『永遠の0』を観て来た。
随分前やけど原作も読んだ。上手に映像化していたと思う。
でも、それだけに何か違和感を感じた。
一日考えて、問いかけに辿りついた。
この映画は、泣く映画なのか?
感動して、涙を流すための映画なのか?
主人公の一人、宮部久蔵。
卑怯者で、怖がりで、命が惜しく、戦いに参戦せず、家族を愛し、部下を大事にする凄腕のゼロ戦パイロット。
抽象的で触れる事が出来ず、大きすぎて想像もできない”国”という概念。1人の人間には手におえない代物。
目の前にいて触れることの出来る部下。遠くの街で自分を想い、待ってくれている家族。小さいけれど具体的な者たち。
どちらが、本当に護るべきものなのか。
どちらが正しいと言うことは無いのだと思う。ただ、選択する必要に迫られる時があるだけだ。
戦争という特殊な雰囲気下で、宮部は後者を選んだ。
絶対に死にたくない。自分は家族の下に生きて帰りたい。
絶対に死なせたくない。自分の部下を無駄に死なせたくない。
この2つの心情を二律背反にしてしまったのが、神風特攻という不可思議な作戦だ。
特攻は作戦ではない。
作戦は自軍のダメージを最小に押さえ、敵軍に最大のダメージを与える事を目的として立てられる。
特攻はこの真反対を行く。自軍のダメージは大きく且つ必至。敵軍にダメージを与えられるかはほとんど運次第。
死にたくないから、部下の護衛を避けるしかない。
部下の護衛を避ければ、部下は特攻すら出来ず死ぬ。
部下の特攻を成功させるには、自分が身を挺さなければならない。
部下の特攻は成功すれば部下は死ぬ。自分も死ぬ。
こんな二重拘束の中、彼は壊れていった。
そして、彼の死とともに、彼に関わった全ての人たちの人生が始まった。
宮部久蔵の生き方、死に方には確かな愛があり、悲しみがある。
だけれど、それを観て涙するのは違うと思う。
考えるべきなのだ。
宮部久蔵とは何者なのかを。
卑怯者で、怖がりで、命が惜しく、戦いに参戦せず、家族を愛し、部下を大事にする人物。
これに該当しない人が、この日本にそれほど沢山いるだろうか?あの時代、これに該当しない人物がそんなに沢山いただろうか?
宮部久蔵は、誰でもない。僕やあなたなのだ。
僕らが起こした戦争で、僕らが死に、殺し、滅びた。
そして、僕らが創り、育て、ここにいる。
『永遠の0』。
僕らは、まだここにいる。
随分前やけど原作も読んだ。上手に映像化していたと思う。
でも、それだけに何か違和感を感じた。
一日考えて、問いかけに辿りついた。
この映画は、泣く映画なのか?
感動して、涙を流すための映画なのか?
主人公の一人、宮部久蔵。
卑怯者で、怖がりで、命が惜しく、戦いに参戦せず、家族を愛し、部下を大事にする凄腕のゼロ戦パイロット。
抽象的で触れる事が出来ず、大きすぎて想像もできない”国”という概念。1人の人間には手におえない代物。
目の前にいて触れることの出来る部下。遠くの街で自分を想い、待ってくれている家族。小さいけれど具体的な者たち。
どちらが、本当に護るべきものなのか。
どちらが正しいと言うことは無いのだと思う。ただ、選択する必要に迫られる時があるだけだ。
戦争という特殊な雰囲気下で、宮部は後者を選んだ。
絶対に死にたくない。自分は家族の下に生きて帰りたい。
絶対に死なせたくない。自分の部下を無駄に死なせたくない。
この2つの心情を二律背反にしてしまったのが、神風特攻という不可思議な作戦だ。
特攻は作戦ではない。
作戦は自軍のダメージを最小に押さえ、敵軍に最大のダメージを与える事を目的として立てられる。
特攻はこの真反対を行く。自軍のダメージは大きく且つ必至。敵軍にダメージを与えられるかはほとんど運次第。
死にたくないから、部下の護衛を避けるしかない。
部下の護衛を避ければ、部下は特攻すら出来ず死ぬ。
部下の特攻を成功させるには、自分が身を挺さなければならない。
部下の特攻は成功すれば部下は死ぬ。自分も死ぬ。
こんな二重拘束の中、彼は壊れていった。
そして、彼の死とともに、彼に関わった全ての人たちの人生が始まった。
宮部久蔵の生き方、死に方には確かな愛があり、悲しみがある。
だけれど、それを観て涙するのは違うと思う。
考えるべきなのだ。
宮部久蔵とは何者なのかを。
卑怯者で、怖がりで、命が惜しく、戦いに参戦せず、家族を愛し、部下を大事にする人物。
これに該当しない人が、この日本にそれほど沢山いるだろうか?あの時代、これに該当しない人物がそんなに沢山いただろうか?
宮部久蔵は、誰でもない。僕やあなたなのだ。
僕らが起こした戦争で、僕らが死に、殺し、滅びた。
そして、僕らが創り、育て、ここにいる。
『永遠の0』。
僕らは、まだここにいる。
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