右眼と左眼は
それぞれ別のものを見ている
一つに合わさると
まったく違う形になる
という原理は本当らしい
私の二重人格は
右と左が合わされば
立派な一人の人格者となる
ただいつもズレているので
ぎこちない虚像だ
しかし誰も本当の私を
知る人はいない
誰も疑わない
二つの楕円形は
少しズレててちょうど良い
モナリザの前に佇立する
何人目の虚像か
塞がれた微笑み
モナリザはいつまで経っても
焦点が合わさらない
右眼と左眼は
それぞれ別のものを見ている
一つに合わさると
まったく違う形になる
という原理は本当らしい
私の二重人格は
右と左が合わされば
立派な一人の人格者となる
ただいつもズレているので
ぎこちない虚像だ
しかし誰も本当の私を
知る人はいない
誰も疑わない
二つの楕円形は
少しズレててちょうど良い
モナリザの前に佇立する
何人目の虚像か
塞がれた微笑み
モナリザはいつまで経っても
焦点が合わさらない
いつまでもいい子でいてね
聖母の花びらは
面影の彼方
もう戻らない
えらかったね
錆びついた童心に
ふくよかな肌は
たゆたう
追いかければ
かすれていく残影に
あどけない一日が
積み重なった
見晴るかせば
原初の風に
包まれている
もう帰れない
この正月も数枚の年賀状を書いた。すっかり届く
枚数も減り、そのぶん返信する枚数も減った。貰う
のは嬉しいが、出すのが億劫な自分には複雑な心境
だが、人付き合いの苦手な私には年に一度、知己か
らの音信を得る唯一の機会ともいえる。
永く続いているのは学生時代の同級生や仲間だが、
会った事はないが賀状だけの交換という人もいる。
あるいは何度か遣り取りはあったが、自然消滅のよ
うになった人もいる。何年も無沙汰していた奴が、
珍しく送って来たときもある
それぞれの人間関係は必ずしも画一的ではなく、
何らかの想いが含まれていて、賀状という虚礼に場
を借りて、その繋がりに安堵したりする。
ところで九十五歳になる母にも五枚の年賀状が届
いた。返事はどうすると聞いたら、もう書かないと
いう。昨年、仲の良かったただ一人の同級生の女性
が他界し、ずいぶん落胆していたようだったから、
何か想うところがあるらしいけれど、私には推測は
出来てもはっきりとそれを語ることは出来ない。
メールが普及したせいか年賀状が少なくなったと
聞く。私もいつか年賀状は止めようと決心する日が
訪れるのだろうか。そのときの理由は何なのか。案
外大した理由もなく、ただ単に面倒になったときか
もしれない。もう少し先のことになるとは思うが。
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・2024年1月1日に発生した「能登半島地震」に遭われた方々のご無事と、一刻も早い復旧を願っています。