ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
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恩愛の情に絆されて

2008年07月08日 | こんたく堵


この7月を 「世界のナベアツ」 風に言えば、

          
 七夕(たなばた)   G8(ジーエイト)

となるのでしょうか ・・・ ???

                        


昨日は七夕でしたが、全国的に天の川は見えたのでしょうか ・・・ ?

織姫と彦星は、なぜ、この天気が悪く雨の多い時期に、一年に一度しか会えない
デートの約束をしたのでしょうか? ・・・ (少し意味不明なことを言っておりますが、)
今の暦でなく、旧暦(天保暦7/15)でみても、統計的に晴れる確率は50%程度で、
端から毎年は会えないということがわかっていたのではないか、と考えが巡ります。
七夕に降る雨を 「催涙雨(さいるいう)」 または、「洒涙雨(さいるいう)」 といい、
織姫と彦星が流す涙だと伝えられています。こうした伝説が、一層、悲しい恋物語
となり、女子やこどもたちは夜空に思いを馳せるのでしょうね。

悲しいといえば、
昨日から 「G8(主要国首脳会議/洞爺湖サミット)」 が北海道で始まりましたが、
今日は (1)世界経済 (2)地球温暖化 (3)食料・原油高問題 などを中心に討議される
ようです。ただ、昨日のアフリカ7ヵ国を含むアフリカ・アジアの貧困国対策、特に
食料問題の緊急性が高いということで首脳文書とは別に特別文書をまとめるという
報道がなされました。一方で、テレビ放送では、晩餐会で振る舞われた豪華で贅沢
な食事の内容が紹介されていました。ホスト国としてのもてなし、そして、「北海道」
という我が国でも有数の食材の宝庫を海外に紹介(アピール)して、国益を上げよう
という狙いはわらないでもありませんが、どうも納得できない部分と理不尽な気持ち
は残ります。何となく 「昭和」 の悪い部分が未だに顔を覗かせているようで日本人
としてはちょっと悲しい気分でもありました。

また、大阪の代名詞とも言うべき、道頓堀の 「くいだおれ」 は、今日、閉店です。
確かに、時代の大きなうねりが大波となって襲いかかります。ただ、その世間の
厳しい流れの中でも、利益優先でなく、創業者の教えを守り長きに渡り営業されて
きた姿勢に対して、私は畏敬の念を抱き、高く評価されるべきものだと考えます。
3代目?になるかもしれなかった御子息(創業者のおじいさんと同じ名前?の方)と
またまた宴席をご一緒させて頂いたことがありました。その時に、この苦労話を
聞いた経緯があります。また、私は同業者として、この 「閉店」 という世間の仕打ち
ともいえる結果に心が痛みます。大阪という街はそれだけのものか ・・・ と。
( 仕方ないのかもしれませんが、“大阪らしさ” がまた一つ消えていく ・・・ )

「くいだおれ太郎」 くん、「くいだおれ次郎」 くん、
そして、関係者・従業員の皆様、長い間、ほんとうにお疲れ様でした!





「情」 や 「絆」 で動く時代ではないことは理解していますが、
自身の周りを思いやる心は忘れてはならないと感じます。当然、一方的に
いくら思いやっても、相手には伝わらない(勘違いされる)ことも多々あります。
また、困っている人々に言葉を掛けることは大事なことですが、逆に、言葉を
掛ければそれで役割を果たしたという勘違いは一番最悪だと私は思っています。

では、どうすれば良いのか?
・・・ 自身が最善と思える考えで、自身が最善と思える行動をし、自身の考えと
行動に共感してくれるブレーンと力を合わせる ・・・ それしかありません。ただ、
それが国レベルともなれば、それぞれの思惑(国策)があり、代表者の保身も
含め、特に大国は国益という枠を嵩にして駆け引きを行ないます。当たり前ですが、
そのような柵の中で、地球規模で “良くしよう!” などという考えが纏まるわけが
ありません。ということで、今、「G8」 の必要性が問われているのだ感じます。
( 大阪の 「くいだおれ」 は必要だと思うのですが ・・・ )

私はリベラルな位置でものを見る方だと思うのですが、
それでも今の世界の流れが危ないと感じます。これだけ悪化している地球環境や
マネーゲームでしかビジネスを見ない層が世界経済を動かしている今の時代は
私利私欲主義の局地であり、先に希望が見えなくなっています。日本でも問題と
なりつつある、格差(あるいは貧富の差)が広がり、そこから大きな問題が起こり
得ると予想できます。

しかし、なぜ日本では海外(他国)のような大きなデモや暴動が起こらないのか?
・・・ たぶん、日本特有の情や絆を大切にする日本人DNAがそうさせているのだ
と私は思ったりします。言い換えれば、「情」 が 「気遣い」 となり、「気遣い」 が
「容赦」 となる。「絆」 が 「信用」 となり、「信用」 が 「信頼」 となる。その 「容赦」
や 「信頼」 が時間とともに 「他人依存」 に変わってしまったのだと思います。
反面、誰かがユニフォームを着て太鼓を叩き、フラッグを振って、みんなに団結を
呼びかけると野球やサッカーをはじめとするスポーツの応援のような一致団結が
簡単に行なえる層も存在するのです。

そうした環境で生まれ育った世代には、元々自主性がなく、リーダーシップが中々
とれず、自身はじっとしていて、誰かが何かを言ってくれるのを待っている、という
現象が広がっているのかもしれません。ですから、昔とは意味は違いますが、
日本では大きなデモや暴動が起こらないのではないでしょうか。 ただしかし、今後
状況が好転しなければ、“キレる世代” が思いもよらぬ行動を起こす可能性は否定
できません。起こってからでは遅い気がしているのは私だけでしょうか ・・・

「勝ち組」 や 「負け組」 という表現も、「先進国/後進国」 以上に歪みを生むもの
だという認識を持たなければ、「海」 という後進国や負け組が 「陸」 という先進国や
勝ち組を自然侵食する(海の水が増えれば陸は沈む)事態になりかねません。
私は最近、歳のせいか、「情」 や 「絆」 を今一度、見直すべきだと感じています。
もちろん、宗教や思想的な考えではなく、ナチュラルな日本人の感情として ・・・ 。


■ こんたく堵 ■

周りに存在する全ての人や状況を見据え
「己に何ができるかではなく、己が何をするのか」
シリアスに考え、アーネストに行動しなければならない
今、あえて “恩愛の情” に絆されてみよう
今、そういう時代なのだろう ・・・ 。

第五大成丸



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