『ガラスの花と壊す世界』を観てきた。
可愛らしいキャラクターとどこか不安を駆り立てる空間。
膨大な処理能力と記憶能力を持った仮想空間の話で、登場人物たちが全てコードで動いている、と分かっているからか、不安定な世界を覗き見ているような不思議な感覚がある。
自分が住むこの世界は、別の世界で演算されている、という仮説はコンピューターという物が世に生まれて瞬間から人間の頭の中の片隅に、否定しきれない可能性としてあり続ける。
人間原理の解釈によっては、僕たちは宇宙が存在するために生み出されて、宇宙により演算されている。
まるで演算されることを望んでいるかのような発想だ。
仮に物語のように演算された世界にいるのだとして、外にいる誰かは、なぜ私たちを演算しているのだろう?
作中では、滅びゆく人類の可能性として彼女たちは作成されたことになっている。
自分たちが作り出したmotherが自分たちを排斥し、滅ぼそうとしている。その抵抗として。自分たちの世界の希望として。
僕らの存在は、誰かにとっての希望としての存在なのだろうか?
だから僕たちは宇宙が存在するために生み出されて、宇宙により演算されている。
巧妙に、その可能性に気付くように、そして、それが僕たちに出来ないように。
この宇宙の96%が不明なのは、誰かがそう仕組んだか、あるいは誰かが使用している領域なのだ。誰かがもう外にいなかったとして、メンテナンスを受けられなかったため生じたフラグメントなのかも知れない。
綺麗なものだけを集める何かはこの世界にあるんだろうか?
それはどこにあるんだろうか?
打ち捨てられた、フラグメントの奥に隠してしまっているんだろうか?
可愛らしいキャラクターとどこか不安を駆り立てる空間。
膨大な処理能力と記憶能力を持った仮想空間の話で、登場人物たちが全てコードで動いている、と分かっているからか、不安定な世界を覗き見ているような不思議な感覚がある。
自分が住むこの世界は、別の世界で演算されている、という仮説はコンピューターという物が世に生まれて瞬間から人間の頭の中の片隅に、否定しきれない可能性としてあり続ける。
人間原理の解釈によっては、僕たちは宇宙が存在するために生み出されて、宇宙により演算されている。
まるで演算されることを望んでいるかのような発想だ。
仮に物語のように演算された世界にいるのだとして、外にいる誰かは、なぜ私たちを演算しているのだろう?
作中では、滅びゆく人類の可能性として彼女たちは作成されたことになっている。
自分たちが作り出したmotherが自分たちを排斥し、滅ぼそうとしている。その抵抗として。自分たちの世界の希望として。
僕らの存在は、誰かにとっての希望としての存在なのだろうか?
だから僕たちは宇宙が存在するために生み出されて、宇宙により演算されている。
巧妙に、その可能性に気付くように、そして、それが僕たちに出来ないように。
この宇宙の96%が不明なのは、誰かがそう仕組んだか、あるいは誰かが使用している領域なのだ。誰かがもう外にいなかったとして、メンテナンスを受けられなかったため生じたフラグメントなのかも知れない。
綺麗なものだけを集める何かはこの世界にあるんだろうか?
それはどこにあるんだろうか?
打ち捨てられた、フラグメントの奥に隠してしまっているんだろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます