南インドの食-中世・近世インドの食の革命(5)
インド南部は地理的に他の地域と隔絶されているため、外部からの影響をあまり受けませんでした。このため、南インド料理には、4,500年前に栄えた古代ドラヴィダ文化の要素が多く残っています。
インドの北部ではナンのように小麦粉を使った料理がよく食べられていますが、南部では小麦粉はあまり使用されず、代わりにコメやマメを使った料理がよく食べられています。また、ココナッツを使った料理もよく作られています。
例えば、「アパム」という紀元前から食べられているパンケーキのようなものがありますが、これは米粉とココナッツミルクを混ぜた生地を発酵させてから焼いて作ります。また、以前に紹介したドーサも、コメとケツルアズキ(ウラドマメ、モヤシマメ)の生地を発酵させてから焼いて作ります。
アパム(Charles Haynesによるflickrからの画像)
今回は、中世から近世のインド南部で盛んに作られるようになった「イドリ」と「サンバル」について紹介します。この2つは、現在でも南インドの代表的な食べ物になっています。
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元来のイドリは、コメとケツルアズキ(ウラドマメ、モヤシマメ)を粉にしたものを練って生地にし、発酵させてから蒸して作る。現在では様々なバリエーションがあり、小麦粉を使うレシピもあるそうだ。
イドリとサンバル(Sarawana Bhavanによるflickrからの画像)
ドーサは同じ生地を焼いて作るが、イドリの方は蒸して作るところに違いがある。インドで蒸し器が使われるようになったのはかなり遅く、7世紀に玄奘がインドを訪れた時に蒸し器が無いことに驚いている。
蒸して作るイドリがインドの書物に登場するのは、1250年以降のことだ。インドの有名な料理史家のアチャヤは、イドリは現在のインドネシアで生まれたのではないかと推測している。彼によると、その地の王に雇われていた料理人が蒸したイドリを考案し、10世紀から12世紀の間にそれがインド南部に伝わったのではないかということだ。当時は南インドとインドネシアの間で交易が盛んに行われており、商人の手によってイドリの作り方が南インドに持ちこまれたと推測している。
イドリの生地は専用の型に入れて蒸すが、現代では様々な大きさや形のイドリ型が売られている。
イドリの型
南インドでは、イドリは朝食に食べられることが多い。また、次に紹介するサンバルやココナッツチャツネ(ココナッツのペースト)などと一緒に食べられる。
サンバルは香辛料の入ったレンズマメをベースにした野菜スープ(カレー)のことで、南インドではほぼ毎食と言ってよいほどによく食べられている日本の味噌汁のような存在だ。使われる野菜は季節の旬のものが多く、日本人と同じようにサンバルから季節を感じているのかもしれない。
前出の食物史家のアチャヤによると、サンバルに関する最古の文献は17世紀のものだそうだ。サンバルの語源は、南インドのタミル人が使うタミル語にあり、サンバルを考案したのもタミル人と言われている。
サンバルにはタマリンドというマメ科の種子のペーストを入れることが多い。タマリンドのすっぱい味がスパイシーさに合うという。サンバルにタマリンドを入れるようになったいきさつについて、次のような有名な話がある。
南インドのタミル・ナードゥ州の支配者シヴァジーには息子(従弟とも言われる)のサンバジーがいた。サンバジーは大変な食通で、スパイスたっぷりのレンズマメのスープにコクムと言うすっぱい果実を入れて食べるのが大好きだった。
ところがある時、コクムが手に入らなくなってしまった。困ったサンバジーは、コクムの代わりになるすっぱい食材を探した。そして、タマリンドを見つけたのだ。サンバジーは自分の作った料理をとても気に入り、宮廷にも作り方を紹介した。宮廷もこの料理をとても優れていると認めたため、南インドで広く作られるようになったという。また、料理名も、サンバジーの名前から次第にサンバルと呼ばれるようになったとされている。