Nikon D100 AF NIKKOR 50mm F1.4
新旧2つのウォークマンである。
日本文化には縮み志向がある、と看破したのはどなただったか。ともかく何でも小さくかわいくするのが日本文化の特徴だ。
左側は昨日買ったデジタルオーディオプレーヤーのウォークマン。もちろんメディアが変わったからではあるが、ウォークマンもここまで小さくなった。
別にソニーが開発したものではないだろうけれど、これはきっとウォークマンが目指した理想形だろうという感じがする。
右側のウォークマンも登場したときはカセットケースと同じサイズとして先端の製品だった。ただ、オートリバースがついておらず、さらに新型が出た後ではちょっと馬鹿にされたものだ。
それでも10数年前、とっくに「化石」のようになっていたこのウォークマンをプラハに持って行き、現地でスメタナの「モルダウ」を聴いたときはけっこう感動したのである。
ウォークマンは、音楽を携帯するという文化を作ったけれど、今は携帯するものが多すぎるような気がしないでもない。
初代ウォークマンの登場時、その値段と斬新さにすごいインパクトを受けたものですが、その当時に比べるとだいぶ安くなりましたね。
値段も理想に近づいたということでしょうか…。
この手の機械は多くのメーカーから様々な機種が出ています。その点ウォークマンで一時代を作ったソニーもつらいところかもしれません。
しかし、まさか音楽のプレーヤーが電話と一体になるとはソニーの人も想像しなかったのではないでしょうか。結局、究極の形はケータイであって、突き詰めればウォークマンは消滅する運命にあるのだと思います。
<今は携帯するものが多すぎるような気がしないでもない
最後のお言葉、妙に納得しました。
「今は携帯するものが多すぎるような気がしないでもない」
とのお言葉に、妙に共感するものを覚えた次第です。
出かける時にケータイを持たないと不安、というのは何となくおかしな気がしています。