上海城市新聞 Vol.18 『上海世博会』(その1)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/3f93ebc0ec12d3a90acc100e9d013a0d
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入場後に直ぐに中国館に向かいました。中国館に着いて驚きました。いたるところに長い列ができていたからです。香港館、マカオ館、さらに台湾館にも。聞くところによると、中国館の入館整理券は午前9時の開場時に入場口で配るそうです。しかし、門の前には早朝6時から列が出来ていたとのこと。
当然、私が来た時には整理券は無くなっていました。中国館の参観を諦めて、直ぐに日本館に向かいましたが、そこにも長い列が出来ていました。日本館の隣の韓国館にも…
アジア地区の参観を諦めて、会場内周回無料バスに乗って、ヨーロッパ地区に行くことにしました。しかし、バスは乗客で満杯でした。やっとのことでたどり着いたヨーロッパ地区にも長い列が出来ていました。
その夜、ホテルに帰ってテレビニュースを見ると、その日の来場者は50万5千人で過去最高記録だったそうです。ニュースでは、日本館、韓国館、ドイツ館の待ち時間は5時間、トイレに入るのも30分待ちだったと報道していました。
【上海の月の下で】
結局、1日目は2時間半並びやっとスイス館に入ることが出来ました。スイス館のあとは、比較的行列が短い、オランダ館、ルクセンブルグ館、アンゴラ館、アフリカ連合館を参観しました。
【スイス館前の行列】
【スイス館名物のリフト】
その日の夜はマダガスカル人のショーを見ました。彼らは踊り、中国語の歌を歌いました。最も感動したのはテレサ・テンの代表曲「月亮代表我的心」を聞いた時です。上海の月の下、黒人が台湾歌手の歌を歌う。今、この場に国境はないと感じました。アフリカ連合館を見学した時は、中国とアフリカの密接な関係を思い知らされました。日本はアフリカとこれほど親密な関係を構築しているでしょうか。
【マダガスカル人のショー】
【アフリカ連合館】
【2日目は】
2日目は午前9時15分に会場に到着しましたが、入場門には既に長い列が出来ていました。10時15分に日本館にたどり着くことが出来ましたが、そこにも既に長い列。2時間半並びやっと日本館に入ることが出来ました。日本館のあとはベトナム館を参観しましたが、既に精根尽きてしまいました。そのため、2日目は午後3時には会場を後にしました。
これが私の世博会参観の体験です。
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「上海世博会」を観に行ったのは、丁度2年前の5月でした。その後、万博の跡地はどうなったのでしょうか?
次回の「上海城市新聞」は2011年12月1日発行の『武漢・信陽旅遊』です。お楽しみに!
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