いつもありがとうございます。

きびだんご。

2011年05月03日 15時38分44秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 皆さんは昔話の「桃太郎」を知っていますか。
 とても有名な話ですが、あの話の主人公は「きびだんご」なんです。
 だって、鬼ヶ島に命懸けで退治に行くのに、桃太郎に持たされるのは「きびだんご」だけ。
 しかも、これで犬・猿・雉が仲間になるんですよ。
 こういうわけで、「きびだんご」無しには桃太郎の話は成立しませんし、
 「きびだんご」に籠められたものはどれほどだったのかということになります。


 さて、「きびだんご」の「きび」とは、「岡山県の吉備を指す」とか、あるいは「お米の黍(きび)のことだ」という説が有力ですが、
 私はあえて「(人間の)機微」ではないかという説を考えてみたいのです。

 お団子くらいで命懸けの戦いをするなんて、お団子の受け渡しの際、心をくすぐる何かがあったハズです。
 「機微」というのは、こういう「打算や計算、あるいは学問を覆すもの」なんですね。

 よく「人の心を知りたいから心理学を勉強しています」とか、「心や精神にこだわりをもってどうのこうの…」いう人がいますが、
 私からすれば、心理学や机上の勉強で学べるのはせいぜい半分くらいではないかと思っています。
 「ああ、この人はこれこれこういう心理だから、こうすればいいんだな」というセオリーはまあ、たしかにあるでしょう。
 しかし、心理学で勉強できるのはあくまで学問としての内容で、
 「こういう精神疾患の人にはこうすればよい」とされているのは、あくまで「方向性や指針」のレベルまで。
 「どんな人にも同じように対応すれば、必ず良くなる」ということを書いているということはありません。
 つまり、いくら学問なり文学なりで人の心に迫ってみたところで、学問は学問、文学は文学でしかないのです。
 どんな学問にも言えることですが、学問は最終的に人が使うものです。
 人の個性や環境を無視して一律に同じように分析する、ましてや「こういう心理だからこうしなさい」と押し付けがましく振る舞うなど以っての外なのです。

 「精神」とか「心」とかカッコイイことが言われていますが、
 人の中に心が入っているのは紛れもない事実なのです。
 実際問題として、心にアクセスして自分の知識なり経験なりを役立て実践するには、
 まずは表面、つまり「心ではなく人を相手にしている」という視点に立たなければ、
 人を救うことは難しいのです。


 知識だけを付ければ、全てがわかるということはありません。
 「頭」だけで「心」を理解するのは、限界があるのです。
 そこに「人」がいるということ、この事実をよく考えてはじめて、
 いろいろな知識や経験が活きてくるのです。


 心には「きびだんご」が必要なのです。

銭湯

2011年05月03日 11時20分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日は夜遅くに、銭湯に入ってきました。
 いつ行っても銭湯は癒されます。

 私の勝手な考えなんですが、450円で、
 ・最初に湯舟に浸かる時の脱力感で150円
 ・半分のぼせて洗面台で脱力する気持ち良さそうで150円
 ・その他もろもろで150円

 …だからリーズナブルなんですよね!!なーんて思ったり(笑)


 また近く、ゆっくり浸かってくる予定です。

いつも、最新の自分。

2011年05月02日 23時25分02秒 | 青裸々日記。
ハナミズキ(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「いつも、最新の自分」

 これ、恥ずかしながら、私が作った言葉なんですね。
 大好きで使っています。

 本当はどんな物も人も、今この瞬間が「最新」なんです。
 過去にどんなものがあろうと、心の中に澱んだものを抱えていようと、
 どんな時も「最新」の状態を人に見せていることに変わりはないんですね。
 もちろん、時間と共に色褪せたりくすんだり、劣化するものもある。
 しかし、それもまた「一番新しい状態」なんです。
 「現在」というのは、例外なく「最新」の集まりなんです。


 そしてまた、瞬間、瞬間が「最新」なんです。
 目の前に見えているもの全てが、「最新」を刻んでいるのです。
 隣にいる人も、携帯電話も、服も、なにもかも。
 後ろを向こうが前を向こうが、それが「最新」の状態であり、態度なのです。

 結局、人間の評価というものは、
 「過去の実績」よりも「現在の姿勢」のほうに、重きが置かれるものなのです。
 どんなに負い目や欠点、疲労を抱えていても、そんなことはお構い無し。
 どうしても「目の前にある態度」が目立ってしまうというのが、現実のところではないでしょうか!?


 さて。

 私達は日々、多くのことを経験します。
 その経験をフィードバックすることで、どんどん成長していきます。
 この「成長」という部分が大切なのです。

 成長した結果として、自分がどういう人間になっているのか
 「最新の自分」という視点に立つと、こういった切り口で存在理由が問われてきます。
 いろいろ経験した結果、
 どんな程度の人間なのか、
 どんな優しさや思いやりのある人間なのか、
 どんな失敗をして、そこから少しでも学んだか。
 これまでのことを活かすのは、いつも「最新の自分」なのです。


 「生まれてこのかた、いろいろあったというか、あり過ぎた」という人がほとんどでしょう。
 あるいはまた、「いろいろ苦労してきたわりには、あまり成長できていない自分が虚しい」と苦しんでいる人だって、
 大勢いらっしゃると思うんです。

 しかし、今の自分が「最新の自分」なのです。
 これはみんな等しく同じことです。


 「最新の自分」が、どんなものであってほしいか
 こんな想像を巡らせてみると、開ける視野もあるのではないでしょうか!?

昨日、新宿で

2011年05月02日 19時31分31秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日、新宿を歩いていたら、バリケードが張られて立ち入り禁止になっている場所がありました。
 よもや事件か!?と思ったら、なんと、街路樹が倒れかかっていて、
 非常に危険な状態になっていたのでした。


 幸い怪我人なども出ず、無事に撤去されたようです。
 被害者が出ないのが一番ですよね。

寝落ち連発…

2011年05月02日 11時15分45秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 この2週間くらい、「ちょっと横になろうか…」と思ったら、
 「ちょっと」が「5時間くらい」になっていることが多いんですね。
 たまにならいいんですが、こう何回もやらしてしまうと、時間が勿体ない気がします。


 今日は夜にスーパー銭湯に入って、バシッと寝ようと思います。

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