えつこのマンマダイアリー

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新聞記事より ~東電社員をいじめている場合?~

2011年04月02日 | 政治・社会
 2011年4月2日付の朝日新聞朝刊に、「東電や社員への苦情や脅迫、嫌がらせが目立ち始めた」という記事が出ました。
 電話相談を受けつけるコールセンターには連日苦情や抗議が殺到、渋谷にある東電のPR施設である「電力館」の壁に落書きされたり、役員の個人データがネット上に流されたりしているといいます。東電が社員の安全を守るために社員寮の表札から社名を消せば、「さすが隠蔽のプロ」などといった書き込みがネットでされているとか。これらにより、社員やその家族までもが肩身の狭い思いをし、まいっていると...。

 それに対し、九州大大学院教授(社会心理学)の山口裕幸さんが「こうした感情的行動は解決にならない」、今回世界から賞賛された国民性を自ら否定する行為だと同記事内でいっていますが、まさにその通りですね。

 東電幹部への不満は誰もが否めないでしょうし、事故収拾の目処が立たないことへの不安や苛立ちや怒りの矛先が東電に向いてしまうのはわかりますが、一般社員にまで矛先を向けるのは妥当ではないと思います。むしろ、一般社員は事故収拾のために全国から借り出され、劣悪な環境の下で命を懸けてがんばっているのですから、いじめの標的にして萎縮させてしまっては、むしろ逆効果や悪循環を生むことになりかねません。
 落書きしたり、ネット上で誹謗、中傷している暇があったら、その時間とエネルギーをマイナスエネルギーとして使うのではなく、プラスのエネルギーとして使ってほしいです。

 近年、私たち大人世代が他人の目に余る行為を注意しなくなった、できなくなったといわれていましたが、こういうときこそ、勇気を出して「それはよくない」「それは違うでしょう」と声を出していきたいですね。
 そして、老いも若きも、国民全員が原発による電力供給を享受してきたという紛れもない事実を、いつも忘れてはならないと思います(^_^; 


 自分にも言い聞かせているtakuetsu@管理人でした。


 4.3追記:この記事は、最初は「東電を批判している場合?」というタイトルで掲載しました。


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17 コメント

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馬鹿じゃないのかさんへ:ごめんなさい (takuetsu@管理人)
2012-02-16 23:19:06
お名前欄に入っている「馬鹿じゃないのか」は、きっとタイトルですね。

これはだいぶ前の記事とやりとりなのですが、とにかく、被害者の方々のご心情に添うことができなかったばかりか、逆撫でしてしまうような結果になってしまったことに対し、心からお詫びします。ごめんなさい。
返信する
Unknown (馬鹿じゃないのか)
2012-02-16 23:05:48
原発事故で生活追い詰められてる被害者の前で講釈たれてみれ、わが被害者ナラ ヤっちゃうれ
返信する
passers byさんへ:再びありがとうございます! (takuetsu@管理人)
2011-04-07 23:28:30
passers byさん、丁寧な意見表明にこちらこそ感謝です。
そうですか、年代はそれほど変わらないのですね、ふふふ。

「今次震災は九電力体制の変化につながるかもしれません」
そうなのですか? その方向に向かうとよいですね。関東と関西と周波数が違うなんて、本来ばかげた話ですよね。

「『常に上昇志向』の浮かれた時代は終わりでもよいか、という気はします。人間常に変化を求めその変化は向上でありたい訳ですが、今後はそれは量的なものというより精神的な高揚とか安息を求める質的なものでありたいというか、、」
実はこれ、感情的には私もこう思っているのです。何もこんなに贅沢な高度経済じゃなくても、安全に幸せに暮らしていければ、もっとつましくてもよいのでは?なんて考えてしまうのですが、経済学的にはそうはいかないみたいで...今その点で個人的には壁にぶつかっております。

「個々の人生は有限だからこそ、社会やコミュニティは常に次の世代が引き受けていけるように『持続可能』でなければいけない、そしてそ.世代交代毎に少しずつ英知・経験を蓄積していかなければならない、ということをここ数十年は忘れていたのでないでしょうか。そういった事も考えながらエネルギーの利用について考えるよい機会ではあると思います」
「持続可能な社会」と言われ始めて久しい気がしますが、確かにその実現に向けての努力が足りなかったと言えるかもしれませんね。

「ただ、エネルギーのみならず今後の社会の方向性を議論する上で我々が自覚しなければならないことがあります。我々は簡単に騙されるという事です。特に情報が多く流れる現代はその危険性が増加しています。情報が多いが故に思考力が減退することもしばしばです」(略)「原発は危険」とか「原発は安全」というときも、それぞれに色々な仮定が入っていてその仮定の吟味を謙虚に行うことが真に重要なはずですが、大声の論争(声の大きさを争う論争)の中でかき消されがちです」
これには大いに頷いております。すでに既成事実として認識している事象も、実は「刷り込み」や「すり替え」によるマインドコントロールの”成果”だったりすることがたくさんあると思っていて、それを見極める力を持っているのは、やはりある程度の年齢になった世代だと思うのです。だからこそ、それに気づいている世代がしっかりしなくては...と考えております。

そのために、passers byさんがおっしゃっている(1)を実現するには、多方面から物事をとらえる、俯瞰することが大事なのでしょうね。言うは易いですが...。あらゆることを勉強しないとだめ、ということでしょう。
(2)の実現には、なるべく客観的なデータや情報を集める、ということになるでしょうか。

「管理人さんの仰るとおり、背景という意味では、原子力発電についてもそれを推進したい人達の目的(目論見?)や意識を多面的に知ることも必要かもしれません」
これが一般国民には手の届きがたい領域なのでしょうね。原発の後ろには、とてつもなく大きな利権、国際的な利権が横たわっているかもしれないですよね。そうなると、もうどうしようもないですが...。

批判は人間同士の行動のバランスをとる、悪を牽制するのに必要だと思いますが、いじめは要らないかな。

「現在の原発がこのように被曝承知で働く人を必要とする事も認識すべきです」
本当にそのとおりです。有事にこういう人員を多数必要とするシステムのあり方には、再考が絶対必要ですね。

おつき合いくださり、ありがとうございました。
返信する
だちょうさんへ:なるほど...ふむふむ... (takuetsu@管理人)
2011-04-07 22:53:16
だちょうさん、お久しぶりです。率直なご意見をお寄せくださり、大変嬉しいです。
なるほど、やはりいろいろな考え方があるものですねぇ。

米国での航空機事故が起こった場合の法制度は存じておりますし、建設的な問題解決にはとても有効な制度だとも思います。
ちょっと話が逸れますが、実は主人は、前職場時代に東電と仕事した時期があり、原発事故の報告制度の問題点を知っていたようです。報告作業がとても煩雑で時間がかかる上、小さい事故も大きい事故も同等に扱われるので、大きい事故を埋もれさせないために小さい事故を隠蔽するという構造が生まれていると。
ですから、だちょうさんのおっしゃりたいことはよくわかります。

でも、こういうシステムは、あくまでも事故が不可抗力に近い場合に適用されてしかるべきではないでしょうか? それとも、どんなに人為的事故に見えても適用されるべきなのでしょうか?
今回の原発事故は起こるべくして起こった人災に思えるので、こうした考え方を適用するのが妥当なのかちょっと疑問です。現に、女川原発ではもっと大きい津波に耐え、事故は起こらなかったのですものねぇ。

さらに、今回の事故は、科学技術的問題の処理や運用の問題の処理だけではすまされないような気がしています。官僚の天下り制度の問題も関係しているようですし、もっと言えば、原発の国家的ビジネスとしての側面を考えると、糾弾するべき部分はしっかり糾弾し、黒い部分を炙り出す必要があるのかなと考えております。

「いままで少数派で肩身の狭い思いをしてきた原発反対派の方が正しったということです。責任の所在は、そのような少数派の意見に耳を傾けず原発で安い電気料金を享受してきた国民全体にあります。私もその一人として責任を感じます」
このご意見には、やはりそうかなと思ったり。少なくとも、自分自身に責任を感じている点では、同意見ですね。

またご意見をお寄せください。
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一部訂正 (だちょう)
2011-04-06 23:52:59
>むしろ訳あり顔に…以下略…

「訳知り顔に」ですね(^^;
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考え出すと大きな問題にはつながりますね (passers by)
2011-04-06 23:41:22
コメントに関するお答えをいただきありがとうございます。

『一億総懺悔』などという言葉を知っているのですから、私も管理人さんのちょっと年下でしかない訳です。

確かに今まで(特に1980年以降でしょうか)原子力発電による便利さを享受してきた訳で、その意味では我々自身のライフスタイルについても省みる必要はありますね。ただ、言い訳的にはなりますが、松永安左エ門氏らのイニシアティブで確立された九電力体制において東京電力を含む各電力会社は地域独占(消費者に選択肢はない)を保証されてきた訳ですから、法人としての東京電力に第一義的な責任を求めるのは当然と考えます。

ただ、電源周波数(日本の電力の周波数は富士川を境に50Hzと60Hzに分かれます)の問題克服の一手として、60Hz供給でも困らない関東地区の工場等に中部電力から富士川を越えて直接に給電する(途中の送電鉄塔は、60Hz用の送電線を1,2対増設しても問題ない程度の設計余裕があるらしいです)という意見もあり、現実的な選択肢の一つかもしれませんので、今次震災は九電力体制の変化につながるかもしれません。(少なくともガスによるコジェネ=熱供給と同時に電力も供給、はリスク回避のためにより一般的とはなるでしょう。東京電力はこれを目の敵にしていましたが、、)

さて、ライフスタイルという意味では、1960年頃から30年程度は続いた『常に上昇志向』の浮かれた時代は終わりでもよいか、という気はします。人間常に変化を求めその変化は向上でありたい訳ですが、今後はそれは量的なものというより精神的な高揚とか安息を求める質的なものでありたいというか、、
例えば、
(1)1990年以前に建築された集合住宅(マンション)のエレベータの多くがオフィスビルと同じサイズで人が亡くなったとき棺を運べない。とか
(2)新興住宅地ができそこにサラリーマン子育て世代が一斉入居、その後のモータリゼーションの進展でその地域の地元店舗やバス路線は消滅、しかし子供たちは独立し親は高齢化して自動車運転もできなくなると病院通いや買い物が不便、また親世代が生涯を終えた後の家は空き家になってしまいコミュニティ維持が困難。
といった例を見るにつけ、我々自身、個々の人生は有限であることを忘れ(見ないようにして)如何に浮かれてしまったかを感じます。それは生きている事の有難さを忘れる事にもつながっているでしょう。個々の人生は有限だからこそ、社会やコミュニティは常に次の世代が引き受けていけるように『持続可能』でなければいけない、そしてその世代交代毎に少しずつ英知・経験を蓄積していかなければならない、ということをここ数十年は忘れていたのでないでしょうか。そういった事も考えながらエネルギーの利用について考えるよい機会ではあると思います。

ただ、エネルギーのみならず今後の社会の方向性を議論する上で我々が自覚しなければならないことがあります。我々は簡単に騙されるという事です。特に情報が多く流れる現代はその危険性が増加しています。情報が多いが故に思考力が減退することもしばしばです。

議論において「××だから○○」というとき、多くの場合、議論の仮定は××だけでなくて他に暗黙の仮定が隠されています。論者本人が自覚している(性質の悪い場合それで騙そうとしていたりもする)事もあれば、論者も気づいていない場合もあります。例えば「日本のエネルギー状況では原発は必要」という時には、暗黙の仮定として「日本の電力需要はこれからも増加する」とか「代替エネルギーは有望でない」とか「日本経済の成立のためには今後も物の生産主体で行くべきだ」とか色々入っている訳です。また、「原発は危険」とか「原発は安全」というときも、それぞれに色々な仮定が入っていてその仮定の吟味を謙虚に行うことが真に重要なはずですが、大声の論争(声の大きさを争う論争)の中でかき消されがちです。

そのような意味で、未来を切り開くためには皆が真の意味で賢くなっていくことが必要なのだろうとは思いますが、ちょっとテーマが大きくて難しいですね。取り敢えずは、
(1)多量の情報に翻弄されることなく多面的に利用するように心がける。
(2)善悪の問題(極端言えば「善悪による判断」も一つの価値観に過ぎず善悪の基準も人により違うので)に過渡に囚われて冷静な判断ができなくなる事態を避ける。
というあたりなのかな、と考えています。

管理人さんの仰るとおり、背景という意味では、原子力発電についてもそれを推進したい人達の目的(目論見?)や意識を多面的に知ることも必要かもしれません。

あと、「いじめ」についてですが、上の(2)に関連して私はあまり道徳的な人間でもないので以下のように考えている面もあります。「いじめ」は勿論良くない事ですが、日本の社会には「神様」はいなくても「人様」がいて、それによって社会の安定を保っている面もある訳です。いわゆる「人様に顔向けのできないことは、、」とか「家族が後ろ指さされるような事は、、、」という思考です。このような考え方と諸外国の考え方の優劣を論じる人達もいますが、日本的な考え方が劣ると一概には言えません。実際、日本の社会が非常にスムースに動いていることは外国人でも認める事実です。「いじめ」はそうしたメカニズムのネガティブな面と言ってもよいかもしれません。過渡の「いじめ」は絶対に許されるべきものではないと思いますが、今回、東京電力の社員やその家族が少々体裁の悪い思いをする程度まではまあしょうがないかな、といった程度に考えます。ただ、いじめたい側の人達には『真に指弾されるべきは末端の現場社員ではなく、東京電力の会社としての方針を決める層にいる人達である。』という事を訴えたいですね。

あと、福島の現場で奮闘している方々の殆どは東京電力本体というよりも下請け企業の方々であることも十分心に留めておくべき事であると思います。(現在の原発がこのように被曝承知で働く人を必要とする事も認識すべきです。現在、定期点検や修理の為に、この人達の被曝限度量を使い捨てにしています。被曝限度量だけでなく命も、かもしれません。原発継続の場合、こうした社会の目から隠されがちな負の面をきちんと解決するための技術開発も必要だと思います。この技術は原発を廃炉にする場合でも必要であり、原発に対し賛成であろうと反対であろうとその必要性は厳然たるものです。また話が飛びますが、人気のなさから原子力関連学科が大学から消滅し、かつて原子力を研究されていた“有識者先生”方も「受けの良い」研究テーマに鞍替えしている現状はこのような技術の必要性を考えればかなり問題ですね。)

こちらこそ、長くなってしまいまとまっておりませんが、お伝えしたい事を汲み取っていただければと思います。

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東電批判はなんの解決にもならない (だちょう)
2011-04-06 23:38:50
私は経済的側面で原発に対して肯定的な見方をしていたひとりですが、今回の事故を見て完全に見方が変わりました。いくら高コストの電気代を払おうとも原発は全廃すべきです。(その前に世界中の核兵器を廃絶することが先だと思いますが。)
原発建設が推進されてきたのにはそれなりの理由があります。地球温暖化防止や環境保全の観点からCO2を発生せず発電コストの安い原発は、ある意味電力行政にとって現実的解決策でした。しかし潜在的危険が存在する以上世の中に絶対的安全というもの存在しません。今回の事故はそれを思い知らせたものでした。

私は東電批判が高まることに違和感を覚えます。
現場職員と幹部社員を分けて幹部社員を批判するご意見がありますが、幹部社員の多くは今回の事故に責任を感じ、必死の努力をされています。そのなかで東電社員を責めるのは筋違いです。
比較が適切かどうかはわかりませんが、米国では航空機事故が起こった場合、将来に向けた問題解決を優先し、個々の責任は問わないとする法制度があります(ルールを守らずに事故を起こした場合は別ですが)。
東電批判は単に問題隠しを助長するだけで、将来に向けた解決策を見出すことにつながりません。
むしろ訳あり顔にマスコミに出てきて東電批判を展開するコメンテーターの方によほど怒りを感じます。
いままで少数派で肩身の狭い思いをしてきた原発反対派の方が正しかったということです。責任の所在は、そのような少数派の意見に耳を傾けず原発で安い電気料金を享受してきた国民全体にあります。私もその一人として責任を感じます。
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passers byさんへ:建設的ご意見に感謝! (takuetsu@管理人)
2011-04-06 18:31:38
passers byさん、初めまして。具体的な根拠と提案を伴う建設的なご意見を歓迎、また感謝いたします。
「こんなブログに自分の意見を載せても、結局は自己満足にしかならないのだろうか? もっと形のあるエネルギーに変えられないか?」と自問自答しながら日々更新しているのですが、こうしてご意見をいただくと、やはり無駄ではないのかなと思い、意見を発信し続ける勇気をいただけます。
自分とは違う意見にも耳を傾け、それについて考える...とても大事なことと思っております。

さて、本題ですが...ご意見を伺っていて、私自身が感情論に傾いていることがよくわかりました。
「東京電力は被災者」論はとんでもないと思っておりますが、自らが被災者だったりしながら現場で作業せざるを得ない末端社員(多くは子会社、孫請け会社の社員でしょうか)に対し、どうしても同情的な気持ちになってしまうがために、全社員の中の線引き=「どういうポジションから上が幹部側か、どこから下が責を問いにくい組合側の社員か」という点で、甘めに見ていたことに気づかされました。末端社員を利用して私腹を肥やすだけ肥やしてきた幹部に対する目を、どうしても普通の社員にも向けることができないでいたのです。
ですから、passers byさんの(1) ・(2) のご意見は、伺ってみれば確かにそうだなぁと思います。

東電にきちんと責任を取らせるべきだとももちろん思っているし、地元の末端社員とて、原発の危険性を知りながら原発に関わり、またその恩恵を受けてきたことも承知しておりますが、passers byさんとちょっと違う点があります:
『一億総懺悔』という表現はいき過ぎだとは思うものの、ここに至るまでに東電他電力会社、その関係者(政治家や黒幕?)に思うままにさせてきてしまった国民の責任も、決して小さいものではないと私は考えているし、自分を棚に上げることがどうしてもできないのです。
この点に関しては、年代が関係するかもしれません、ジェネレーションギャップがあるかもしれないと。
私は50代前半、いわゆる団塊の世代の後の世代で、「三無主義」と言われた世代に属します。親世代が築いてくれた高度経済の恩恵を甘受しながら、競争力の高くない中で特に自己主張せずとも大過なくのほほんとして過ごしてこられたためか、自分自身が被爆二世であるにもかかわらず、気づいてみれば、日本全国に原発ができていて、その電力を享受してきていたのです。
そんな自分を猛省し、子孫のためにこの負の遺産を引き継がせてはならない責任を、今痛切に感じているのです。
おそらく、これは30代以前の若い方にはない感覚ではないでしょうか? だって、完全に被害者、今回の事件を糾弾する側ですものね。
失礼ですが、passers byさんは私よりずっとお若いのではないかと想像しております。違ったらごめんなさい。もし、同年代なのに、感覚や考えの違いがこのようにあるとすれば、それは私の生き方が甘かった、ということになるのでしょう。

あともう一つ...こういう顕著な事件が起きると、それを引き起こした張本人だけにとかく目が行きがちですが、その背景やそれを起こした仕組みにも目を向けることが大事かなと考えております。
それについて、9.11後のアメリカ社会を取材していて気づき、声を大きくして言っているのが、ジャーナリストの堤未果さんです。
よろしければ、過去記事をご覧になってみてください:
http://blog.goo.ne.jp/takuetsu1958/e/068bbf91ea275cfaf0f7a04ee49d2d4d

長くなってごめんなさい。要旨が伝わることを願います。
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批判すべきです。日本の信用のためにも! (passers by)
2011-04-06 10:34:02
 今回の件で「東京電力は被災者」という論調もありますが、被災者であると同時にそれ以上の加害者です。

 安全性が万全ではないことを予感しながら、その対策を採るでもなく過剰な安全宣伝でもって他人も自身もごまかしてきたツケが出たのです。確かに現場の末端社員に責はないかもしれませんが、ある程度の管理職・幹部社員(大卒採用以上と考えます)は責を追うべきです。かつてずっと電力会社は就職先として一流とみなされ就職希望者も多かった訳ですが、私の大学時代の同級生達には「電力会社は話を聞きに言ってみると、どうも原発周辺が胡散臭いよ(過剰な安全宣伝や技術的問題や被爆問題の隠蔽などの件です)」と言って内定を断ったりした者もいます。と言うことは逆に就職した人間はそれを承知だったと言うことになりますし、大卒で管理職要員で入る人間であれば「俺はそんなこと知らなかった」という言い訳は許されないと思いますよ。ある組織に就職すると言うのはそういうことです。そうでなければ、自分が直接手を下さなければ、犯罪集団に就職しても良いことになってしまいます。
(そして、そのような安全軽視の運営をしながら給与も良い=キャリア公務員の3割から4割増でしょう

 国際的に見ても、このまま「東京での慮雲被災者だし、、」というような態度を日本国民が取っていれば、国民全体がこの原発災害を引き起こした存在として東京電力と同次元の存在と見られかねません。原発災害に対しては『一億総懺悔』のようないい加減な対応でなく、東京電力という組織とその構成員にきちんとした責任を取らせる(=落とし前をつけさせる)事をしない限り、日本は世界に対する国家的責任を果たしたと言うことにはならないと思います。(もちろん、これは最低限のことで、もっとすべき事は出てくるはずですが)

 やはり、いじめは良くないと思うものの、東京電力に対しては
(1)いい加減な原発運営をやってきた責任についてはしつこく追及する。この点、多額の広告料を東京電力からもらっているマスコミはあてにならないので、ネット等でしつこく発信すべきです。
(2)末端現場社員を叩いてもしょうがないが、会社の全体的ポリシーを理解した上で入社したとみなされる(たぶん大卒採用以上)管理職は大幅な給与カット(国家公務員を基準にその8割程度でよいのではないでしょうか)、上級管理職は退職、関係上級管理職・役員は懲戒解雇、といった責任を取らせる。
といった事が必要になると思います。
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aoinkさんへ:勇気が出ました! (takuetsu@管理人)
2011-04-05 17:58:56
aoinkさん、初めまして、ようこそおいでくださいました。時々見てくださっていたとのこと、そして初コメント、本当にありがとうございます。

震災からこの方、多くの方がそうであるように、私も自分に何ができるか毎日考えながら過ごし、記事内容にも悩みながら更新してきました。ブログ書いている時間があったら、他にできることがあるんじゃないか...とかね。

でも、こうして賛同していただき、自分と同じ回路で考えてくださっている人がいることを知ることは、本当に励みになります。前に進む勇気が出るのです。
ということで、記事にしようかどうしようか迷っていた考えを、これからまとめてみようという気持ちになりました。ありがとうございます!

ぜひまたお寄りくださいませ(#^.^#)
返信する
同感です。 (aoink)
2011-04-05 16:28:16
はじめましてで失礼いたします。
時々こちらのブログを拝読させていただいている者です。
読ませていただいた記事に同感です。

東電に対する不満を嫌がらせというカタチでぶつけても、
事態はまったく改善しないどころか、嫌がらせ自体はただの犯罪ではないかと。
嫌がらせをする為のエネルギーは、仰るとおりもっと別のところに使ってほしいものです…

わたしにも東電に対する批判的な気持ちはもちろんありますが
批判するにしても、自分達の電気に頼った生活も同時に振り返っていかなければと改めて思っています。
返信する
はなこころさんへ:むずかしいけど、しなくてはならないこと (takuetsu@管理人)
2011-04-04 17:31:53
皆で同じ方向を向く...良い方向、正しい方向、前向きな方向...に、ですね。
でも、下手すると、国家権力にねじ伏せられたり、マインドコントロールされたりして、いつのまにか皆で変な方向を向いてしまうことだって、大いにあり得ます。気をつけなくては...ね。
返信する
こんなふうに (はなこころ)
2011-04-04 15:40:20
こころが
変な方に向かうことが
一番、恐いですよね。
皆、
同じ方向を向かねばなりません。

・・はなこころ
返信する
コロ_moriさんへ:見え見え... (takuetsu@管理人)
2011-04-03 16:27:55
コロ_moriさん、いつもコメントありがとうございます。

サルコジさん、見え見えですよねぇ。日本にがんばってもらわないと自国の電力事情が危うくなりますから、必死なんでしょうね。アメリカもしかり。
フランスが事故早期にホウ酸100t、防護服1万着送ると言ってきていましたが、あれは支援という名のもとの半ば指示だったのでしょうね。とりあえず人海戦術でなんとか止めろという...。

淡水の藻の光合成を利用した発電? 初めて聞きました。大きな電力につながるのでしょうかね。淡水なら津波の被害を想定しない場所でできるので、大きな利点ですね。

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壊れにくく (コロ_mori)
2011-04-03 09:13:06
日本の悪口ばかり言っていたサルコジ大統領がわざわざ来日されたところを見ると、今回の原発事故の重大さがわかるようなきがします。日本の世界遺産の宮島は、壊れにくく、直しやすく造っているそうですが、原発もそういう造りが必要ではないかと思います。不可能であれば、廃止すべきだと思います。淡水の藻の光合成を利用した発電などが、日本やアメリカで研究されているそうですが、こういうことに期待したい。
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kazubonさんへ:確かに... (takuetsu@管理人)
2011-04-03 08:40:05
kazubonさん、初めまして。コメントありがとうございます。

投稿した後、タイトルをつけ間違えたかな?と思っておりました。
確かにおっしゃるとおり、批判と嫌がらせは全く違うものですよね。

私の文章が未熟だったかもしれませんが、私の主旨は「がんばっている社員をいじめてもプラスのエネルギーにはならないのでは?それはやめましょう」「自分たちも原発による電気を享受してきた&こうなるまで東電を牽制できなかったのだから、自分を棚に上げっぱなしじゃいけないのでは?」ということで、東電を批判するのを止めましょうと言っているつもりは全くないのですよ。

私自身は東電の幹部にはもちろん批判的です。言いたいことは山ほどあります。
でも、批判するなら建設的な批判をしたいと思っています。今はそれができるほど自分が勉強していないので、まだできないだけで...。

今さらタイトルを変えるのも変ですが、やはり誤解を生むのでタイトルを変え、その旨を追記で記しました。
それでも、記事の内容から受ける印象は同じでしょうか?
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批判してる場合です。批判が足りません (kazubon)
2011-04-03 02:02:20
目に余る行為をしているのは東電です。だからこういときこそ徹底的な批判が必要です。批判と嫌がらせはまったく違うものです。批判が甘いからこの期に及んで原発増設案を提出し、施設の開放もしない。
オール電化を勧める東電が電力供給の義務を果たすのは当然のこと。それが果たせそうにないなら劣悪な環境下で頑張るのも当然のこと。それに、福島に行ってるのは東電全従業員のわずか1%です。
批判さえ許さない意見には恐怖を覚えます。
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