82歳からの旅

私の記録

 ~ 自分史について ~

2014年01月17日 20時01分06秒 | 心に栄養を

         1月17日金曜日  
       自分史のはじめの部分を書いて見た,これが中々難しいのです。
      ここには 
       1,書こうとする意図は何か?を明らかにしなければ成りません。 
       2,其の為に私のどんなことを書くのかを決める。
          私を育てた環境は、 朱に交われば赤くなるから
          私を育てた家族の人達・伯父伯母も含めて
          学校を含めた地域社会の人達
           少年飛行兵になって
           親友の岡君との交友
           戦後に ハーモニカ小僧といわれた
           草野球に熱中したころ
           精米所で精米したり・ウドンを打ったりして働いたころ
           代用教員のころ 本当は真面目な不良少年?時代の頃
           本当は真面目な?不良女学生?からの 冷やかされに
       3,成人してからの自分の生きて来た姿
          福岡學藝大學に入学して
          門司市の学校に就職して
            青年教師の頃
            中堅教師の頃
            管理職になっての頃         
       4,退職後の生活と其の活動
        1 退職後の会の設立  
        2 社会か研究グループとの
        3  学校保健会とのかかわり 
        4 城山会との 
        5 趣味の囲碁・バイオリンに・旅行等
        6 交友のために
           水誠会(詩吟之会)
           百瀬ミュージックボランチアグループの応援
       5 最後に     
               
         以上の中を取捨選択して,自分史に纏めるのです。どの
        部分を充実させて、何をカットするか大いに、悩む処です。
        其の為に先に進めそうにないのが,能力のなさかもしれま
        せん。
         一応書いていきながら,収まる処に収まってくれれば良い
        のです。目次に従ってまあ書いて行きましょうか?
       死の崖っぷちに立って悩む、いや悩む必要もない後期高齢者
       です。がこれが贅沢な悩みと言うものでしょうか?。

       悩みにも贅沢と貧乏が有るのでしょう,私が貧しく育ったので
       神様はせめて悩み位贅沢を与えてくれたのでしょう.神様に
       感謝・感謝致しましょう。

        こう考えると人よりも人生は、2倍3倍も心豊かに生きられ
       るのですよ。これが金なしの私の,処世術ですから。

       才能なしので・・・自分史についてここを書いたら良い,ここ
       は書かなくても良い等、勝手に言って下さい待っています。
     
          






                          

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 ~ パソコン・悲喜こもごも ~

2014年01月15日 19時34分35秒 | 日記
       1月15日水曜日   
      パソコンが動かなくなって,どうしようも無くなった。其の前触れ
     は色々な形でパソコンが私に教えていたが、パソコンに無知な私は
     少しも気付くかなかった。
      切羽詰まって、助けを長男に求めた。長男もいろいろと電話で私と
     問答していたが 電話では解らないので、明日(15日)の午後に行
     くと返事した。
      其の夜鹿児島の妹に電話で聞くと、直ぐに私のパソコンを調べて大
     丈夫「パソコンの故障ではない」。きっとマウスに問題があるのでは
     と教えてくれた。
      今日の昼過ぎに長男と電話で其の事を話すと「マウスの電池を調べ
     て見て」と言ってきた,それで直ぐに電池を取り替えるとパソコンは機
     能する様になって私はニコニコ顔に・・・でもマウスを買って(幾ら
     かの月謝)と、其の為の苦悩と時間を浪費した。
      然し私はほんの少しばかり、偉くなった。と私の心に向かって恥ず
     かしそうに、自慢したのです。
     
      マウスの中に電池があるなんて,そんな基本も知らなかった。わずか
     こんな事で4日ばかりも、苦悩しながら格闘したのです。

      可愛そうな83歳のパソコンに無知な,ヒゲなしのおじいちゃんです。
     長男の優しさと,妹の親切さに心から感謝致します.有り難う・・・

      老いては子に従え・「老いては若者の言う事に耳を傾けよ」とやっと気
     づく私でした。
  
              












                       
 
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 ~ 私の本棚 ~

2014年01月11日 16時48分01秒 | 日記
       1月11日日曜日   
     今日は私の本棚の中で先の戦争について、書いた本を読んで
    の幾つかの私の考えを紹介する事にします。
     
     明治維新以後に西欧諸国に、追いつけ追い越せの国策によっ
    て日本は軍備が強化されました.それた合わせて日清・日露の
    戦争で一躍西欧の国々と対等に認められました。

     其の勢いに乗って満州に兵を送り,独立させました。
    1937年(昭和12年)には、中国と戦いを始めました。更
    に西欧諸国を相手にして戦いを拡大し、戦の泥沼へとのめりこ
    んでしまったのです。

     其の大戦の後を私は是非、自分で知りたかったのです。その
    為にガダルカナル・ニューギニア・そしてビルマ(ミートキー
    ナ-・インパール)等の、決定的な敗戦に至った経過を幾らか
    でも調べたかったのです。 

     その為には海軍による、海の制海権の問題や・空軍の制空権
    の問題を無視しては、出来ませんが・・・部分的に焦点を当て
    て・・・

     ガダルカナルの戦では、弾薬に食料の補給がなされないない
    のと戦力の差はどうする事も出来ません。その為に多くの兵士
    は食べ物が無く、どう確保するか?‥栄養失調や餓死者が続出
    ・医療器具の不備の為に戦傷者の,治療が出来ない等々・・・
    
     ニューギニア・ミートキーナー・インパールの戦いなど皆
    共通して上の様な状況です。更に戦力の差は言語に絶し、其
    処で戦った兵と軍の参謀達との・敵の軍隊の認識についてあ
    まりにも差のひどい戦場もありました。

     上に記した戦いを幾冊かの本を読み、このような事を私は
    理解したのです。
    
     この戦いの敗戦は何と言っても,日清戦争までの古い考えで
    戦った事・科学兵器の進歩に依る戦力の差です。更には戦に
    対しての方針に、一貫性のなさによるもののようです。

    人による・人と人との殺しあい(戦争は)絶対にしてはいけ
   ません。これは簡単明瞭です、戦争は止めましょう。

       








                             
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 ~ 二人で老いの生活をするとは ~

2014年01月11日 08時42分47秒 | 随筆
       1月11日土曜日 
      二人で1人前の生活をする、其の1日のようすを時間
     の経過と行動で示してみる。
     
      朝目覚めると、私は新聞を読む。それから約30分~
     1時間ばかりあるく。その間妻は食事の準備をする。
     
      朝食を一緒に食べて、後片づけは一緒にする。
     
      それから整骨院に車で行く(予約制です)乗るのに
     はゆっくり(80歳の障害1)です。10時の予約で
     あると12時近くまでかかる。週2~3回スーパーに
     行きます。
      午後の場合は半日かかります。帰ったらそれぞれが
     自由に,好きなことをします。

      夕飯の準備は妻がして、風呂の掃除やそのたをしま
     す。後の時間は自由に好きなことを、します。

      行動は遅い方に合わせるのです。だから私も障害1
     の人に合わせて行動するのです。

      一日の生活の中身が、大変少なくなってきたのです。
     こんな生活を余儀なく、しているのです。

      朝食前に30分~一時間位かけて体力作りに歩く。
     そうして軽い体操をする。午後にはバイオリンを弾
     いたり~パソコンをしたりです。これもたいした事は
     出来ません。

      これが後期高齢者の,とっても優雅な生活です。 
     ああ何と素敵な羨ましい生活でしょうか?ネ・・・
     皆さん アハハハハ・・・

     













                         
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 ~ ひげ爺さんの贈り物の軍歌を聴きながら ~

2014年01月10日 21時07分21秒 | 日記
         1月10日金曜日    
       ひげ爺さんが私のブログに、送って下さった軍歌を聞き
      ました。私の心は何時のまにか、少年時代の心に帰りました。
       それにしてもひげ爺さんは,沢山のレコードを持っている
      ものだと驚きました。
       又ひげ爺さんのお母さんが口ずさんでいたとありますが,今
      も元気ですか,きっと戦争の苦しい時代に生きて来られたと思
      います。大事にして上げてください。

       私は戦記ものの本でインパール戦や、ニュウギニヤの戦い
      ガダルカナルの戦いなどを読みましたが。今はもう忘れて仕舞
      っています。
       多くの戦記物の本を捨てきれずに,大事にしまっています。

       私達より僅かに年上の人達が、厳しく無残な戦争で亡くな
      った事について自分の事の様に悔しいのです。特にインパール
      の戦いは,九州の兵隊が多かった事を知って読まずにはおれ
      ませんでした。
       インパールを北から攻めた,連隊長は参謀本部の命令を聞か
      ずに全員撤退させたのです.食料も兵器も補充して来ないの
      で・・軍規を破って撤退させたのです。自分が責任を・・
      
       戦後70年にもな成ろうと言う今日、祖国の為に命を捨てた
      多くの英霊達にいくらかでも鎮魂の気持ちを捧げたいのです。

       今日本は独立の為に,無法な(事後に作られた法律は効力が
      無い)のを独立するために認めたのです。勿論無条件降伏です
      ので反論出来ないのですが・・・

       日本の国の中で戦後の,総括をしなければ成らないのです.そ
      れをしてないので時の首相が発言のしようがないのです。でも
      国の為に命を捨てた戦死者の家族にとっては,何故首相が・・・
      と言う気持ちがあるのは当然です。

       戦争とはそんな不合理な事をするのです.人を多く殺すとか・
      原子爆弾を戦ってない国民に投下する等・・・ 
      勝った方が都合の良いように、勝手に法律を後で作って自分達の
      したことを正当化するのです。
      
       私の浅学の知識で書いていますので,間違いも沢山あると思い
      ますが,大筋では間違い無いのではと思っています。 

         




                               
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