食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ルイジアナとケイジャン料理-独立前後の北米の食の革命(8)

2021-10-03 14:00:21 | 第四章 近世の食の革命
ルイジアナとケイジャン料理-独立前後の北米の食の革命(8)
ジャンバラヤという料理をご存知でしょうか。ジャンバラヤはアメリカ合衆国南部のルイジアナの伝統料理の一つで、肉と野菜などを炒めたものにコメとスパイスを加えて炊き上げた料理です。これに似た料理にスペイン料理のパエリアがありますが、実はジャンバラヤはパエリアを元に考案されました。


ジャンバラヤ

ルイジアナは元々フランス領でした。フランス領ルイジアナは全長約3800㎞のミシシッピー川の流域のほとんどを含むような広大な領域からできていました。その首都はニューオーリンズで、ミシシッピー川の河口に位置します。



フランスは現在のカナダにも大きな植民地を有していて、アカディアと呼ばれていました。しかし、イギリスとフランスが戦ったフレンチ・インディアン戦争(1754~1763年)でフランスがイギリスに敗れると、14000人ものアカディア人がカナダから追放されます。彼らの多くは南下してルイジアナ南部にたどり着きました。こうして移住してきたアカディア人によって考案されたのがジャンバラヤなどの「ケイジャン料理」です。

このような成り立ちから、ケイジャン料理はアメリカ料理の中でも異色なものと言われています。今回は、ケイジャン料理を中心に、アメリカ合衆国南部のルイジアナの食について見て行きます。

************
フレンチ・インディアン戦争の結果、カナダのフランス植民地とミシシッピー川から東側のルイジアナ植民地はイギリスのものとなった。一方、ミシシッピー川から西側のニューオーリンズを含むルイジアナ植民地はスペインの領土となった。このスペイン植民地に、カナダを追放されたアカディア人が移住してきたのだ。この地域は外からの移住者を広く受け入れていたからである。

こうしてニューオーリンズなどルイジアナ南部の街は、フランス人(アカディア人)とスペイン人、そしてアメリカ先住民やカリブ海から移住して来た黒人が居住する国際都市として成長して行った。アカディア人が中心になって生み出したケイジャン料理も、このような様々な地域の料理が組み合わされて出来上がった国際料理だったのだ。

アカディア人は身の回りで手に入るものは何でも食べていた。カナダでは、肉と野菜の煮込み料理をよく作っていたという。また、北大西洋で獲れるロブスターやタラ、サーモンもよく食べていた。新天地でも、近くで獲れるカキ、カニ、ワニ、エビ、ザリガニ、ナマズなどの魚介類を使った料理を生み出した。つまり、ケイジャン料理は魚介類を中心とした料理であり、身の回りの食材を使うという比較的質素な料理だった。

特にザリガニ料理は有名で、今でもルイジアナの名物料理になっている。ザリガニ(クロウフィッシュ)はフランス料理でも一般的な食材であったが、ザリガニが豊富なルイジアナでは特に主要な食材になったのだ。現在では世界のザリガニの90%以上がルイジアナで消費されていると言われるほど、ルイジアナはザリガニ王国になっている。


ザリガニ料理

温かいルイジアナではイネの栽培が盛んであったため、コメを使ったガンボなどの料理もよく食べられた。また、カナダでよく食べられていたニンジンの栽培が難しかったので、代わりにピーマンがよく使われるようになった。これにタマネギとセロリを加えた「タマネギ・セロリ・ピーマン」はケイジャン料理の基本となる「三位一体(The Holy Trinity)」と呼ばれている。

ケイジャン料理は香辛料をたっぷり使うことでも知られている。主要となるスパイスが「カイエンペッパー」だ。これは赤く熟したトウガラシのことで、パウダー状にして使用する。このように、ピリッと辛いのがケイジャン料理の特徴でもある。

ケイジャン料理ではこれ以外に、ブラックペッパーやオレガノ、タイムなどを使用する。最近では、「ケイジャンスパイス」という名前で複数のスパイスを混合した商品が販売され、手軽にケイジャン料理の風味を楽しむことができる。

南部ではブタがたくさん手に入ったが、ブタのあらゆる部分は捨てることなく利用された。冷蔵庫が無かったので保存が効くソーセージなどがよく作られたが、その代表がブーディンと呼ばれるものだ。これは、豚肉にコメ、タマネギ、ピーマンなどを腸詰にして作られる。風味を増すためにブタの肝臓を入れるのが一般的で、現代でもよく食べられているという。

ルイジアナでは、ケイジャン料理のほかに「クレオール料理」という伝統料理がある。これはクレオールと呼ばれた上流階級の人々が食べていた料理だ。

18世紀にはニューオーリンズを支配していたフランスやスペインの上流階級の子孫がクレオールと呼ばれていたが、その後、カリブ海から移住してきた黒人やアメリカ先住民との子孫もクレオールと呼ばれるようになった。

クレオール料理もケイジャン料理と同じように国際色豊かな料理だが、上流階級の料理だったためクレオール料理の方が少し高貴で豪華な料理だ。クレオールは裕福であったため、料理には豊富な食材と調味料・香辛料が使われていたのだ。クレオール料理にはトマトが使われることが多く、これはケイジャン料理には見られない特徴だ。また、クレオール料理には南部では高価なバターが使われるのに対して、ケイジャン料理ではラードが使われることが多かった。

クレオール料理とケイジャン料理は時代とともに融合して行き、現代のルイジアナ料理が生み出されたと言われている。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (長谷川博美)
2021-10-03 14:04:16
ケイジャン料理非常に勉強になりました。
返信する
ありがとうございます (t-shintani)
2021-10-03 22:05:25
コメントありがとうございます。
励みになります。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。