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Kobe City
あの日から13年。
小・中学生(特に小学生)にとっては、自分にとっての関東大震災と同様、これはもう「歴史上の出来事」だろう。
あの日を語り継ぐことが大切、というのはよくわかる。しかし、忘れたい、という人もいるには違いない。
写真は自分の住んでいた家の近所。当日もカメラを片手に外へ出たが、さすがにカメラを向けることはできなかった。これは多分、翌日か2日後だ。
あの日から13年。
小・中学生(特に小学生)にとっては、自分にとっての関東大震災と同様、これはもう「歴史上の出来事」だろう。
あの日を語り継ぐことが大切、というのはよくわかる。しかし、忘れたい、という人もいるには違いない。
写真は自分の住んでいた家の近所。当日もカメラを片手に外へ出たが、さすがにカメラを向けることはできなかった。これは多分、翌日か2日後だ。
僕は当時鳶職でしたが、スポーツ新聞の”鳶職人募集”の求人を見て、神戸製鋼の復旧作業へ出稼ぎに行きました。
しかも、寮は大阪西成のあいりん地区、なかなか味のある体験が出来ました(笑)
復活した今考えると、地球も凄いけど、人間もホント凄いですね。
おっしゃるとおり、人間も凄いと思います。あきらめないこと、努力の積み重ね、が大切だなと思います。
直後の写真に言葉を失ってしまいました。
ブログ主様のご自宅もこのような状況だったのでしょうか?
私はあの日妊娠9ヶ月でした。
その時の子が、今は中学生です。
17日には小学校で追悼の集会を行いました。
校長先生が 「忘れたいこともある、でも決して忘れられないことがある」 とおっしゃっていたのですが、この写真を拝見して、あらためて身につまされる思いが致しました。
自分の住んでいた家は東灘区にある集合住宅だったのですが、新築だったからか、建物自体はほとんど無傷でした。ただ、周辺の住宅は写真のような状況にあり、生と死を分ける何かの、そのあまりの薄さを体感した日となりました。
あの日、お腹の中にいたお子さんがもう中学生なのですね。人がどんなに悲しもうが笑おうが、時は正確な歩みを止めることはないのですね。
自分が子供達に何を伝えられるか、はわかりませんが、与えられた命と過ぎゆく時間の大切さはせめて伝えたいものだと、あらためて思っています。
震災のニュースを聞き家族で心配をしていまして四日後に「俺や・・・」と電話をもらったのを覚えています。
地震が起きる直前に神戸の高速を抜けた所だったそうで愛媛から戻る時は、大変な事になり大阪まで4日かっかったそうです。
その数年後後叔父は、交通事故で突然亡くなってしまい人生のはかなさを感じました。
僕も神戸も何度か行っていますが被災者の方々にご冥福をお祈りしたいです。