ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
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ESTIMA との別れ

2008年03月17日 | 造形憧憬


たぶん、
今まで乗った車の中で一番相性が良かった 「エス」 。今日でお別れです。
3年間、こんなオッサンに付き合ってくれてありがとう!( 気分はパープルですゎ )



                       ■ ESTIMA 2.4 G (ACR30W-MFSQK) ■

別段、調子が悪い訳でもなく、ましてや、この車が嫌いになった訳でもない。
新車で出合って早や3年の歳月が経ち、1回目の車検の時期となりました。
( 3年間、小さな故障・トラブルも一切無し!逆にこんな優良な車は初めやった。 )
すんなり車検受けて乗り潰すくらいの感覚で付き合っていたのですが、公私共に
身の回りを見詰め直し、もう一度、自身の進むべき道を探す努力をしなければ、
これからの人生ズルズル行ってしまいそうな気分に襲われています。

心のどこかに “楽” をしてやり過ごそうという気持ちが知らず知らず芽生えて
いたのかもしれません。そうした綻びが確実に自分自身の周りに出始めています。
実際は数年前から気付いていました。この車もその隠れ蓑だったかもしれません。
本当に “楽” な車なんです。自分の思考と行動の一部として動いてくれるし、
長時間付き合っても(乗っていても)全く疲れない。これが自分を退化させている
ということに気付き始めたということです。

悶々とした日々、重たい気分がずっと続いています。
自身を変えなければ何も変わりません。まだ追い込まれた感はキツくないですが、
自分なりの目標を再設定し、今後の生き方を模索しなければなりません。今
まさに、公私共に転換期に来ています。( これが人生最後の転換期でしょうか? ) 
とにかく、愛車のエスを売りに出すことにしました。( 正確には下取りですが ・・・ )

私にとって、1BOXカーはずっと “公私共に必要性の高い車” でした。
昔は仕事柄(飲食店店長)、終電で帰れないこともあり毎日車で通っていました。
おすすめ商品で使える酒やワインを直接買い付けに行き、10c/s ~ 20c/s 積んで
帰ってくることがありました。また、毎朝、新聞の折込で店で使う消耗品をチェック、
安ければ買い込んでから出勤していました。いつも1BOXカーが活躍しました。

アルバイトさんは終電で帰すようにしていましたが、日によっては “店長、最後まで
片付けて帰ります!” と気持ちで残ってくれるヤツもいました。しかし、終電に乗れ
なかったヤツらを放っておくわけにもいかず、結局、自分の車に乗せてそれぞれの
家に送り届けます。多い時には4~5人を2時間以上掛けて送ることもありました。
7~8人乗れる1BOXカーは大活躍です。ただし、私が家に到着するのは朝方に
なることもざらでしたので辛い想い出でもあります。私的な部分では、やはり、
子供3人を連れて移動するのが大変だった時期に、シートを倒して寝かせられる
1BOXカーは非常に大活躍!どれだけ重宝したか ・・・ 。

そんなこんなで、ここ4台ほど1BOXカーの所有が続いていたのですが、今では
仕事の役割も変わり、子供たちもそれなりに大きくなりました。気付けば、私ひとり
で車に乗ることが増えています。問題はその変化に素早く反応できていない自分が
いるということです。当然ですが、こうした影響が仕事にも出てきます。知らず知らず
反応が鈍っているということです。私は何より一般論や確率が嫌いで、常に、持論
(自論)として確率が低くても勝機と感じれば、誰よりもスピーディーにパワフルに
動き出すことを得意とするタイプの人間です。自信過剰(過信)かもしれませんが、
創意工夫したオリジナルで勝負できる人間だと思っています。それが、どこかで
機能しなくなっている ・・・ 退化しているのかもしれません。( 問題は心の中に ・・・ )

一般的には、歳をとると “守りに入る” ことが多くなると言われます。
私は、“絶対に守りに入らない(入りたくない)!” とずっと思って生きてきました。
そして、その見識は今も全く変わっていません。しかし、そこに大きな落とし穴が
あったのです。“自分は絶対 ・・・” と考えることで、「できている」 という錯覚に
陥っていたのです。気付けば ・・・ 浦島太郎?になっていたということでしょうか。

今回は単純に、“車でも変えて自分らしさを再発見してみよう!” というノリです。
自分への褒美と投資を繰り返して右肩上がりに消費を繰り返してきた流れを
ここらで見直してみるということです。若い時のようにおもいっきりハングリーで
ピカピカパチパチすることはできませんが、もう一度、自分の人生を見詰め直し
本気で遊んでみようかと考えています。
( この言葉は勘違いされるかもしれませんが ・・・ )

50歳手前でこんな車(歳相応以上にドレスアップしたエスティマ)に乗っていることで
何となく満足していた自分がいた・・・ そう考えると、面白くない唯のオッサンです。
自分のスタイルを完成させようとすることは悪いことではないのですが、如何せん、
「完成 = 完結(終了)」 に向かっていた気がします。まだまだ完結する必要は
ないし終了したくもない。と思い始めた途端、“もっと、自分の感性で楽しもう!”
が少し戻ってきたような気がします。( さあ、何ができる?何したろか ・・・ )

先日、いつも拝見しているブログ(雑誌の編集や執筆、企画などをされている
女性の方のブログ)記事にコメントをしました。日々悶々としている自分とどう向き
合うべきかという内容が今の自分の悶々とかぶっていました。丁度その時、私が
私自身に対して結論づけしかけていたものを素直に打ち込みました。
「大切さの順番で最下位の一つ上(下から二番目)のものを捨ててみることです。」
と ・・・ 。今の私は彼女と同じ立ち位置にいると確信していましたので、この言葉を
綴りました。多少の共感と参考にはなったのではないかと自負しています。

自分にとって “大切なもの” とは ・・・
その “大切なもの” に順番(優劣)をつけるとしたら ・・・
自分以外のものなら簡単ですが、いざ自分のこととなると意外と難しいものです。
いや、一番厄介なものかもしれません。特に、好きなものも嫌いなものを一纏めに
してしまい、後でまとめてやろうとする人間には収拾がつかなくなるという大問題。
ただ、いざ何かを起こそうとする時、間違いなく、その整理できないことが全てに
圧し掛かり痣となってしまう ・・・ 。

一番大切なものを捨てる(無くす)必要はありません。
逆に、一番必要がない(無くても困らない)ものはいつでも捨てれます。もちろん、
この車(エスティマ)が下から二番目という訳ではありません。逆に、そこそこ上位に
なってきたことが問題だった気がします ・・・ そこを断ち切ることで、今後の自分自身
の中に “新たな大切なもの” を芽生えさせられる。という発想です。ここ数年の
私は、この感覚を忘れかけていた気がします。当然、“これでええのか?” という
自問自答も減っていました。もう一度、自分を呼び起こしてみなければ ・・・ 。

今日は重たい内容になってしまいましたが、
気分はすこぶるパープルです。( この色って、良いのか ・・・ 悪いのか ・・・ )
車の免許を取って30年、かつて車が無い生活は一度もありません。
・・・ というわけで、もちろん新しい車をオーダーしています。
納車は3月末か4月頭の予定ですが、車種はまだ内緒にしておきましょう。

やっぱり、私は自分の中での “大切なもの” という概念を 【オリジナル】 で
括ってみたい。「大切なものが何か」 ではなく、「何を大切にする人生なのか」 を
ハッキリさせてみたいと考えています。この考えを追求すれば、限りなく
『オリジナルにこだわる人生』 がそこにあるような気がします。

兎にも角にも、
(エスティマ)3年間、本当にお疲れさん。ほんまにありがとう!





ちなみに、次の車(左)が納車されるまでの代車はエスティマ(右)です。
( 何で、またエスティマやねん !? 違う車に乗りたかったのに ・・・ )



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