第四章 近世の食
4・1 大航海時代のはじまりと食
大航海時代のはじまり
西洋史で近世と言うと、宗教改革あたりから産業革命の前あたりまでの、16世紀から18世紀半ばくらいまでを指すことが多いようです。この時代には、食の世界で画期的な出来事が起こりました。それは、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸原産の作物の発見です。大航海時代が始まってヨーロッパ人がアメリカ大陸に進出したことによって、この新しい出会いが起こりました。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸で初めて出会った作物には次のようなものがあります。
トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、トウガラシ(ピーマン・シシトウ)、カボチャ、インゲン、ラッカセイ(ピーナッツ・南京豆ともいう)、アボカド、パイナップル、パパイヤ、カカオ、ヒマワリなどの農作物
タバコやコカ(コカインの原料)などの薬品あるいは嗜好品
農作物についてはどれもなじみのあるものばかりで、もしこれらが無かったら現代の食事はとても寂しいものになっていたはずです。例えば、ジャガイモやトマトは西欧料理には欠かせない食材になっていますし、トウガラシはキムチなどの韓国料理に必須の香辛料です。また、カカオは大好きなチョコレートの原材料です。
西洋諸国の海外進出によって奴隷貿易やプランテーションの拡大など、世の中は大きく変化します。いわゆる地球規模の変化であるグローバリゼーションが始まったのも大航海時代と考えられるのです。
そこで、第四章「近世の食」第一回目の今回は、大航海時代のはじまりを概観していきます。
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いわゆる「大航海時代」は15世紀半ばくらいから始まるとされる。
大航海時代の先鞭をつけたのはヨーロッパ最西端の新興国ポルトガルだった。地中海貿易の恩恵を受けてこなかったポルトガルが、ジェノヴァ商人から資金と船の建造・運用技術の支援を受けて海外進出に乗り出したのである。
*詳しくは「ポルトガルとジェノヴァと大航海時代前夜-中世後期のヨーロッパの食(6)」をご覧ください。
ポルトガル人たちは未知の領域だったアフリカの西の海域を南下し続け、1488年にはバルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達する。そして1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてインドに到達し、ポルトガルとインドを結ぶ航路が開かれることとなった。やがてこの航路を使って莫大な量の香辛料がヨーロッパに運び込まれることになり、ポルトガルの首都リスボンは香辛料貿易の中心として成長して行った。
ポルトガルはマレー半島・セイロン島などにも進出し、1557年にはマカオに要塞を築いてアジア貿易の拠点とした。なお、1543年にはポルトガル人が日本の種子島に漂着して鉄砲を伝えている。
一方、ポルトガルに出遅れたスペインは、大西洋を西に航海してアジアに到達するというクリストファー・コロンブスの提案に乗り支援を行った。コロンブスは1492年に大西洋を横断し、アジアではなく西インド諸島に到達した。コロンブス自身はアジアに到達したと信じ込んでいたが、同じ頃にスペインとポルトガルの両国から派遣されたアメリゴ・ヴェスプッチは、この地がアジア大陸とは別の大陸であると報告した。
ところで、ヨーロッパでは新たに見つけた土地は見つけた国のものになるとされていた。ポルトガルとスペインは両国間の争いを避けるために、ローマ教皇に仲介してもらいトルデシリャス条約を成立させた。この条約では、西経46度37分の経線を境界として、そこから東はポルトガルのものになり、西の地はスペインのものになると定められた。この結果、アフリカ・アジアと南米ブラジルはポルトガルが権利を持つこととなり、それ以外のアメリカ大陸の土地はスペインのものとなった。
アメリカ大陸でヨーロッパ人が初めて出会った作物の多くが、大航海時代の初め頃にヨーロッパに持ち帰られた。例えば、トウモロコシとトウガラシ、カカオはコロンブスが1500年前後にヨーロッパに持ち帰っているし、トマトは1520年頃、ジャガイモは1570年頃にヨーロッパに運び込まれたとされている。ちなみに、ヨーロッパに持ち帰った作物のほとんどはアメリカ大陸の現地人によって栽培化され育てられていたものだった。
また逆に、アメリカ大陸にはそれまで無かった作物や家畜がヨーロッパから持ち込まれた。例えば、作物ではコムギやオオムギ、タマネギなどが、家畜ではウシやブタ、ヤギなどが新大陸に持ち込まれた。
また、ポルトガル領となったブラジルにはサトウキビが持ち込まれ、1530年代からサトウキビを栽培し製糖する大農園(プランテーション)が始まった。そこでは安価な労働力として現地のインディオを奴隷として使役した。しかし、ヨーロッパから持ち込まれた伝染病や過酷な労働のためにインディオの人口はまたたく間に減少したため、西アフリカから運んできた黒人奴隷を使うようになった。
大航海時代の海外進出はポルトガルとスペインが先行していたが、やがてイギリスやオランダ、フランスも海外進出に力を注ぐようになった。この三国はアフリカ・アジア・アメリカ大陸に独自の植民地を成立させ、先行していたポルトガルやスペインの権利を奪っていった。こうしてポルトガルとスペインに代わって、イギリスやフランスなどがヨーロッパの強国となって行くのである。