MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

どーすんの?コレ。

2010-11-20 23:53:42 | 映画日記
映画館に足繁く通い始めて、4年ぐらい。
あっちゃいっちゃ、こっちいっちゃを週末ごとに繰り返す。

基本的に観たい映画は公開初日に観に行く事が多い。
すると、自然と初日特典とかの入場者特典が集まり始める。
でもって、気に入った映画があったらパンフレットを買ったりとか、
もっと気に入ったり、良いなと思ったらポスターを買ったりとかし始めた今日この頃。

で、そんなこんなで、




こんなことになっちゃってたりする。
パンフでしょ、ポストカードでしょ、カード。
ストラップに、バッグ、ピンバッチ。手ぬぐいもあるし、映画のフィルムもある。
変わったところでは、トイレのにおい消し(『重力ピエロ』)とかシャンプー(『女の子ものがたり』)、食べる海苔(『のんちゃんのり弁』)まで。
( ・ω・)ナンデ、コンナンマデ。。。

捨てるのは勿体無いしなー。かといって、何かに使えるモンでもないしなー。
ついでに、こんなんも集まってきてる。

映画の半券。ますます「集まってもどうしようもないで」っていうモンやなぁ。
ちなみに、上の写真で半年ちょっとぐらいで観た映画の分量。
( ´Д`)キモッ

ちなみに、この中に欲しい物があってもあげません。
(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌


『その街のこども』。

2010-11-20 22:35:37 | 映画日記
『その街のこども』を観てきた。

1月16日。
新神戸駅で出会った、男女。
男は東京で建設会社に勤め、クライアントの説明会のため新幹線で広島に向かう途中。
女は翌日開かれる追悼のつどいに参加するために13年ぶりの里帰り。
これまで何の共通点も接点も無かった2人。
ギクシャクした会話を続けるうちに、1つだけ接点が見つかる。

阪神淡路大震災。
2人は子供のころ被災し、そしてあの日を境に人生が変わってしまっていた。
辛い過去を受け入れようとする女。
そんな彼女を見ながら、自分がどこか”あの日”から逃げていることに気付く男。
物語の中、彼らは神戸の街を歩く。
あの日を振り返りながら、お互いが自分の心の瘡蓋に触れる。
普段痛むことは無いけれど、触れると鈍く痛み、傷がそこにあることを思い出す。


あの日を運良く生き抜いた人。
あの日が最後の日だった人。
そして、俺みたいに、連日報道されるテレビをただ傍観していた人。
こんな映像がある。

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あの日、いったいどれだけの涙が流れたんだろう。





映画の最後、女は追悼のつどいに参加するために、横断歩道を渡っていく。
けれど男は「今年は止めとく」と、その彼女の背を見送る。

きっと彼は、翌年もその街にいるだろう。
女と再会するかもしれない。
でも、たぶん、つどいに参加しないだろう。
いや、ひょっとしたら彼は毎年1月17日にはその街に来ているのかもしれない。
自分はまだ、あそこには行けない。行くためには、自分の中で何かに決着をつけなければいけない。
同時に、決着をつければ終わらせてはいけない何かが終わってしまう。
そんな気がしているのかもしれない。



けれど、きっといつか、彼も追悼のつどいに参加する日がくる。


”あの日”を自分なりに受け入れる”その日”が、きっと。