和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

川の流れ

2012-01-24 07:12:22 | カメラ
昨日今日に感じたことではありませんが、
奈良県に引っ越して間もない頃は
県内の川の流れに違和感を持ったものです。
川は南へ流れるか、東へ流れるかと思い込んでいたから
奈良県のように北へ流れる、または西へ流れるのを見た時、
方向が180度狂ってしまいました。

和尚が18歳まで育ったところは岐阜県の養老で
川は北から、もしくは西から流れていましたから
川の流れが摺り込まれていたのかもしれません。
大阪泉南の友人とそんなことを話していたら、
彼も同じようなことを思っていました。
この流れもこの頃は慣れて来ました。

大和高田市と言えば
中和、葛城地域の中心都市でした。
市域は小さく16.5㎢、人口約70,200人で人口密度は高いです。
今でもアーケードのある商店街が多く残っています。
高度成長期には賑わったことでしょう。
今も芝居小屋が残っており興行もされています。

その市内で仕事をする機会があり、くまなく歩いています。
市内にはカーブミラーが県、市、民間合わせて2100個あります。
仕事というのはカーブミラーの現状調査です。
調査で川の堤防を歩くことが多く、
川の流れ、水のきれいさを見ることになります。

葛城川、高田川、曽我川などは改修されて、
年毎にきれいになっているように感じますが、
土庫(どんご)川はいまだ悪臭のする川のままです。
生活排水が垂れ流しのままなんでしょう。
道路を1本作るより、
この川の改修の方が優先されたほうがいいように思います。


新住の桜(下市)


新住の桜(下市)


長谷寺の桜


諸木野の桜(宇陀)


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
前回はすべてフィルムですか・・・ (rato-yamato)
2012-01-24 22:28:07
ならば納得です。

大和高田は母の生まれ故郷です。
今も親類縁者が多く住みます。

今の昭和30年代から40年代にかけての天神橋筋商店街は大阪心斎橋と見まごうほどの賑わいでしたよ。

母の背中におぶられて見上げていたアーケードの天井の飾りを思い出しました。
返信する
訂正です (rato-yamato)
2012-01-24 22:29:53
今の昭和30年代・・・

「今の」は無視してください(^^ゞ
返信する
rato-yamatoさんへ (和尚)
2012-01-25 17:21:52
大和高田市は繁栄のあとが色濃く残っています。
しかし郊外大規模店の影響で全体の1割も開店していません。
地方の都市の衰退ぶりがここでも見られます。
御所市などもひどいもんです。
仕方のないことですかね。
返信する

コメントを投稿