こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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家庭内大移動中

2012-03-20 20:43:30 | 日々のあれこれ
昨日の午後から、ずっと断捨離もかねて部屋の大改革継続中です。

もう、一切の執着を断ち切って?捨てるものは山の如し。
しかも、分別がよくわからないものも多くて、プラゴミだと思ってまとめて出したら、返されちゃいました。(~_~;)


とにかく、息子の部屋は空き部屋となり、隣のアパートに荷物が移動することができました。

隣のアパートはこんな感じです。

                

奥が息子の部屋になりますが、マンガばっかり山のようです。
積み上げてあるだけで、一番働きません。どうなることやら・・。

一方手前、我が家のフリースペースは、娘が友達とたこ焼きパーティーや鍋が出来る場所にしました。
もちろん、私のお友達も呼べます。

私は昔から、友達を集めて宴会を開くのが好きだったのですが、両親との同居以来それは封印されています。
まあ、この狭さなので大勢で集まるのは無理ですが、ちょっとお茶会くらいは、誰に遠慮もなく出来るので、我が家ではそれぞれがこの、ささやかなスペースの有効活用を楽しみにしています。

キッチンもお風呂もトイレもあるし、家とは別の隠れ家になるので、なんだかちょっとワクワクします。

並行して、がらんどうになった息子の元部屋に、さっき私の桐の箪笥を運び込みました。
久しぶりに桐の箪笥をあけてみると、そこには亡くなった母の思い出が詰まっていました。

母の着物の生地で作った小物や、母が私のために長い間集めてくれた、たくさんの着物です。

小学生の高学年から中学生くらいまでは、お正月は着物で過ごしていた時期もあります。
ウールの着物はいわゆる普段着でしょうか。
今では、あまり見ませんね。
黄八丈の黄色い格子縞がとても懐かしくて、これの着物に、赤い帯を締めてめてもらって、赤い道行を切るのがお気に入りでした。
母も、当時は着物をよく来ていました。
冬は、練炭火鉢。
私がもっと小さい時、母は着物に白い割烹着を着て、大掃除にはモンペをはいていたと思います。
煮物を作る母の後ろ姿を、私は何を思って見ていたのでしょうか・・。
今では、遠い遠い昔の思い出です。

夏の大島紬に絽の着物。
小紋に附下、喪服もあるし、懐かしい振袖も出てきました。
これは、成人式と看護学校の謝恩会にも着たものです。
考えれば、娘がその年に近づいているのですね。

そう、私が生まれ時に作って、うちの子供たちが生まれた時にも使った、お宮参りの着物もありました。

なんて、感傷に浸っていると、ついつい片付けの手が止まってしまいます。

さてさて、この箪笥は落ち着いたらもう一度きれいに整理したいと思います。
もうちょっと余裕が出来たら、着物の着付けも習おうかな・・。

そんなこんなで、今日もあっという間に一日が終わってしまいした。
明日は認定審査会もあるので、これからチェックに入ります。


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