北部ニューイングランド植民地の発展-独立前後の北米の食の革命(4)
アメリカ独立戦争(1775~1783年)では、北米に築かれた13のイギリス植民地の人々がイギリス軍と戦いました。そして、この13の植民地がのちのアメリカ合衆国を建国することになります。
ちなみに、現在のアメリカ合衆国の国旗には50個の星が描かれていますが、これは合衆国が50の州でできていることを示していて、建国当初は13の星が描かれていました。
13の植民地は、北から南に向かって「ニューイングランド植民地」「中部植民地」「南部植民地」に分けられます。この3つは成立過程や社会環境が異なっていたため、それぞれ異なる食文化を持っていました。
今回は、この中のニューイングランド植民地の食について見て行きます。
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アメリカ北部にあったニューイングランド植民地は、マサチューセッツ・ニューハンプシャー・コネティカット・ロードアイランドの4つの植民地からできていた。
ニューイングランド植民地は、1620年にメイフラワー号でやって来たピューリタンによって建設されたプリマスを始まりとしていて、彼らにならって多くのピューリタンが移住することで発展した。このため、移民の多くはイングランド人であり、宗教の自由を基本としていた。
ニューイングランド植民地では、良い港を作ることができたボストンが中心都市となった。1700年頃のボストンには6000人以上の人々が生活していたと言われている。
アメリカ南部に比べて、気候が冷涼で地力が低かったニューイングランド植民地では、農業で生計を立てるのが難しかった。一方、ボストンを始めとして良い港を作ることができたので、漁業や貿易が盛んになり、多くのニューイングランド人が漁業や貿易、商業に従事するようになった。
マサチューセッツ湾では大量の「タラ」を捕まえることができた。タラは西洋人がよく食べる魚で、ボストンに水揚げされたタラは塩漬けされ、ヨーロッパに送られた。また、その一部はカリブ海にも輸出され、砂糖のプランテーションで働く奴隷の食糧となった。こうしてカリブ海でもタラはなじみ深い食材となり、塩ダラとアフリカ原産のアキーと言う果物を炒めた料理はジャマイカの国民食になっている(朝食によく食べるらしい)。
タラ(Susanna WinqvistによるPixabayからの画像)
なお、マサチューセッツ州東端の特徴的な形をした「ケープコッド」は、タラ(cod)が沖合でたくさん獲れたことからそのように命名された。
ケープコッド
ニューイングランドからはタラ以外に、造船に使われる木材や帆船がイギリスなどに輸出された。独立前にはイギリスの船舶の3分の1はニューイングランドで造られたものだったと言われている。
また、ニューイングランドでは「ラム酒」造りが盛んだった。ラム酒は、砂糖の結晶を精製したあとの「糖蜜」を水で薄めて発酵させ、それを蒸留したあと樽の中で熟成することで造られる。カリブ海ではイギリスを中心に砂糖のプランテーションが行われており、廃棄物だった糖蜜をニューイングランドに持ちこみラム酒の製造を行っていたのである。
出来あがったラム酒は船でアフリカ西海岸に運ばれて奴隷の購入費用となり、奴隷はカリブ海に送られて砂糖のプランテーションで働かされた。このように、「カリブ海:糖蜜」「ニューイングランド:ラム酒」「アフリカ:奴隷」の三角貿易が成立していたのである。
ラム酒はニューイングランドでもよく飲まれていた。「フリップ」と呼ばれるカクテルは、ビールとラム酒と砂糖を混ぜ合わせたもので、泡立つ様子に人気が出てよく飲まれていたという。時代が進むとフリップにはビールの代わりに卵が使われるようになった。
「ストーン・フェンス」というウイスキーと炭酸水で作るカクテルがあるが、これは元々ラム酒にリンゴ酒の「ハードサイダー」を加えたカクテルだった。アメリカでは時代とともにウイスキーの醸造が盛んになったため、レシピが変わったのだ。
このハードサイダーはリンゴジュースの「アップルサイダー」から作られ、どちらもニューイングランドを代表する飲み物となっている。
ピューリタンはリンゴの種を持ってアメリカ大陸にやって来た。そして1625年には、最初のリンゴ園を造った。また、品種改良もさかんに行い、たくさんの品種を生み出して行った。
リンゴをすりつぶしたのち、麻袋に入れて絞り出したのがアップルサイダーだ。日本的にはリンゴジュースだが、日本で市販されているものとは異なり、不透明なのが特徴だ。ちなみに、日本では「サイダー」は炭酸飲料のことを指すが、本来はリンゴなどの果汁のことを意味している。
アップルサイダーは熱殺菌などを行っていないので、置いておくとすぐにアルコール発酵が始まって二酸化炭素を出すようになる。このように発酵が進んでアルコール度数が高くなったものがハードサイダーで、お酒としてだけでなく、飲料水代わりとしても飲まれていた。
リンゴはジャムになったり、アップルパイなどのお菓子にも利用されたりなど、とても有用な作物だった。
私が中学生の時の英語の教科書に「ジョニー・アップルシード(1774~1845年)」がリンゴを植えたお話が載っていた。彼はマサチューセッツ州出身で、西部開拓で活躍した実在の人物だが、彼がオハイオ州やインディアナ州、イリノイ州を巡りながらリンゴの種を植えて行った話は、有名な伝説として語り継がれている。アメリカ人にとってリンゴはとても大切な食べ物だったのだろう。
魚の写真に引き寄せられてきました。
私も中学校の英語の教科書で「ジョニー・アップルシード」に触れた覚えがあります。
とつい懐かしくなりました。
アップルシードは、最後は空に昇ってリンゴの種をまき続けたと記憶しています。夢のあるお話ですね。