JR奈良から京都まで都路快速が走っています、奈良大阪間を走る列車は、大和路快速、なんともいいネーミングだと思います。
今までは、近鉄で、京都に出ていたのですが、今回はその都路快速に乗って京都にまで出ました。この線に乗ったのは、とても久し振りです。
幼き頃は、この線に汽車が走っていました、汽車に乗って母の実家のあった稲荷に、母に連れられ、兄弟3人と行ったものです。
ある時一番下の弟が、おしっこ!って言ったので母は、駅に止まった時、弟を連れて、トイレに、まだ母は帰ってこないのに、汽車が発車、其の時の不安な気持ちは、60歳になった今もはっきり覚えています。発車してしばらくして母が戻ってきました。汽車にはトイレが付いていたのです。
もう一つ、母との思い出があります、幼き頃、既製服なんて無かった、洋服は全て母が縫ってくれた、セーターも着物も、母のお手製、その影響で、私も長年和裁(着物ぬう)を生業としてきたが、今は着物を着る人も少なく開店休業状態。
夏になると大坂まで洋服の布を買いに行きました、いつも妹とお揃い、夏休み、父は海に連れて行ってくれることに、其の時洋服は妹の分だけが出来上がっていたのです、私は、海に行く喜びより、着て行くはずの洋服が前日になっても出来ていない悲しみの方が大きかった、泣きながら寝て起きたら、洋服は出来上がって、枕元にたたんでありました。嬉しくて、嬉しくて、今思い出しても涙が溢れてきます、母は、夜寝ないで作ってくれたに違いなのに私は、まだ母にお礼を言っていない、母が、亡くなって、14年もたつのに。
そんなことを考えている間に列車は、京都に付きました、京都からは、サンダーバードで一直線に和倉温泉に向けて走ります。
今までは、近鉄で、京都に出ていたのですが、今回はその都路快速に乗って京都にまで出ました。この線に乗ったのは、とても久し振りです。
幼き頃は、この線に汽車が走っていました、汽車に乗って母の実家のあった稲荷に、母に連れられ、兄弟3人と行ったものです。
ある時一番下の弟が、おしっこ!って言ったので母は、駅に止まった時、弟を連れて、トイレに、まだ母は帰ってこないのに、汽車が発車、其の時の不安な気持ちは、60歳になった今もはっきり覚えています。発車してしばらくして母が戻ってきました。汽車にはトイレが付いていたのです。
もう一つ、母との思い出があります、幼き頃、既製服なんて無かった、洋服は全て母が縫ってくれた、セーターも着物も、母のお手製、その影響で、私も長年和裁(着物ぬう)を生業としてきたが、今は着物を着る人も少なく開店休業状態。
夏になると大坂まで洋服の布を買いに行きました、いつも妹とお揃い、夏休み、父は海に連れて行ってくれることに、其の時洋服は妹の分だけが出来上がっていたのです、私は、海に行く喜びより、着て行くはずの洋服が前日になっても出来ていない悲しみの方が大きかった、泣きながら寝て起きたら、洋服は出来上がって、枕元にたたんでありました。嬉しくて、嬉しくて、今思い出しても涙が溢れてきます、母は、夜寝ないで作ってくれたに違いなのに私は、まだ母にお礼を言っていない、母が、亡くなって、14年もたつのに。
そんなことを考えている間に列車は、京都に付きました、京都からは、サンダーバードで一直線に和倉温泉に向けて走ります。